現代美術ギャラリー/現代美術センター(水戸芸術館美術部門)
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それでは、2時になりましたので 時間どおりトークをはじめさせていただきます。
今日ちょっと大変忙しいスケジュールで、2時から
3時までの約1時間、カバコフさんのトークをお聞きいただきまして、 このあと4時からオープニングレセプションがございます。
どうぞみなさまそちらのほうにもぜひご参加いただきたいと 思います。 それではイリヤ・カバコフさんと通訳の米原万里さんを
ご紹介したいと思います。
今日は限られた時間ですので、まずカバコフさんに今回の
展覧会のことにつきましてお話をいただきたいと思っております。 それではどうぞよろしくお願いいたします。
今回の展覧会は「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」 という名前がついております。 そして私自身が、いわばキュレーター、あるいはこの芸術家の 作品の収集家、そして世界で初めて、この作品を展示する、 展示の主催者として、そういう役回りを演じております。非常に時間を気にしてくださって、30分間で中身の濃いお話を 要領よくまとめてくださったのですけれども、 みなさんといろいろ対話したいというご希望もありまして、 ご質問があれば、ここで、皆様からのご質問を受けたいと 思いますが。何でも結構ですので、ご質問のあるかたは挙手を していただけるでしょうか。普通、画家であるならば、芸術家であるならば、 自分を皆さんにお見せする、自分のコンセプトを示し、 さらには自分の作品を示すというのが、 芸術家本来の姿のはずなんですけれども、 なんでまた、まったく異なる芸術家、つまり 架空の、頭の中で作られた芸術家のためにこんなに時間を 割くのか、という疑問が沸いてくるかもしれません。
おそらく、今のような時代、特にこのようなやり方は 不思議だと思われるかもしれません。奇妙だと思われるかも しれません。 といいますのは、今の時代ほど芸術家というものは 自らのアイデンティティのために戦うのだ、芸術家は 自らの顔というものを打ち立て、その顔を いつでも覗かせ、そして決してこの顔を失ってはならない ということがどこでもいわれております。 そういう時代において、なんでこんなことをするのか、 ということであります。
そして架空の人物の生涯を追うというやりかたというのは 実は文学ではよく知られている、文学というジャンルで 知られているこのやりかたを、なんでぜんぜん違うジャンルに 持ち込んだのか、そういう疑問も沸くかもしれません。
つまり自分ではない異なる私、 もうひとつの私を相手にする、 こういう仕事のやりかた というものにはおそらく歴史的、あるいは 心理的な原因があると思われます。
で、このような伝統は、実はロシア、あるいは その他の国の文学の伝統には根強くあります。 そして、文化において文学は非常に中心的なものであるという考え方もあります。
で、もうひとつは心理的な原因というものがありまして、 それは実は私自身が、あまり私自身の アイデンティティというものを自覚していない 種類の人間なんです。
つまり、私個人というものをさほど評価していない とか価値を、重きをおいていない、そういう傾向にある 人間であるということです。
で、まあ以上が、原因について、この展覧会の原因は何であるか、 という話でしたけれども、 実際、この展覧会の本質、コンセプト、言いたいことは 何かということに移りたいと思います。
今、ちょうど20世紀最後の年でありまして、 そして当然、20世紀の芸術の歴史も最後の時期を迎えております。
そして、よく知られているように、 この20世紀の芸術の歴史というのは、2つの大きな時代に わけられます。 ひとつはモダニズムの時代、そして、もうひとつが ポストモダニズムの時代であります。
この2つの時代、2つのモダニズムとポストモダニズムの 違いというものは、決して形の上だけのことではありません。 つまり、スタイルの問題であるだけではなく、 むしろ、メンタリティ、特にそのモダニズムの芸術家のメンタリティと、 ポストモダニズムの芸術家のメンタリティ。 この違いのほうが大きいと思います。
モダニズムの芸術家の人間像というのは、 ある意味では非常によく知られております。 これは、すべてにおいて第一の発見者である、 そして実験者である。そういう芸術家像、 人間像であります。
