劇場への案内---磯崎新
季刊 水戸芸術館 1989年春
〒310-0063 茨城県 水戸市五軒町1ー6ー8
Mail to: webstaff@arttowermito.or.jp
TEL: (029)227-8111 / Fax: (029)227-8110

劇場の歴史と概念


この劇場の基本的な考え方は、ある意味で、数年前に設計のコンサルテ−ションをやった「東京グロ−ブ座」のプランとやや似た、似たというよりもその系列のコンセプトになっている。そのもとをたどれば、すなわちシェイクスピアの時代の「グロ−ブ座」の形態というものを頭に入れていたわけです。16世紀の終わりから17世紀の初めにかけてシェイクスピアが活躍した時代にシェイクスピアが使っていた劇場が「スワン座」と「グロ−ブ座」という二つのもので、それの復元に関していまさまざまな議論がなされていて、正確な復元ができないでいるのですけれども、(*1997年、復元が実現化)それを想像的に復元することを目標にして小手調べをやってみたのが東京グロ−ブ座だったのです。

それをやっていながら僕が感じていたことというのは、日本の能舞台というものが16世紀に徐々に形をなしていって、17世紀の初めにいまの原形が成立したというふうにいわれていますけれど、これは時代的にいうと、全くシェイクスピアと同時代、シェイクスピアと同時代が能舞台でもあったというわけなのですね。日本とイギリスで、全く無関係にでき上がっていながら、現代にまで影響を与えるこの二つの演劇形式ができ上がってきている。

その両方を比べてみると、いくつかの共通点があります。その一つは−−−基本的に当時は演劇は屋外でやられていた。外でやられていながら、観客は半ば部屋内、つまり、ひさしのあるところから中庭にある舞台を眺めていたという形をとっています。それにおそらく雨のこともあるでしょうし、ほかの象徴的な意味合いもあったと思うけども、舞台の上には屋根がかかっている。これは両方とも共通の点ですね。

それから同時にもう一つ共通しているのは桟敷席というか、あるいは土間の席というか、平面的な庭の上に、イギリスの場合は立見席、日本の場合はござを敷いて座ったというのが能舞台にありましたけれども、それの中に舞台が突き出ているという形式をとっている。つまりいま風にいうとスラスト・ステ−ジといいますか、そういう舞台形式をとっていて、それを取り囲んで観客が見ているということです。

これには非常にはっきりした理由があって、観客と演技者である役者の肉体とをできるだけ近い距離に置くことがいちばん結果としていいということははっきりしているので、この関係を追いつめていくと、スラスト・ステ−ジというのはいちばんいいわけですね。そういうふうに考えていいと思います。

そういうスラスト・ステ−ジもいまは方々にできているわけですけれども、ストラトフォ−ド・アポン・エイヴォンというシェイクスピアが生まれた場所がありましてね、その場所にロイヤル・シェイクスピア・カンパニ−の本拠地ができ上がっているわけですけれども、そこの大きい劇場の裏に、かつて、一度火災で焼けてなくなっていたのをもう一ぺんもとに戻して、新たに数年前につくり直したスワン座というのがあります。このスワン座は、シェイクスピアの昔の時代のスラスト・ステ−ジの状態というものをわりと素直に伝えていて、周りに三層の桟敷席があるという点もほぼ似ている。そういう形式をもったものがいまでき上がっていまして、収容力は300人くらいかな、小さい劇場ですけれども、そこで芝居を見ると非常にインティメイトな関係が舞台と観客との間に生まれていて、僕はその後、何回か大きい舞台で見たシェイクスピアの芝居よりは、はるかにそのときのほうが強く印象づけられたんです。

