矢澤孝樹の制作日記


*平成21年 7月31日付で当財団を退職いたしました。
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2009-07-31 出発(勝手にアンコール)


 一昨日は、やはりやめる中崎さんと共に、盛大な送別会をしていただいた。皆さんありがとうございます。言葉もありません(という割には長いあいさつをかまし、失礼しました)。

 昨日、引越しの準備を終え、不要なものをブックオフに売り、少しばかり入ったお金でCDを買った。アンネ・ソフィー・フォン・オッターとエルヴィス・コステロのすばらしいコラボレーション・アルバム『フォー・ザ・スターズ』。
 さっそく聴きながらひとり車で走る夜の水戸の街。水戸に来た時に最初に買ったCDがなんだったかは忘れてしまったが、このCDのことは、一生忘れないだろう。

 トム・ウェイツの『ブロークン・バイシクルズ』とポール・マッカートニーの『ジャンク』をメドレーでつないだぜいたくな曲をふたりが歌う。

 “Summer is gone,our love will remain”

 このあとに続く歌詞は錆びた自転車の話でちょっと悲しいので、その代りに僕は“forever"とひとこと補って、この日記のしめくくりとしよう。

 皆さん、ありがとうございました。
 これから山梨に出発します。皆さんもおっしゃる通り、「さようなら」はさびしいので、その代わりに
「では、またいつか」。

2009-07-29 Memory Almost Full(はじまりのさようなら)


 いつもの店で髪を切ってもらい、いつもの定食屋で昼ごはん。
 いつもと違うのは、これが最後だということ。

 未来に向けての文章をひとつ書いた。自分の名は必要ない。これはみんなのもの。

 皆さん、長らくお世話になりました。ほんとうに幸福な18年半でした。
 さようならという言葉が、本当は嫌いです。これで会えなくなってしまうような気がするので。しかし、僕にとってだけではなく、皆さんと僕との間においても、それが新しい「はじまり」であることを意味してくれるならば、その言葉を使ってもいいのかもしれません。

 音楽のあるところ、皆さんと僕はいつでも会えるのだと信じて。
 さようなら。

2009-07-28 引越し中+最終課外活動。


 自宅の引越し準備たけなわです。CD&DVD段ボール41箱分、マンガ22箱分。これから本と楽譜、雑誌です。よくあれだけのものが6畳の部屋に…。魚屋の魚を残らず収納できるこまわり君の胃袋とタメを張れそうです(『中春こまわり君』読まれましたか?すごい傑作です)。

 発売中の『レコード芸術』8月号、特集ほかいろいろ書いています。海外盤試聴記を「コンサートホール学芸員」という肩書で書くのも、これが最後です。

 明日でこのブログの更新も最後です(予定)。

2009-07-26 見果てぬ夢。


 アンサンブル・オルガヌム。ムジカ・アンティクヮ・ケルン(解散してしまった)。アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(やはり解散?)。キース・ジャレット。菊池成孔&THE DUB SEXTET。ニコラウス・アーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス。忌野清志郎(亡くなってしまった)。ボルヌス・コンソート。ジョルディ・サヴァール&エスペリオンXXⅠ。オレゴン。フィリップ・グラス・アンサンブル。オルガ・トヴェルスカヤ。パット・メセニー。ポクロフスキー・アンサンブル(モスクワ室内歌劇場とは別)。アレクサンドル・クニャーゼフ。『カルメンという名の女』。『オープニング・ナイト』。

 いつか誰かが、同じ夢を見てくれるかもしれない。



 回想録完結への皆様のコメント、ありがとうございました。入らないのでここで。YASUさん、保存方法のガイドありがとうございます。なんらかの形でこのブログも保存されるとは思いますが…。詳しくはweb担当の小島さんにお問い合わせください。

2009-07-24 追悼・マエストロ若杉弘+勝手に回想[第22回・完結編]2008.1.26〜2009.7


 最初に氏の実演を聴いたのは、メシアン《峡谷から星たちへ》の日本初演だった。数々の重要作品の日本初演を行われる飽くなき熱意とそれを支える広汎で深い知識は、同じ場所で仕事をさせていただく中で、いつも驚嘆と共に実感させられていた。お話しするたびに、音楽の周囲に広がり、音楽とつながっている広大な知の世界を教えていただくことになった。あのような広さと深さには逆立ちしても追いつきようがないが、数々の講座、特に高校生音楽講座には、氏からの影響がどこかにあるのだと思う。新国立劇場のシェフとして、もっともっと日本に「必要」な音楽を、僕たちの耳と心に届けていただきたかった。若杉 弘さん、どうかゆっくりとお休みください。