彼自身、自分というものを特別な人間である、 並みの、普通の人間とはまったく異なる 人間であると考えておりまして、 自らを預言者であると思っております。 彼は、新しい地平をひらくものであり、 彼の開いた地平に続いて、他の人が、 後を行くと、後に続くというふうにとらえております。 これが、モダニズムの作家、芸術家の人間像であります。
で、ポストモダニズムの芸術家の人間像、というのは、 あるいは、メンタリティというものはまったく逆であります。
たとえばモダニズムの芸術家は自分の思想、 考え方というものが特別であり、そして、 特別であるというふうに考えているとする、そしてそれについて 非常に確信しているとすると、 ポストモダニズムの芸術家は、決してそれほどユニークなもの ではなくて、他の思想と並ぶような、同等の、少なくとも それを超えるものではないというような自覚を持っています。
ですから、モダニズムの芸術家にとっては、この自分の理想に対する ゆるぎない確信のようなものがあるとすると、 ポストモダニズムの芸術家にとっては、あらゆるものを 外からの目で見ようとする、そういう傾向というものがあります。
ですから、もう一度いいますと、モダニズムの芸術家というのは、 自分と自分の思想というものを、特別なもの例外的なもの ユニークなもの、そういう風に考えているのに対して、 ポストモダニズムの芸術家は、自分は月並みな、普通の人間であると いうこと、そして、自分と自分の思想については、 いつも一定の距離をおいて、 評価する、であるから、アイロニーとかユーモアというものを 常に伴うということであります。
おそらく、この会場にいらっしゃる方々は、私と同じく、 ポストモダニズムの意識、の持ち主に属する方々だと 思います。 まあ、そういうこともありまして、私は、側面から、 このアヴァンギャルドタイプの、つまりモダニストタイプの 芸術家というものをみつめてみたいという気持ちを抱いたのです。
つまり、息子が父親の姿を見つめるというような感じでしょうか。 で、この息子のほうは、普通の、月並みな人間としての自覚をもって、 そういう暮らしをしている。 そして父親の方は英雄となろうとした、そういう生涯を送った。 この息子の目で父親をみつめる、といった趣であります。
しかしながら、この、古典的なアヴァンギャルド、前衛的な芸術家たち、 つまりこの英雄たち、というものを見つめると、この人たちも 二つのタイプにわけられるということがわかります。
で、歴史によって、いまだに、われわれの元に残っている、 芸術家たち、つまりこの、英雄的な、カリスマ的な、 芸術家たち、そういうのはそう多くはありません。
しかしながら、こういった芸術家たちのバイオグラフィ、 伝記などを読みますと、この人たちが実際に、預言者として、 あるいは、指導者として振舞い、パイオニアとしての自覚をもって 新しい地平を切り開こうとしていた、そういう姿が浮かび上がって きます。
そしてまた、たとえばロシア・アヴァンギャルドであるならば マレーヴィチとか、タトリンとかリシツキーとかロトチェンコとか その他いろいろな名前がたとえば浮かぶとします。
で、こういった人たちというのは、かなり狂信的なイデオローグであって、 そして、その指導に引かれて、また多くの芸術家たちがついていったという 歴史があります。
で、この時代の個々の伝記を読むと、そういう姿が浮かび上がります けれども、さらに、その時代を大きくとらえた、 書物をひらくと、このような派手な、カリスマ的な 芸術家たちが数十人いるとすると、さらに数百人、あるいは それ以上の、それほど有名ではない、アヴァンギャルドの芸術家たち が、いることがわかります。
おそらくたとえば、アヴァンギャルドという部屋があるとすると、 その部屋の真中に立っていたのではなくて、壁際に立っていた、 あるいは、部屋の隅に立っていた芸術家たちといえましょう。
このような芸術家たちも、やはりさまざまな実験を行い、 新しい場、オプションというものを探し求めていましたけれども、 しかし、彼らは成功者ではなかった、どちらかというと失敗者であって 決してヒーローにはならなかった人たちであります。
しかしながら歴史というものは、こういうヒーローでは なかった人たちに対しては、きわめて残酷といいますか、 酷薄なものでありまして、歴史が覚えている、あるいは 人々が記憶にとどめるものは、あくまでも部屋の真中にいた人たち、 ヒーローたちであります。