ですから、今回の場合でも、なぜその時代に戻していくことを考えているのかというと、その後の演劇形式は、ヨ−ロッパではバロックの時代になってきたわけですけれども、舞台というものを虚構の空間であるというふうにつくり上げて、それを透視図法をもとにして額縁のに押し込んで、舞台は向こう側の額縁の中に絵画のように組み立てられる、しかもそれは絵画よりもより奥行きのある深さをもって舞台がそこで必要になってくる。それをこちら側から観客が対面して眺めるという、絵を人が見るのと同じような関係で劇場の空間をつくったというのが、その後の舞台の流れで、17、18、19、20 と3世紀半ぐらいにわたってそういう舞台形式がどんどん一方的に進化した。

そのあげくに、観客と舞台との関係が、切り離されてしまったという事態が起こったと思うのです。それにたとえば、ここの芸術総監督の鈴木忠志さんなどが60年代の半ば以降に日本でやり始めたある種の演劇運動というのがあって、そこで考えられてきたことというのは、要するにちゃんとしたそういう額縁舞台なんかでやる条件がなかったということもありますけれども、逆に観客と舞台とを非常に密接につないでいったものの中から、いわば役者の肉体というものをじかに感じるような、そういう舞台づくりがなされてきて、それがやはり最も新しい今日的な演劇運動の一つになってきているわけです。これはよくよく考えてみると、演劇的に能舞台が発生したり、シェイクスピアのグローブ座があったりしたような時代の観客との関係を舞台空間としてもう一ぺんそこに戻ってとらえ直しているというようにも解釈できるだろう、と僕は思ったのです。

それで、むしろシェイクスピアの時代に戻るというのではなくてその時代をモデルにすることによって組み立てる新しい劇場のタイプというのは、より現代的な意味を持つはずだというのが僕の目的だったわけで、それを鈴木忠志さんにちゃんと引き受けてもらえば、設計者としてはいちばんいいし、彼をそういう芸術総監督に迎えられたということは、この舞台にとっては最適任者を見つけたということになるだろうと期待しているところなのです。

具体的には、スラスト・ステージ以上に、アリーナ・ステージにも近いぐらいに考えよう。東京グローブ座よりももう一歩進んだ方向に、今回は完璧な形でまとめたいというふうに思っています。



円形の中心に舞台を置く

そこで、この芸術館の劇場はどういう形になっているかということですが、建物としては、三層構成になっている。中は完全な円形プランをしている。 そして三層部分は舞台の上まで観客が入れるぐらいに取り巻くようになっていまして、舞台のある種の求心性みたいなものをつくろうとしています。 一階はほとんど半分が舞台になっていて、おもしろいことには、一階の正面突き当たりにロイヤル・ボックスというのが普通あるはずで、そのロイヤル・ボックスのところが監督のコントロール・ブースになっているわけです。 これは鈴木さんと議論しながらコントロール・ブースの場所はどこがいいかということを詰めていくうちに、結局その位置になってきた。 こうなってくると、監督の采配する目の位置というのは、かつての帝王の位置におくことになるので、そこから見た全体の演出がなされるということになってくると、いままでと違った意味合い──演出の過程では監督というのはどこの劇場でもみんな舞台の真正面に座ってやっているわけですけれども、ここでは上演途中でもそこから指示ができるということになっているので、これはもしかすると、この劇場のもっている意味というのが、そういう位置で象徴されるかもしれないという気がします。

それで、実は僕は完全に設計を細かくやったというわけではなかったんですけれども、東京グローブ座を前にやりましたので、あのグローブ座がもっている現在の問題点が一応全部わかっているので、今回はそれを徹底して改善して完全なものにしたいと考えながら、具体的なプランに入っていけた。観客の視線の関係とか、舞台に対しての二階や三階からの目線の角度ですね、それはグローブ座の場合にはちょっと高過ぎたので、それをうんと低くしてできるだけ近づいているというようなことができたり、もうこれ以上この形式では求められないと思うぐらいずいぶん改良されてきている。

