特 集
キノコに還った発明家
ジョン・ケージ(2)
■聴かれるべき沈黙
ピアノの前に座ったピアニスト、デヴィッド・チュードアは、4分33秒の間に3回ピアノの蓋を開け閉めしただけで(曲は3楽章だったので)、1音も鳴らすことなく客の前から去り、居合わせた聴衆からはブーイングの嵐が起こった。1952年、かの有名な「4分33秒」初演の模様である。
前述のように、音楽をあらゆる音へと解放した彼はさらに沈黙すら無音ではないと考えるに至る。「4分33秒」の間、そこには観客の咳払いやプログラムをめくる音等々が存在し、また演奏者は自らの心音に耳を傾けていたのかもしれない、というわけである。では、ノイズも沈黙も音楽である、と言ったとき人間が作り出す音楽の存在は否定される矛盾に陥らないのだろうか?しかし、世界は相対的で両方があってこそお互いの存在を際立たせられるのであり、作曲家はそのことに人々が気がつくよう、意識の変革をこそ図るべきだ、とするのがケージの一貫した態度であったように思う。
たくさんの作品がケオティックに並び、途中で作品は予告もなしに掛け替えられる…通常の、作品にも鑑賞者にもいい状態の美術展を考えれば、非難の声が上がるのもうなずける今回の展示にしても、ちょっと視点を変えれば、サーカスのような生きた美術展を楽しむことのできる、ケージ流のユーモアたっぷりの展覧会なのである。
■禅
コロンビア大学で鈴木大拙の講義を聴いて、禅宗やインド哲学などアジアへの興味を持つようになったというのは、有名な話である。しかし、具体的に禅から何を学んだかとなるとはっきりしない。自叙伝によれば、禅はのちに精神分析の役目を果たしたとあり、公私の悩みを解決する一助となったようではある。度々の来日でも、竜安寺以外の禅寺を訪ねたり、座禅を組んだということを寡聞にして知らない。本展を企画したロサンゼルス美術館キュレーターのレザー女史によれば、禅画、特に円の絵には深い興味を抱いており、円の展覧会を望んでいたそうである。サーカス・ギャラリーにはケージだけでなく、何人かの友人に描かせた円の絵が障子とともに円形に展示されていた。竜安寺の曲も美しい。ケージ・ギャラリーに展示された図形楽譜の前で、来館した声楽専攻の学生が低い声で歌っていたと聞いた。
TVと仏像が向かい合っている作品は、ナム・ジュン・パイクの「TV仏陀」。この他にも著名な美術家の作品が並び、ケージの交友範囲の広さには改めて驚かされる。
■音楽と美術
ケージと美術(美術家ではなく)とのかかわりは、彼の自叙伝にもあるように、「音楽が写実的になったために、時折私を絵画へ振り向かせた。」程度のものであろうか。ケージ・ギャラリーに展示されたマウンテン・レークにあるレイ・カスのワークショップで制作された水彩画を見ると、とても時折作った作品とは思えない。同時に掲示された図形楽譜など、現代美術としても鑑賞にたえるものであろう。
開催記念スライドレクチャーではレイ・カスが実に多くのスライドを使って、ケージが作品を制作する様子を説明してくれた。河原で拾ってきた石を紙に乗せて、その周囲を絵筆で描くにも、石の方向を慎重に見定めている様子。刷毛を並べ、絵の具を含ませて一気に走らせる、次第に紙の大きさも刷毛の数も増えていく様子。紙を焚き火の残りに被せて、焦げたり灰が付いたりする様子。などなど、実に興味深かった。
*本ページの内容は、1995年3月1日発行当時のものです。