ですから、わたしがシャルル・ローゼンタールという 芸術家のイメージを作り上げるときには、 まさに、そのように歴史に埋もれた、ヒーローではなかった 芸術家たちに目を向けたわけです。
ですから、このローゼンタールという芸術家は、 やはりいろんな試みを実験したけれども、 しかしながら自分のコンセプトというものをより明確に、 派手に打ち出すことができなかった。 そういう芸術家であります。カンディンスキーとかマレーヴィチとか ロトチェンコのようにそれができなかった。 そういう芸術家であります。
さらには彼の生涯、というものが非常に突然妨げられると いいますか、終わりを遂げます。 そのために彼が残した作品、これが完成品なのか未完のものなのか それも不明であります。わかりません。
毎回、彼は何かを捜し求めていたことだけは確かなのですけれども、 しかしながらその成果、結果というものを得られなかった。
毎回自分のスタイルというものを変えていくんだけれども、 しかしそこに新たな発見を確認するわけでもなく、 そして、新たにどんな発見が必要かということを、 自覚するわけでもない、常にこの不明瞭な、はっきりしない状況の なかで漂っていた。
ですから、彼の生涯とその作品の全体像を見つめるときに、 印象としては、未完成である、そして不明瞭である。 そういうような印象が残るのであります。
さて、ではここから私どもの視点を変えましょう。 私たちは今、このシャルル・ローゼンタールという画家 の生涯をさかのぼって見つめるということをしてきましたけれども、 その視点を変えて今度は、それを見つめるわれわれのほうに、 目を向けましょう。
で、観客として、 美術館の訪問者としての私どもを見ると、 この私どもも、ふたつのタイプに分けられると 思います。
第一のタイプの観客というのは、いつも、 明快な答えを求めるタイプであります。
このようなタイプの観客というのは、世界はすでに完成されている 完結しているというふうにとらえておりまして、ですから、 常に完成された作品といったものを求める、そういうタイプであります。
ところが、もうふたつ目のタイプの観客というのは、 答えよりも疑問を求める、質問を求めるタイプの観客であります。
彼にとっては、世界もそしてさまざまな事件も一連の質問である 疑問であるというふうにうけとめられ、その質問に単純に 明快に答えることは不可能だという風に考えています。
ですから、このタイプの観客というのは未完成なものを 好む、未完成な、より多くの質問を投げかけるようなものを、 完成品よりも好むという傾向があります。
で、これは、本当かどうか知りませんけれども、日本の言い伝えでは、 どんな宮殿もお城も、それが建てられる場合に、 必ず未完成のところを残したというようなことを聞いております。 これは本当かどうか知りませんが。
といいますのは、そのような形で、ものを建設すると、 それを建てた人にも、それを訪問して、見る人にも、使う人にも、 まだ未完のもの、つまり、 未来というものが残されるわけです。
このたとえ話をもう少しつづけますと、もちろんすばらしく 精巧で、完璧な完成品は、私どもの感激感銘というものを 呼び起こすものであります。
しかしながら、同時に、私どもは、未完成なもの、 不明瞭なもの、こういったものに、ひかれるのであります。 こういったものに魅力を感じるものであります。
さて、このシャルル・ローゼンタールという人のもうひとつの 重要な問題点に目を移しましょう。 先ほど言いましたように、歴史というものは勝者を好む、 勝者を後の世に残してくれるといいます。
そして、失敗者というものは歴史の道から掃き清められてしまい、 二度と現れるなという立場の人間になってしまいます。
実はこのローゼンタールの展覧会というのは、ある意味では、 その失敗者、失敗した人生を再現する、復元する という試みでもあります。
つまり、ここで復元されるのは、出来上がった結果を再現する のではなく、そこにあった意図、試み、芸術家が意図したもの、 試みようとしたもの、そういったものを再現しようというものです。
実は2年ほど前、京都にも行きまして、私どもは、 銀閣寺にまいりました。で、この銀閣寺にいくというときに、 行く前に、これから銀でできた宮殿をお見せするといわれ ました。
で、実際に建物を見たときに、どんな方向から見ても、 どんなに頭をひねっても、銀の宮殿というものは現れなかった んですね。 屋根さえ銀色ではなかった。