そういうことから、この舞台はどういうふうな使い方になるかというのを説明しますと、先ほどいいましたように一応、円形の奥半分が一階は舞台になる。ただし、せりで舞台を広げたり縮めたりすることができるようになっていまして、最大に広げると、建物いっぱいに広がるし、狭めると真ん中からちょっと右手(上手)よりの、中心に近いところに能舞台の位置を設定することができる。残りは沈ませて、橋掛かりも置くので角度をもってつくられまして、観客席でまたそれを取り巻くというようなことができる。

そういう両方の複合性というようなものがここの場合には考えられているし、主として正面半分が舞台なんですけれども、この円形の舞台の裏の方というのは、場合によっては全部閉ざして一つの完全な円形の空間にすることができるようになっています。それを開いて、舞台のそでからの出入りというふうなものにも使うということで、そこからあとは芝居の上で最も使いやすいかっこうにさまざまな工夫をこらしている最中ですね。

一階席は平土間なんですけれども、半分は傾斜がついていますので、サイトライン、つまり観客の視線というのはできるだけ見やすくなっています。そういう点も東京グローブ座の反省の上でできあがっているということです。

具体的にはどういう演出がなされるかというのは、今後の問題でして、舞台空間というのは建築の段階では骨組みというか、輪郭というか、そういうふうなものが出てくればいいのであって、それ以上というのは照明とか、いろいろな舞台の小道具とかというようなものがつけ加わることによって、違った場が成立しないといけないわけで、建築物の状態ではなくて、建築のきめた状態をはみ出ていくような内容の演出がなされていくのが本当はいちばんおもしろい。

ただ、ここでよく考えたことというのは、もともと額縁舞台ではないわけですから、要するにヨーロッパの伝統的なオペラのように、大がかりな舞台装置をつくるということはあえて避けて、むしろ大道具に関しては最小限の手段で考えていて、あとはそれに細かいものでつけ加えていって演出を起こさせてもらうということがいちばん望ましいし、そのほうがこういうスケールの劇場を扱っていくうえでは適切な条件なのではないかと思ってこういう判断にしたのです。

稽古場については、オーケストラの方と共通の稽古場があります。舞台に比べればやや小さいスケールですけれども、部屋は用意されています。それはどういうことかといいますと、演劇の場合には、劇場というのは何かを上演していて、次の稽古が並行していくというほど過密にこれが運営されるということは、実は考えていなくて、稽古しながら仕込みをやって、同じ舞台で上演をして、終われば次をまた始めるというぐらいのインターバルで考えているのですが、まあ、その程度であふれた場合には館全体の中での部屋の割り振りをつけてもらうということになるかと思います。

それから楽屋ですが、主役級の役者の楽屋は、自然光の入るものにしたいということがありまして、それは条件を満たしています。もちろん、あまり光の入らない部屋もだいぶとってありますがね。

それからたとえば舞台の上手から下手へ通る裏の通路とか、ごく基本的な常識的なことですけれども、世の中の劇場にはこういうものがしばしば欠けていて、いろいろ苦労するということがあるのですけれども、そういう現実の舞台の使い方の上からは、いままでの問題点を全部なくすように考えられています。

ホリゾントはつくろうと思えばできるようにしてあります。いわゆるバトンで吊って、それ用のものを組み立てるということになるのと同時に、もう一つ、正面の扉その他を全部開いて、もう一つ奥まで使ったときに、また、奥のホリゾントがもう一ぺん見えてきます。

もう一つ普通とちょっと違うところは、舞台の最先端が劇場の幾何学的な円の中心になっています。ということは、円のど真ん中で役者が演技するというふうな、そういう仕組みになっています。いいかえれば、それを観客が全部取り囲むわけですから、さらにまた別ないい方をすると、まさに役者が世界の中心にいる、この劇場をミクロコスモスと考えると、その中心にいるという、そういう仕組みにもこの配置がなりますから、建築のプランのある種の象徴性がそういうところにもあらわれてくると思っているのです。

