What's "美術教育ボランティア"
美術教育ボランティアが生まれたわけ
海外の美術館を歩いていると、必ずといってよいほどギャラリートークが行われている光景に出会う。子供たちが床に座って作品について言い合っていたり、専門の大学教授が展示室でボランティアとして講義していたりする。こうした活動を支えているのは、何と言っても“人の存在”である。このような活動を行っている美術館には、エデュケイター(美術館教育専門官)だけでも5〜20人、さらに専門教育を受けている学生(インターン)やボランティアスタッフに至っては100人以上もいたりする。一方、日本の美術館の場合では、人がいたとしても、専門ではない“担当者”が1〜2名…。
水戸芸術館もそうした典型例ではある。とにかくスタッフが足りない現状をどうするか。しかも、“専門官”を育てるシステムそのものが、大学にしろ何にしろ日本にはほとんどなく−無論、経験者など考えられない。ないなら、つくる、しかないだろう。
とはいえ、そう簡単なことではなさそうだった。ひとつには、現代美術センターが、同時代の、生まれたての美術−いわば“なまもの”を専門に扱う場所であるということだ。作品は“答え”ではなく、プロセス=過程としてあり、それは“知る”べき対象としてよりは、“かかわる”対象として公開・展示される。誰に対しても答えが変わらない、一般的な意味での解説は、かえって“教育上”マイナスになりかねない。少なくとも“頭”に“ことば”で伝えるのとは違った、“かかわり方”のガイドや実践が必要なものなのだ。しかし、そのようなマニュアルは、どこにもない。
1991年、アバカノヴィッチというポーランドの作家の個展を行った際に、「探検隊」と称する小学生向けのギャラリートークを実施してみた。近隣の大学生にインストラクターをお願いした。誰ひとり、現代美術の専門家でも、美術館教育の専門官でもない。作品と自分とのかかわりを肌身で体験してもらったうえで、子供たちとのディスカッションに備える、ということをしてみた。
このときの経験が、今日の美術教育ボランティア発足の根拠となった。つまり、どのような経験の持ち主であれ、美術作品について、それぞれ、その人となり、その時なりに“深く”解釈し得るものだ、ということがよくわかったのだ。少なくとも、作品を“肴”にしてのコミュニケーションのためには、いわゆる学術的な“知識”だけが大切なのではなく、むしろ必要なのはある種のパッション(情熱)だろうと。“知識”は必要であれば後からでもついてくる、と。そして、どのようなシステムや方法論も、実践・体験を通して、かつ、時間をかけてしか実現し得ず、それとて時代とともに変化するものだから、待つ、よりは、とにかく発足“させてみよう”、という見通しがようやくついたのである。…半年後、美術教育ボランティア公募の印刷物が登場した。
(黒沢伸/現代美術センター学芸員、*平成9年9月30日付で水戸芸術館は退職されています。)
*本ページの内容は、1994年9月1日発行当時のものです。
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