で、そのときに、私どもに同行してくれた友人が こういいました。
実は、この宮殿を建てた、お殿様は、本当に銀の宮殿を 建てたかったんだ。
しかし残念ながら、その人には 銀のものを建てるほどのお金がなかった。
しかしながら歴史は、結果としては 銀のものは建てられなかったけれども、自分の建てたいという 希望、意図、それだけは実際に残したんだよと。
そのようなたとえ話に私どもは大変心をうたれました。
といいますのは、人間にとっては、実際に彼が何を成し遂げたか、 どんな結果をだしたか、というよりも、どんなことをしたか、 どんなことを実現しようと努力していたか、意図していたか、 ということのほうが重要だからです。
これが私の講演であります。どうもありがとうございました。
いえ、具体的に実在のモデルというのはございません。 むしろ、ロシア・アヴァンギャルドの、三流四流の、 芸術家たちの、一般的なイメージというものから、 抽出した人物像です。すみません、もうひとついいですか。 ローゼンタールさんはですね、展覧会の中で、 ロシア・アヴァンギャルドの抽象美術と伝統的な写実主義と その間で、いろいろ回っていたわけですが、 カバコフさんは現代のロシア・アヴァンギャルドについて、 どのようにお考えですか?実際にこの人物像を作り上げるための資料としては 私が今まで出会った、さまざまな出来事や芸術家がいます。
たとえばコスタキというロシア人の大変有名なコレクターが おりまして、ロシア・アヴァンギャルドの作品をかなり集めて おりました。
で、その中にはいわゆるこの名前の有名ではないアヴァンギャルドの 作品がたくさん集められておりまして、その芸術家たちというのは、 一生、生涯をかけて何かを模索しつづけた、探し求めつづけていた、 つまり、階段を上ろうとしたんだけれども、その頂点に いたることができなかったという人たちが、たくさんいました。 それを参考にしています。
そうですね、私の見解、意見というものについていえば、 ある意味では、ないといえるかと思います。といいますのは、 歴史的にあったものはすべて、必然的だからあったのだと、 いうふうな見方をしておりますので。他にご質問はございますでしょうか? すみません、そちらの黒いTシャツの方。あくまでも、私の主観的な見解ですけれども、 私がこのような見方をするのは、 おそらく、私が、ポストモダニズム的な意識の中に あるからだと思います。
つまり、まあ、どちらかというと心非常に穏やかであって、 そして、ある程度民主主義が実現された世の中にあり、 物事をすべて皮肉な目で、アイロニカルな 目で見つめているというような状況の中で見ると、やはり、 モダニズムの芸術家、モダニズムといいますかアヴァンギャルドの 芸術家というのは、かなり、過激で、そして、どちらかというと、 トータリズムというか、全体主義的な傾向があり、 専制的で暗黒であった、だからその意味では、 私は、心ひかれないということであります。
あまりにもアグレッシブであり、忍耐力が足らず、 そして、他のものを無視すると、こういった傾向については シンパシーを感じません。
しかしながらアヴァンギャルドタイプの人間が今の世の中に まったくいなくなってしまったというわけではなくて、 このタイプの人たちはいまもたくさん、芸術家にもおります。 他のものを認めず、過激で、そして非常にアグレッシブで、 そういうタイプの人間や芸術家はたくさんいます。
どうもいいご質問ありがとうございます。 これについては、先ほど記者会見で若干述べましたが、もうひとかたくらいご質問ございましたら。20世紀という世紀が、非常にナショナルなものから、 インターナショナルなものへ、移っていく、 そういうプロセスであったということができます。 つまりこれは文化についていうならば非常にローカルな 文化から、グローバルな文化観の衝突や出会い、 こういったものが、こういったものへ移っていく、 そういう時代であった、ということができます。 メンタリティについてもそうです。
で、このプロセスというのは、痛みを伴うものであります。 といいますのは、多くの人々、芸術家が、世紀の初めにおいては、 何らかのローカルなナショナルな文化というものに属していたわけで ありますから。
そういう意味では、その、ローゼンタールという人のメンタリティと、 シャガールという人のメンタリティを比較してみる、比べてみる のは面白いと思います。
