特 集

ことばの森にようこそ

ジェニー・ホルツァー(2)


■街角のホルツァー

 ジェニー・ホルツァーは、今回、ギャラリーでの展示と同時に、公共の場所で大衆に向けられたメディアを2つ使っています。1つはJRのスーパーひたちの車内に設けられた電光掲示板、もう1つは、もっと大型のもので、水戸駅前の丸井のビルに設置され、広告が流されている電光掲示板です。美術に無関係な所にいる人々にアプローチをしていくというのが、ここでのホルツァーの意図ですが、実際に水戸駅前をゆく人々は、いったいどのように彼女のテキストを受けとめているのでしょうか。水戸駅前に出て、道行く人々の声を追ってみました。

水戸駅前でのインスタレーション 1994 (c)安齋重男

◎政治的なメッセージ

 その日は、<食べ過ぎは犯罪である> というテキストが流れていました。買物をした後、ジュースを飲むために駅前広場のベンチに座って、たまたまホルツァーのテキストを読んだという、イラン人男性と日本人女性の30代のカップルは、「まったくその通りだ。ルワンダやその他のアフリカ難民等が飢餓で苦しんでいるのに対し、日本人の脳天気さを想起させる政治的なメッセージだと思う。」と語ってくれました。日本以外の国で何が起こっているのかということを常に意識し、モノを大切にしない日本人の生活を見つめ続けている、この2人の生活背景が発言から伺えます。

 <食べ過ぎは犯罪である>というテキストは、『自明の理(Truisms)』から抜き出されたものです。その感情を押し殺したような警句めいたことばは、水戸芸術館の展示でも流されました。このような駅前という場所で、商業的な広告と入り乱れて流された時、テキストの内容は同じでも、美術館やギャラリーで展示されているものとは全く意味が違ってきます。まず第一に、そのテキストを読む人は、それが美術という名のもとに作られた、とは思っていません。美術館やギャラリーに足を運ぶ人は、たいてい、彼女の作品を見ようと思って来ています。だから、少なくとも、それが美術のコンテクストにおいて作られたものだということはわかっているはずです。しかし、ありとあらゆるタイプの人たちの行き交う駅前でそのテキストが流されると、いろいろな意味を持ち始めます。

◎情報の垂れ流し状態

 ちょっと過激で単純明快なこのことばは、おもしろいことに読む人によって全く違ってうけとられています。

 友達を見送りに水戸駅にやってきた30代前半の女性に聞いてみると、「新しいダイエットの広告だと思った。情報の飽和状態の中で生活している私達にとっては、活字はどこにでも流れているし、広告の表現方法にもいろいろあるので、あまりはっとしなかった。」とのことでした。ダイエットと結び付けるあたり、この女性の興味の対象が伺えますね。

 さらに、この女性が指摘したように、情報の氾濫している私達の社会を象徴するようなメディアが使われているというのも重要な点です。この駅前の丸井の電光掲示板でも、結婚式場を宣伝するもの、あるいは、新型車を宣伝するもの、また、地方自治体からのお知らせなどが、入れ代わり立ち代わり流れては消えてゆきます。そのような情報の垂れ流し状態の中で、この<食べ過ぎは犯罪である> というテキストは、30分に1回ほどの割合で、これらの広告に混ざって大衆へと向けて流されてゆきます。ホルツァーの制作活動における、“大衆へのアクセス”というとても大切な要素は、1978年頃に彼女が最初に取り組んだことばの作品『自明の理』が発表された時から見られるものです。『自明の理』は、最初に、白い紙に黒いインクで印刷したポスターとして、ニューヨークのマンハッタンの街中に貼り出すという形で発表されたのです。その後1982年にも、ニューヨークのタイムズスクエアで、商業広告の流れる大きな電光掲示板を使って、道行く人の視野に彼女の書いたテキストを割り込ませる試みを行っています。この時も『自明の理』のテキストが使われました。このような場面では、不特定多数の人々が、彼女の作品に興味があるかないかに関わらず、また、それが美術のコンテクストにおいて作られたものであることを知らされずに、テキストを読む機会を与えられてしまうのです。

◎赤信号、みんなで渡ればこわくない

 駅前で待ち合わせをしながらおしゃべりをしていた4人組の女子高校生に聞いてみました。「よくわからないけど、宗教関係の宣伝だと思った。」また、ある高校生のカップルは、「何かヘンだと思う。別に食べ過ぎは犯罪ではないと思うし、変な標語みたい。」とのこと。高校生くらいの若い人たちには、<食べ過ぎは犯罪である>に対して「そんなことはない。」という意見が多いようです。

 仕事の移動中で、水戸駅から出てきた50代の男性は、「食べ過ぎで健康状態を損なう人に対する戒めのことばだと思った。」という感想。糖尿病など、健康が気になる年齢なのでしょうか。また、この男性は、「昔、“赤信号、みんなで渡ればこわくない”なんていうのがあったでしょ。あれみたいに、そういうことを言うことによって、逆に赤信号を渡るのは怖いことだとか、やめよう、なんて思わせる深い意味がありそうだね。」とも言っていました。

◎精神分析医のことばみたい

 こうしてみてゆくと、ジェニー・ホルツァーの制作の大事な要素である、公共の場所での不特定多数の人に向けられた作品を伺い知るのには、美術館の展示室や、ギャラリーにある作品を見るだけでは不十分なようです。ホルツァーは、水戸芸術館のような、美術作品が集まるべき場所での展示と平行して、絶えず、美術とはまったく無縁と思われる人々にテキストを読ませる機会を作ることを試み続けています。ホルツァーのテキストは、電光掲示板だけにとどまらず、ステッカー、テレビ、雑誌など、さまざまに形を変えて、人々のもとへたどりつこうとします。

 今回の取材の中で、ホルツァーのテキストを「精神分析医のことばみたいだね」と言っていた20代の男性がいましたが、ホルツァー自身が意識しているかしていないかは別にしても、ホルツァーのテキストは、まるで精神分析のように、読む人の考え方を写し出したり、引き出したりするのに効果的なように作られているのかもしれません。 (工藤)

*本ページの内容は、1994年12月1日発行当時のものです。



[前に戻る] [続きを読む] [Vol.2 CONTENTSへ]
[168 トップページへ] [ボランティア トップページへ] [ファン倶楽部ページへ]
[現代美術センターへ] [水戸芸術館トップページへ]


本ページweb版「168」は、水戸芸術館現代美術センターボランティアと水戸芸術館webstaffとの共同作業により完成しました。本ページに関するお問い合わせも、水戸芸術館webstaffが承ります。
Copyright ©1999 Mito Arts Foundation. All Rights Reserved.
Mail to: webstaff@arttowermito.or.jp