(以下、勝手に回想・最終回)
 弟の突然の死は、即座に僕の心に「山梨に戻らなくてはならない」という天命を刻みこんだ。それは抗いようのない運命であり、受け容れる以外の選択肢は僕にはなかった。いくら疲れ切っていたとはいえ、芸術館からこのような形で離れることなど思いもよらなかったが、しかし、「あと1年間」という期限が自分の心に響くのに、さほど時間はかからなかった。いずれやめる運命にある人間が、その期限を引き延ばすのは、組織にとってよいことではないと思われたし、家族のこと、たとえば翌年小学校に上がる息子のことを考えても、それ以上の猶予は許されないと思った。答えはあまりにも明確だった。だが信じていただきたい、それを心の中で受け入れるのに、何百回、何千回という自問自答をくり返したことを。僕にとって水戸芸術館、そして水戸はあまりにも、自分の中のかけがえのない部分を占める存在だった。そこから離れることは、自分の体の一部をもぎ取られるような苦痛を伴っていた。

 その決意に至るまでには長い時間がかかったが、それとは関係なく芸術館の仕事は進んでゆく。とはいえそのひとつひとつが、自分にとっての集大成であり、遺言となることを僕はどこかで意識していた。WALK56号で書いた西原理恵子論には、その直接的な反映がある。論としてうまくいったかどうかは自信がないが、内容と自分の状態が激しく共振してしまっていることに、読みなおしてみると気づく。水戸市国際交流協会での講座や、友の会のLD鑑賞会(「LD鑑賞会リヒテル」参照)の仕事が、僕を支えてくれた。リヒテルという、あらかじめ定められた喪失を不屈の意志で乗り越えながら、深い諦念と祈りを音楽に宿らせるピアニストは、この頃の僕にとって大きな啓示だった。彼の弾くバッハの平均律や、シューベルトの変ロ長調ソナタに、どれだけ救われていたことか。5月には「ブルーノ・レオナルド・ゲルバー」ピアノ・リサイタル(以下、カギカッコの企画は対応するタグをご参照ください)。MCOとの共演などで何度かお仕事を共にしたこの巨匠を担当させていただくのも、何か運命的なことに思われた。かつて苦手だったベートーヴェンの音楽に、とことん向かい合う機会となったのも、“卒業制作”という思いがした。この1年の招聘企画のうち3つは“ベートーヴェンは生きている”というシリーズになっている。関連企画として映画「ノスタルジア」上映を行った。僕が、映画というものの恐るべき力と可能性を、震撼と共に最初に実感した作品。それを皆さんと共に鑑賞する機会が最後に巡ってきたのも、また運命である。秋にはこれと対応する形で(ハーゲンSQの関連企画として)ゴダールの『カルメンという名の女』を上映することを構想していたが、配給権が切れており残念ながらかなわなかった。「高校生音楽講座2008」では、最初の3回をベートーヴェンにあてた。高校生たちと共に、あらためてベートーヴェンの凄さとその存在の意味について考えてみたかったのだ。

 MCO第3回ヨーロッパ・ツアーに、小口総楽団長の命により、記録書籍の執筆者の一人として参加させてもらうことになった。取材にあたり、MCOの訪れる街を、ツアーの日程に合わせて旅人の目で取材し、その音楽文化について考察せよという課題が与えられた。最初に聴いた時、そんな無茶な、と思った。どの街も滞在日数はほんの2、3日で、その間にどれだけのものを観て、聴いて、考えることができるというのか。しかし、“やるしかない”という声が、頭のどこかに響いていた。その結果が、「水戸室内管弦楽団と巡るヨーロッパ音楽紀行」の『街と音楽』のパートだ。どのような評価をいただくかは別として、自分としては持てる力のすべてを出し切ったと思っている。小口総楽団長の出す課題は、いつも最初に聞くときは“それは無理では…”と途方に暮れるのだが、その意味を考えながら全力を尽くすと、必ず自分が思ってもみなかったような可能性の広がりを与えてくれ、達成へと導いてくれる。
 MCO第72回定期演奏会と第3回ヨーロッパ・ツアーをめぐる激動のドラマについては、前述の本の中に、特に広瀬大介さんの詳細でライヴ感あふれるレポートとしてまとめられているので、ここでは繰り返さない(vivoにもコンパクト・ヴァージョンでまとめてある)。制作に関する裏話を期待されるかもしれないが、あまりに多すぎるし、面白おかしく語るにはあまりにも重すぎる。小口総楽団長、関根さん、中村さんをはじめとする制作陣のあまりに壮絶な苦労を目の当たりにした者としては、その努力があってはじめてあの演奏会とツアーは成立したのだ、ということを強調するにとどめたい。ほんらい取材者に徹するはずだった広瀬大介さんすら、通訳等の労をとっていただき、たいへんな苦労を共にしていただくことになった。ありがとうございました。
 それに比べれば僕の取材の苦労など小さなものだが、しかし皆のかけがえのない苦労が実現させたツアーを汚すものにだけは絶対にしたくないという思いから、とにかく限られた時間の中で全力を尽くした。カメラマンの大窪道治さんと共に街を歩きに歩いた。その街のもっとも高い建築物を階段で上るというノルマを課し、ふたりでえっちらおっちら登った。フィレンツェでは、一日9時間歩いたし、さらにそのあとテアトロ・ゴルドーニのヘンツェのオペラを観るためにホテルから20分ダッシュしたりしている。あの本に掲載されている数々の風景は、大窪さんと共に「観た」風景である。大窪さん、本当にお疲れさまでした。