劇場へのアプローチは、まずやはり共通のフォワイエに入ってもらう。ここは前回もいいましたようにオルガンのついたフォワイエでして、三部門の共通ロビーですね。そこから大きい階段がありまして、少し上がると一階、それから左右の階段で二階、三階に上がってもらうという流れになっていまして、それぞれ入ると円形の一辺にある扉にたどりつくので、そこから円形の壁沿いに座席を探して入ってもらう。基本的に階段のところ以外は、廊下がないのです。ですから、グローブ座のように狭い廊下を回りに巻きつけたというようなかっこうにはなっていません。



完璧な劇場をめざして


いまどうしたらいいのかと迷っていることの一つは、こういう劇場ではあまり上等な椅子を入れないほうがいいのではないかなあということです。まあ、ベンチとはいわないにしても、少し固めのほうが芝居を見るにはいいのではないか、ふかふかの椅子にしちゃうとみんな眠っちゃうかもしれないので、ちょっとこれはまだ決めてない部分なのですけどね。椅子の問題がありますね。映画館はいま、できるだけいい椅子を入れるという傾向になってきているのですけど、演劇の劇場も同じでいいのかどうかということですね。

少なくとも劇場というのは、座付きの演出家、監督、それに役者がいて成立するのだけども、ほかの人も使うというケースもあるので、たった一つの目的に合わせて使ってほかのものが使えないのではないか、ほかの使い方に無理があるのではないかという、そういう声ももしかすると出てくるかもしれないと思うのですが、これに関しては、鈴木さんといろいろ議論したあげく、本当にいい一つの目的に向かって、本当に完璧でいいものをつくれば、ほかでも使えるはずである。むしろいろいろな種類の違うものにまんべんなく合わせようとして、一種の多目的性というものを入れようとすると、すべてにわたって完璧になれない。逆にお互いに相殺しちゃうということが起こる。そういうことをやるよりは、一つの方向にまとめあげてしまう。そのことによってむしろ今度は、それが触発してくる別な使い方、新たな使い方が生まれてくるというぐらいに考えたほうがいいではないかというのがわれわれの設計の基本にあるものですから、少なくともこれまでの日本の劇場、東京グローブ座がやや近いとはいっても、それともずいぶん違いますから、日本にはなかった劇場が生まれるということになると思うのですね。

そのユニークさというのを今度は芝居の方で生かしてもらうということがその次に必要になってくるのですが、考えてみれば、劇団というのは世界中を同じ芝居をもってトラベリング(巡回公演)しているわけですから、そうすると、劇場は全部違うわけです。大きかったり小さかったりそれからプロセニアムの高さが違ったり、幅が違ったり、いろいろ違うところでその都度合わせて調子を整えて上演しているわけですから、本来、一つの上演形式ができ上がったとしても、それはかなりフレキシブルなもののはずなのですね。だから、演劇空間というのは、使う人はある意味ではそういうフレキシビリティーにはなれているのでしょうけれども、それを逆に空間が枠をはめる、規制していくということによって、その間にある種の応答関係が生まれていく。そして特定の劇場と特定の芝居とのいい緊張関係ができ上がることがいちばん望ましいことではないかという気がするのですね。

それをそろえるためには設計者の立場からすると、猛烈に頑固な演出の方針をもっている相手というのがいて、それと徹底してやる形で空間が生みだされてきた、そういうタイプの劇場というのがいいのだろうと僕は思うのです。そういう試みとしては、いままでの何にでも使えて丸くおさめる方法とは違って、単一の方向にぎゅっと追い込んでいますから、一見、どうしていいかわからない、使い方がわからないというような人もあるいは生まれるかもしれない。だけど、所属の劇団はそれを最高に生かしてくれるだろうと期待しています。




ホーム 音楽 チケット
施設案内 演劇 友の会

美術 特集記事
「水戸をデザインする」 「美術館への案内」 「ホールへの案内」


Copyright 1998 Mito Arts Foundation. All Rights Reserved. Created by TK.
Mail to: webstaff@arttowermito.or.jp