シャガールという芸術家は、人生の、生涯のほとんどを、 フランスで過ごした、そしてそこで色々な国の、色々な芸術家、 文化人に出会ってきたにもかかわらず、彼自身が追求したテーマは、 常に自分の出発点である、ユダヤ人の、 生活とテーマ、これを追いつづけたものでありました。 生涯それでありつづけた。
ところがローゼンタールは、シャガールと同じようにユダヤ人の 家に生まれ、ユダヤ人のコロニーで少年期を過ごしますけれども、 しかしながら、彼自身はより大きな文化圏に入っていきます。
それは、ロシア文化でありまして、 さらには、これは、この当時生まれ育った革命的な雰囲気の中で育った、 ユダヤ人の青年たちに多く見られた傾向でした。
実際に、このローゼンタールという芸術家は その後、フランスに移り住んだわけですけれども、 しかしながら彼が描く作品というのは、では、 マルチナショナルなものになったか、あるいは、 フランス的なものになったかというと、決して そうではなく、 彼が捨てた、去った国というものを描きつづけたわけです。
実際に彼が描いたロシアというかソ連という国は 当はすでに一国の一民族のものというよりも かなりトランスナショナルな、 多民族的なものでありました。ロシアのものでもなく、 ユダヤのものでもなく、そういったものを含めた ものでありました。 ところが、彼が描くにあたって、その中に入っていって 描くというのではなく、そことの一定の距離を保ちながら、 それを描いていくという方法になりました。
で、これは、一種のまあ、移民の心境というか、 心の持ち方といえるかもしれません。つまり、 別な国に住みながら別な国のことについて 描く、というのは、今の多くの作家や、芸術家が、 やっている創作活動において見られるものであります。
これは20世紀に特有の人間の心の状態といいますか、 肉体的には別な空間に移動しているのに、過去に肉体があった 空間について、ずっと描きつづける、思いつづけるという、 この心理であります。
で、それは実際の彼の創作活動にも、如実に現れておりまして、 たとえば、白を使うとかですね、ミニマリズムの影響とか、 そういうものが随所に見られる一方で、彼がいままで受けてきた 古い教育の結果、つまりリアリズム、写実主義へのこだわり とか、あくまでも機械を使わずに手を使って描くとか、 そのように、両方のものを抱えて、生きているというところが 出ています。
そしてこれは、非常に今日的な、音楽家とか詩人とか作家が 抱える問題であります。たとえばヨーロッパの周辺に 生まれ育ったそういった芸術家がヨーロッパの中心にやってきて、 しかしながら、あくまでも周辺にいたときの、 記憶とか、あるいは、テーマというものを追いつづける というものであります。
で、彼はシャルルと名乗りますけれども、これも、この時代の 特徴といいますか、本当のこの人の名前はショルムという、 ユダヤ人特有の名前なのですけれども、フランスにやってきて、 周囲とのコミュニケーションをとりやすいように、 ということで、彼はシャルルと名乗ります。
残念ながらそのご質問にお答えできないのは、 それに関する資料というのは、手元にないんです。 逢坂恵理子さんと、私、フランスのほうから、 ここにきました資料だけ、送られてまいりまして、それを元に、 何とか再現したまでですから、それ以上のことはわかりません。(笑い)えっと、それでは、奥のブルーの。
はい、そうです。私は生粋のユダヤ人であります。 私の両親がユダヤ人でありまして、その前の代も前の代も、 ずっとユダヤ人です。えっと、そうですね。あとおひとり、いらしたら。 いっぱい手があがっちゃっているんですけれども。 じゃあちょっとごめんなさい。前の方。で、実際に、ではあなたは、ユダヤの芸術家なのか、ロシアの芸術家 なのかという質問をされますけれども、それについては、 私は、いわば、雑種の野良犬のようなものだ、というふうに 答えております。といいますのは、わたしの身体は確かにユダヤ人の 家に生まれましたので、身体はユダヤ人なのですけれども、 頭はといいますと、実際にわたしが受けたのは、ロシア文化と ロシア文学を身につけて育ったということでありますので、 それがひとつ。 それからもうひとつ、心のほうは、どちらかというと、 ソビエトの教育を受けて育った。ソビエト的なイデオロギー のもとで育った。では、美学というか、美術、画業の理想は どこにあったというとやはり、ヨーロッパ的な美術、 といったものにひかれて育った。そして、実際に私は今、 アメリカに住んでいると、いうことがありますので。