 ヨーロッパ・ツアーのあとは、準・メルクルを迎えてのMCO第73回定期演奏会。そして8月には、新シリーズ“ちょっとお昼にクラシックEXTRA”第1回として、小倉貴久子さんのエラール・ピアノによるショパンとリスト(「ちょっとお昼EX小倉貴久子」参照)。小倉さんについては1995年にオーケストラ・シンポシオンとの共演を聴いてすっかり魅了され、そのことを読売新聞全国版に書かせていただくという機会に恵まれた。それ以来、念願だった芸術館への招聘を、ついに実現することができた。しかも、満員のお客様でお迎えすることができたのが嬉しかった。8月には笠間中央公民館で学芸員3人のリレー形式による音楽史講座も行った。
 9月にはミト・デラルコの第11回演奏会。所沢でも館外公演を行った。シューベルトとメンデルスゾーンで、ついにミト・デラルコはオール・ロマン派プログラムへと到達した。メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第2番の濃い内容に、目を輝かせて取り組んでいた皆さんの姿が忘れられない。それが古楽であるかとかピリオド楽器であるかとかよりも何よりも、皆さんの音楽への深い熱意と純粋な探求心に、僕はいつも心を打たれていた。10月には「ソフィー・イエーツ」チェンバロ・リサイタル。フランスものとJ.S.バッハを組み合わせたプログラムで、すばらしく冴えた演奏を聴かせてくれたが、いまひとつお客様が集まらなかったのが残念だった。11月にはMCO74、バロック・プログラム。シュトゥッツマンが歌い指揮するヴィヴァルディ〈スターバト・マーテル〉がたいへんな熱演だった。メンバーの活躍はもちろん、クリスティーネ・ショルンスハイムの剛毅かつ繊細なチェンバロが忘れられない。12月の第9、開会あいさつもこれが最後。茨城大学の授業も最後。さらに11月には、母校である慶應義塾大学のアート・マネジメントの授業で話させてもらった。ついヒートアップして、時間ぎりぎりまで話し続けていた。恩師である美山良夫先生への、ささやかなご恩返しである。そういえば前年には学芸大でも授業を1回やらせていただいた。芋づる式に思い出すが、2006年と2007年にはNHK-FMのベストオブクラシックの解説をやらせていただき、またミュージックバードのクラシック番組の構成もやらせていただいた。語る仕事、伝える仕事がどんどん広がっていたのだ。

