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1960年代より活動をはじめ、マース・カニングハム舞踊団の音楽監督として、また、即 興音楽、エレクトロニックなマルチ・メディア音楽の作曲・演奏家として活躍する小杉 武久が、「波」をテーマとした音と映像のパフォーマンスを行います。 |
![]() 小杉武久によるドローイング「Catch-Wave '97」 |
1961年秋、それはわが国の「実験音楽」の黎明期であった。その実験の場では「音楽」
そのものの在り方が問われていた。ある者は「音楽」を人間の所有物から解放し、宇宙
の全ての音を「音楽」としてとらえようとした。またある者は、「音楽」をエゴを乗り
越えたところで表現しようとした。当時の演奏会を再現しつつ「音楽」の現在の探求の
旅に出る。
1960年代は、日本の芸術界にとって、エポック・メーキングな時代であった。そこで
は私は少なくとも2つの点で、それまでの日本の芸術界にはなかったことが起こったと
思っている。そのひとつは、日本で初めて、実験的精神の横溢した芸術が誕生したこと
である。
音楽の分野では、たとえば1961年の後半に次々と行われたいくつかの実験的催しがあ
る。それらをみると私は、1961年という年は、日本の音楽界における実験音楽の元年と
して位置づけられるのではないかという気がする。この年は、まず8月に、吉田秀和を
所長とする二十世紀音楽研究所の現代音楽祭が大阪で開催され、初めてアメリカの実験
的前衛音楽であるジョン・ケージ、モートン・フェルドマン、アール・ブラウン、クリ
スチャン・ウルフ、シュテファン・ウォルペらの音楽と、この音楽祭のためにニューヨ
ークから帰国した一柳の作品が上演され、大きな波紋を投げかけた。それはこの時が日
本に於ける最初の偶然性や不確定性御学徒の邂逅だったからである。そして翌年の9月
には、小杉武久、刀根康尚、武田明倫、塩見允枝子、水野修孝らのグループ音楽による、
これも日本では初めてであった現代音楽の即興演奏を主体にした演奏会(注1)があり、
10月にはケージのピアノ曲<ウィンター・ミュージック>全曲を、1時間半かけて初演
した高橋悠治のリサイタル(注2)、そして11月には一柳のこれも当時の日本では初め
てであったライヴ・エレクトロニック・ミュージックやハプニングを含んだプログラム
による作品発表会(注3)が行われた。そして、これら一連の行事の直後に、秋山邦晴、
高橋悠治、一柳慧らによって結成された実験的演奏家集団ニューディレクションが誕生
する。
もうひとつは、建築からデザインまでを含めた多くの分野の芸術家たちが、ジャンル
を越えて共同作業を行ったことであろう。その集大成として位置づけられ、画期的な成
功をおさめた催しが1960年代後半に行われた「空間から環境へ」という展覧会と、代々
木のオリンピック体育館で行われた現代音楽祭「クロストーク・インターメディア」だ
といえよう。
アメリカでも1966年に、ベル研究所が応援して行われた「芸術と技術のための9晩」
という芸術家が電子テクノロジーを大々的に活用したパフォーマンス主体の催しが、ア
ーモリ元兵器庫を借りきって行われたが、日本の「空間から環境へ」展や、「クロスト
ーク・インターメディア」も、多くの芸術家たちと、技術者の相互交流によって行われ
た現代芸術の綜合的催しだったと言えるだろう。
自由な創造精神を謳歌したこれら60年代の実験的芸術は、飽和的状況の中で閉塞し、
沈滞と保守化が進行する1990年代の現状に対して、次なる時代の展望を拓指針として大
きな役割を果たすことになるだろう。
(一柳 慧)
(注1) 1961年9月15日に行われた 「グループ音楽」作品発表会