つまり、まあ、美術用語で言えばユニットのようなものであります。 組み立てられた製品であります。 つまり、ユニットですね。いろんな部品を組み立てもしたもので あって、ひとつの有機体ではないと。
実にすばらしい質問をありがとうございます。実は私が、 美術学校に入ったころ、なかなかうまくいかなかったんですね。 何一つうまくいかなかった。要領よくお答えいただいたんで、後ろのほうでお手を上げていた方 あと、おひとりだけ。これで最後にしたいと 思います。で、いったい私の周囲はいったい何であるのかということを 考え出したときにいったい何なのかよくわからなかった。
何かをみつめると常にわたしはコメントした。解釈しようとした。
で、実際にいろんな人々、芸術家の作品をみて、 その伝記を読んだりしているうちに、そのひとつひとつと、 そのことによって、私は、心の安定を得て、 そして、それになりきることはできないというか、 そのひとりとひとりの作家との間に距離ができた。 こうした感覚というのが実はポストモダニスト的な感覚なのではないかと 思ったのです。
とても面白い質問ありがとうございます。実際私は、映画にも、 演劇にも、あるいは、文学にも、さらには、音楽にも、 また、絵画にも、興味をもっておりません。 大した関心をもっておりません。私は、やはり、一番関心を もっているのは、インスタレーション、という営みに対してで あります。 しかも、トータル・インスタレーションと呼ばれるインスタレーション に、一番興味を持っています。 で、この、トータル・インスタレーションという種類の芸術は、 ドイツ語でいわれるところの、 ゲザムトクンスト いわゆる総合芸術といわれるようなものに、にております。 つまり、文章であらわされるものとか、絵であらわされるもの、 音楽であらわされるもの、あるいは物語で、あるいは演劇で、 といった、さまざまなジャンルで、あらわされるものを とりいれる作品であります。 さらには、ここに、観客自身の反応というものも、 加わるわけです。 観客が実際にこの、展示場に入ってうける印象とか、 彼が見た夢とか、あるいは将来への夢とか、空想とか、思い出とか、 そういったものすべてが、入ってくる。 まさに今回のも、こういうトータル・インスタレーションといわれるものの、 ひとつであるわけです。 で、実際には、あたかも普通の展覧会のように絵が飾ってあったり、 作品が飾ってあったりしていますけれども、しかし全体としては、 おっしゃったように一種の芝居のような、戯曲のような、 そういう印象をうけることであります。どうもありがとうございました。ちょうど時間を少し過ぎましたので、 これで、イリヤ・カバコフさんの今日のトークを終わらせて いただきたいと思います。展覧会をまだごらんになっていない方は、 どうぞ、今日のお話を踏まえて、じっくりとごらんください。 今日はどうもありがとうございました。イリヤ・カバコフさんに 拍手を。もちろん、疑いもなく、演劇的な手法で作られていることは たしかであります。 たとえば、あらすじ、劇というか芝居のあらすじとしては、 その芸術家にとっては、世界というものは真っ白な ページのようなもので、何を描いていいかということに、 迷った。
さらには、古い芸術家たちが、その白い壁面や ページをうめつくして、珠玉の作品で、それを埋め尽くすことが、 できた。そういう、かつての芸術家たちに対する強烈な 嫉妬のようなものをいだいていた。ということも確かであります。
さらにはジュリコやクールベのような偉大な芸術家になりたいと、 しかも、無名から突如有名な芸術家として踊り出たいと、 思っていた。
そして、まさに、歴史に名を残すような芸術家になりたいと思った。 先ほど、イリヤという言葉、フランス語の言葉がでてきましたが、 ほら、僕は。ここにいるよという、歴史に対して、あるいは、 世界に対して示したかった、そういう気持ちが、この人には、 あったと思います。
しかしながら、生涯の終わりに、彼が残した作品というのは、 結局これは、完成品なのか、あるいは、 未完なのかがわからない、つまりあの真っ白なキャンバスというのは、 最初に、白からはじまっていた作家が、その白いものに 回帰したのか、あるいは単なる未完なのかわからない、そういう 終わり方をしています。 というわけで、まあ、どんなトータル・インスタレーションも、 スタジオと同じように、このトータル・インスタレーションも、 あらすじというものを持っています。