 年が明けて「ニュー・イヤー・コンサート」2009、『うたの翼に』。自分にとって集大成となる最後のニュー・イヤー。林美智子さんをふたたび迎え(司会の山本志保さんも再登場)、どこからも文句をつけられない内容を目指した。が、NHKの予定放映時間を3分超えて放映がフェイド・アウト終了となってしまったことで叱られて、これもまた人生。
 そして2月の『SAXOPHONES MEET KEYBOARDS』(「平野公崇サクソフォン」「西山まりえ」「山下洋輔」参照)。越境音楽シリーズのしめくくり。実は、「渋さ知らズオーケストラ」であまりにも焼尽してしまったので、最後は静かな室内楽的な世界を考えていたのだ。だが、平野さんという音楽家のエネルギーはとてもその枠におさまるものではなかったし、西山まりえさんに共演していただきたいと思った時点で、この演奏会は途方もないものになることが宿命づけられたのだと思う。そして、山下洋輔さんにご出演いただくことで、その方向は決定的になった。山下さんの参加については挿話がある。実は、最初に予定していた平野さんとの打ち合わせ日の直前に弟が死んでしまい、やむを得ず延期してもらったのだ。再打合せの時点で、西山さんの共演を提案することは決心していたが、ピアニストについては悩んでいた。山下洋輔さんのことはもちろんまず考えていたが、あれほどのビッグ・ネームの方に、共演という形でお願いしてよいものか、決心しかねていたのだ。しかし平野さんとの打ち合わせで出てきた名前は、やはり山下さん。これは当たってみるしかないと決心してお願いしたところ、ご快諾くださった!もちろん、平野さんというアーティストへの山下さんの信頼あってのものだろうが、僕はひそかに、山下さんの大ファンであり、芸術館にまた登場してくれたら必ず聴きに行くと言っていた弟が、背中を押してくれたように思えてならなかったのだ。そしてこの演奏会は、あらゆる意味で越境音楽シリーズの集大成となった。僕はこの演奏会を芸術館で実現できたことを、心から誇りに思っている。
 これと並行して、水戸市国際交流協会の講座シリーズが自分にとっての最終回を迎えていた。僕はガーシュウィンとピアソラについて語った。公にしてはいなかったが、5年間にわたり聴いて下さった皆様への、そして国際交流協会の方々への別れの挨拶だった。さらに「WALK」58号日記特集で、弟の死以降のことを日記でつづりながらこうの史代マンガの日記性を論じた。まるで何かに導かれるように書いていた。こういう機会を与えてくれたWALK編集長の辻本力さんには心から感謝したい。しかし残念なことに、彼は僕より一足先に、芸術館をやめてしまった。今後の活躍を心から祈っている。菊池広子さんのデザインもすばらしい。2月には水戸映画祭で「ツィゴイネルワイゼン」上映も行い、プレトークを行った。これは僕にとって、シネマパンチへのささやかな恩返しである(果たして恩返しになったかな?)。広報係の超・映画通、桧山さんとお仕事できたのも嬉しかった。そして茨城放送で山本まり子さんのプロデュースのもと行ってきた番組「タッチ・ザ・クラシック」も、3月で終わりを迎えることになった。

 最終章が近づいていた。井上 修さん、中澤敏子さんと「茨城の音楽家による演奏会企画」の最後の担当を終え、「ATMアンサンブル」第22回演奏会そして碧南公演。ライスターの後、ゲストに小菅 優さんをお呼びしたいと思った。若々しい力とATMとの共演、きっと面白くなる、と思ったのだ。幸い上司も、そして原田幸一郎さんもこの提案に乗って下さり、小菅さんの登場となった。その演奏のすばらしさについてはご存知の通り。お呼びしてよかった、と心から思った。庄司紗矢香さん、小菅 優さんという次代を担う若手の演奏会に関われたのは、自分の芸術館最終期における、大きな喜びである。きっと、“先”につながってゆくはずだと信じている。そして、ATMアンサンブルの皆さんと共に仕事し、共に旅するのもこれが最後。皆さんに惜しんでくださり、幸せな担当の仕事をさせていただいた、と心から思った。碧南の皆さんと会うのも最後となった。碧南は、僕にとって郷里、水戸、東京の次に数多く訪れた街だったかもしれない。穏やかな気候に恵まれ、あたたかい心の方々がいるあの街のこと、あの素敵なホールを、僕は決して忘れない。

