ほんとうの学芸員
―美術とかかわるようになったきっかけは?
今から思えば美術少年だったようだ。見るのも描くのも好きだった。余談になるが、学生バイトとして、描いて相当稼いだときもある。テレビコマーシャルの絵コンテなどだが、これはある敏腕CMディレクターの自殺によってショックを受け筆を折った。このディレクターの話は後に パルコ出版の「CMの消えた日」という本になったので知る人もいるかと思う。やがて美術史や美術評論に関心が向き、筆名で雑誌に展評などを書いていたこともある。こうしていつか美術の世界に踏み入るようになった。
―特にエポックとなった出来事は?
日本洋画の搖籃期に関心があって、高橋由一から司馬江漢、秋田蘭画と遡って調査している内に、佐竹曙山の写生帖の中の不思議な二重螺旋階段図に出会った。これと、幼い日に父に連れられて行った会津飯盛山の栄螺堂の木造二重螺旋構造との関連が気になりだし、「螺旋空間の図像学−会津團通三匝堂の成立をめぐって」と題した数百枚の卒論原稿となった。ここでは、秋田蘭画史料や江戸時代当時各地に存在した栄螺堂に関する史料、会津藩史料などの実地調査の他に、栄螺堂成立の思想的根拠となった、卍巴など旋回する図像に関する仏教教義と古代信仰との関連、旋回する図像の世界的分布と太陽信仰との関連、それらの分布と巡礼信仰文化圏の分布の一致など、文化人類学、文化形態学などに叙述がおよぶこととなった。栄螺堂の二重螺旋造形空間は、美術史的にはバロックととの関連があると思われているが、こうした一造形空間の成立には、さらに社会的、歴史的なさまざまな要因が関わっているということを、当時美術史学会で論議されはじめていた図像学をほうほうとして記述しようと試みた。考えてみると、一つの造形を社会的、歴史的な網目との係わりで考えようとするこうした立場は今なお変わらないものとなっているようだ。なおこの文章は、ある先生の薦めによって、「萌春」という美術雑誌に連載され、やがて美術評論などの執筆依頼の契機の一つとなった。現代美術は、この頃東京画廊(1976年)での斉藤義重展の展評依頼を前後して関心を持っていった。
―ATMに来る前は何をしていたのですか?
フリーの美術専門の編集者と曙橋にある 東洋美術学校の講師をしていた。編集者としては、 集英社、 講談社、 平凡社、 小学館などの美術全集、豪華本、ムック(雑誌と書籍の性格をもつ定期刊行物)、月刊誌、美術事典など美術の刊行物として考えられるスタイルのものはすべて手がけた。ジャンルも仏教美術、中世以降の日本絵画、浮世絵版画、西欧近現代と多岐にわたる。編集者最後の仕事は、小学館の「世界美術大事典」のデスクだった。特にこの編集部では、日本の西洋美術史学の先端にふれて鍛えられたように思う。この編集部からはもう一人学芸員への転職者が出た。美術講師としては近代美術論とエディトリアルデザインの講座を受け持っていた。
―今は水戸市民になっているのですか?
水戸市民として千波に在住している。水戸に来てから所帯をもって、今では娘が聖母幼稚園に通園している。堀町には当家の墓も建立してある。
―これからどんな展覧会をやりたいですか?
演劇、音楽、美術全部門が協力して、1960年代前半を中心とした日本の芸術状況を回顧し、再解釈しようとする企画を進行中。当時のジャンルを解体し、あるいは横断しようとする熱度を、やはり混沌とした芸術の状況を示す今日の時点で捉え返す企画としたい。他には、日本近代の形成の中で、われわれの意識の中に刷り込まれてきた美術のピラミッド構造を俎上にのせ、これを批評する企画などを考えている。 (大和田・服部)
*本ページの内容は、1996年10月1日発行当時のものです。
[Vol.6 CONTENTSへ]
[168 トップページへ] [ボランティア トップページへ] [ファン倶楽部ページへ]
[現代美術センターへ] [水戸芸術館トップページへ]
本ページweb版「168」は、水戸芸術館現代美術センターボランティアと水戸芸術館webstaffとの共同作業により完成しました。本ページに関するお問い合わせも、水戸芸術館webstaffが承ります。
Copyright ©1999 Mito Arts Foundation. All Rights Reserved.
Mail to: webstaff@arttowermito.or.jp