   ここで自分の担当企画は終わる。本当は、4月にはもう山梨に行っているはずだった。だが、小口総楽団長から、引き継ぎも考えて、7月のMCOまではいてほしいと言われた。こうして僕にとって、かけがえのない“余韻の3か月”が与えられた。そのことを感謝している。もうしばらくの間、芸術館との、水戸との別れを惜しむことができるのだ。  とはいえ3月のATMが終わった時点で僕は全力を出し尽くして完全燃焼してしまい、体調は最悪だった。ストレスで逆流性食道炎になり、4月上旬は郷里で病院通いだった。母親に、死人のような顔をしていると言われた。だが、不思議なもので、体調が回復するとまた芸術館に戻ってしまう。余韻の中で、MCO75回演奏会のすばらしいメンデルスゾーンが生み出されてゆくのに従事した。小菅さんが輝かしく弾いていた。内原中央公民館でハイドンとメンデルスゾーンの講座を行い、茨城音楽専門学校でも講座を行った。アンデルシェフスキの曲目解説を書き、MCO76の曲目解説を書き、最後のvivo執筆と編集を行い(“裏編集長”としてがんばってくれた同僚の中崎美智代さんも、まもなく芸術館を去る)、MCO76(マエストロ・メルクルと、そしてMCOの皆さんとの別れを惜しんだ)のプログラムでは、海老根聡さん、漆崎洋七郎さん・京子さんご夫妻という、近年芸術館ファンになってくださったお客様との座談会(実はこれも小口総楽団長の提案)を掲載した(新しく部門に入った高巣さんと共に仕事ができた)。ここでお三方が語られている内容は、これからの芸術館にとってだいじな意味を持つことばかりである。この座談会を残せて、本当によかったと思っている。未読の方はぜひコントルポアンでバックナンバーを購入して読んでいただけると嬉しい。事務局ではいろいろと改革の動きが進んでいたが、僕は嫌がられるのを承知で、機会がある度に言える限りの意見を言い続けた。皆さん、最後までうるさい矢澤ですみません。

 “余韻”といいつつ、忙しい3か月だった。どこかで、終わってほしくない気持ちがあり、終りを忘れるために常に動き続けていたのかもしれない。
 だがそれでも、終りは来る。

 これで僕の水戸芸術館における18年半は終わる。いろいろあったが、すべての方々に感謝している。幸せな仕事をさせてもらったと思っている。そして、その環境に甘えず全力は尽くしたつもりだ。
 とはいえ、ここを去ったのち、僕は徐々に皆さんの記憶から遠ざかってゆくだろう。芸術館が前に進んでゆく限り、思い出されることも、だんだん少なくなっていくだろう。
 しかし、それでいいのだ。それが前に進むというものだ。僕もまた、新しい仕事にこれから必死で食いついていかねばならない。日々の忙しさは、“懐かしさ”という箱の中に芸術館を格納するよう強いることだろう。しかし芸術館は僕にとって大きな存在であり、それはこれからもずっと変わることはない。
 自分も芸術館にとってそのような存在でありたいなどと、大それた望みを抱くわけではない。だが、これから芸術館が前に進んでゆく中で、僕のやったことが、目に見えない形でも、誰かの心の中に生き、新たな発展の可能性の芽となってくれるならば、こんなに嬉しいことはない。この「回想」はそのためのひとつの記録である。ここに書かれたことは、芸術館に勤める多くの人々が、それぞれ形は違えど多かれ少なかれ経験してきたことだ。僕が特別というわけでは決してない。みんなが、かけがえのない努力をしてきた。僕がこうして自分のことを記録するのは、自分が何をしたかを証明したいからではなく、芸術館という場所が、生きた人間たちが考え悩んできたことの集積から成り立っているという、ほんのささやかな一例を示したいからにすぎない。願わくばこれが(反面教師でもいいので)何かの役にたちますように。そして、小さな願いをつけ加えるならば、矢澤孝樹という人間を、ごくたまにでもいい、ああ、こんなバカで一所懸命なやつがいたなあ、と思い出すためのよすがとなってくれれば、ちょっと嬉しいのだ。小島さん、このブログ、できればどこかに残しておいてくださいね。もちろん、消滅するならば、それもまた運命なのだろう。こうして書いたことがあなたの目に触れたことの奇跡を、なにより僕は感謝しているのだ。

 ここ2年半の“アーティスト行脚”はまずポール・マッカートニーだった(ベックの全アルバムも踏破したが)。以前どこかに書いたかもしれないが、ポールという人はクラスの優等生、学級委員長タイプで、信頼度は高いけれどいわばカリスマ不良的な人気を博すジョン・レノンに比べて損をしているところがある。ビートルズの解散をめぐっても損な役割を引き受けていたし、死によって伝説となったレノン(それ自体は本当に大きな悲劇だ)の後も、彼は生き続け、80年代から90年代をタフにサヴァイヴァルしなくてはならなかった。実験精神も横溢しているし、ワイルドなロックンロールの人だとも思うが、常にポップ・ミュージックの学級委員長たることを要求されてきて、相当苦しかったのではないだろうか、とも思う。しかし彼は、乗り越えてきた。笑顔で。その強靭な精神と尽きせぬ音楽への愛に、この2年半の僕は励まされてきた。月1枚のペースで時代順にアルバムを聴くという行脚の旅が、この6月に現時点の最新盤でちょうど終着点を迎えるという偶然に、僕はまたしても運命的なものを感じてしまった。そのアルバムのタイトルは、『メモリー・オールモスト・フル』。

(「勝手に回想」完結)

*ブログはあと2回くらい続く予定です。

2009-07-16 最終宣伝文+勝手に回想[第21回] 2007〜2008.01.26


 MCO第78回定期演奏会の宣伝文を書く。これで最後の宣伝文。スペースが限られているのでごく短くエッセンスをまとめ、未来への思いを乗せて。

 ここ数日机の片付け。18年半たまったものを整理するのはたいへんだなあ。過去の資料を見ているといろいろ思いだしてひっかかってしまいきりがないので、とにかく潔く捨て、託すものは託す。シュレッダーを詰まらせてしまい、総務係の郡司さんに迷惑をかけた…。

 お客様に送別会もしていただいた。いや、お客様というより、芸術館を通じて知り合った年上の友人の方々、というべきだろう。そんな出会いがあったことにも感謝。

(以下、勝手に回想)
 前回同様、ブログで対応するタグのある企画についてはカギカッコでそのタグ名を記しています。2007年の「ニュー・イヤー・コンサート」は『世界に、いくつもの花。』。某人気グループの歌に、多様な花(価値観)があると認識してこその“個”では?と対抗してみました。花の名曲いろいろ。チャイコフスキー〈花のワルツ〉の野平多美さん編曲版など。ゲストは天羽明惠さん、〈花から花へ〉の熱唱。司会はNHKアナウンサーの内藤裕子さん。4月から「高校生音楽講座2007」の開始。「回想」の高校生編を読み返していただきたいが、僕は中学・高校の頃、何人もの素晴らしい人生の先輩・音楽の先輩に出会うことでいろいろと教えられてきた。自分が“教える”なんて偉そうなことは言えないが、あの頃の自分が聴きたいだろう話を、今の高校生とわかちあいたかった。この企画を盛り上げてくれたのは、熱心に参加してくれた高校生のみんなである。おかげで毎回毎回、全力投球させてもらった。僕は君たちのことを“生徒”だと思っていない。年若い、すばらしい友人たちだと思っている。本当にありがとう!いつか君たちがまた、次の世代へ“種”をまいていってくれることを。
 新年度の音楽部門、招聘企画のテーマはバッハ。『BACHのための4人』(ピアソラの曲のタイトルをもじって使わせていただきました)と題し、BACHのアルファベットに対応させたタイトルを各演奏会につけた。4月の「高橋悠治」ピアノ・リサイタルは“Bravery(勇気)”。バッハとハウアー作品を組み合わせた、高橋さん以外誰も考えつかないプログラム。ヘルダーリンの箴言と響きあう、浮遊するようなハウアーの音楽と、逸脱と遊びに満ちたバッハ。プログラムには独文学者・宮原朗さんにヘルダーリン・ガイドを書いていただいた。18日の高橋悠治の肖像もよろしく!関連映画企画は「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」。ユイレ&ストローブの伝説的作品を、上映することができた。大学自体に観た時は爆睡してしまったが、今はそのすばらしさを感じることができる。そしてその日の観客の方々も、すばらしい集中力で感動して観て下さった。6月は「水戸室内管弦楽団」68&69。メンバーのソロとベートーヴェン:SQ13番の合奏版(!)が聴けた68、クスマウル登場、ヴィオッティやハイドンを濃密かつ新鮮に聴かせた69。7月には『BACHのための4人』第2回、Animation(活気)、「西山まりえ」チェンバロ・リサイタル。憑依的なテンションの西山さんのチェンバロそしてハープ。まさに“踊るバッハ”、最高だった。ちなみに第3回Clarity(明晰さ)ミリヤム・コンツェン、第4回Heart(心)マリオ・ブルネロ、以上の担当は関根さん。チラシを4枚お持ちの方はぜひ並べて下さい。第3回&第4回の関連映画企画はソクーロフ監督の「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」。小口総楽団長の発案で、開館記念MCO第1回定期にロストロポーヴィチがゲスト出演した際にサインしたチェロ台を飾ったりもした。遡るが7月には「ミト・デラルコ」第10回、ハイドン作品50−1、トマジーニ変ロ長調Ko11、ベートーヴェン5番。秘曲トマジーニ、お聴きいただけたろうか。8月には越境音楽「渋さ知らズオーケストラ」、昨年に続いて水戸市民会館での実施。あの壮絶な祝祭は、越境音楽シリーズの臨界点だった。僕は終わった直後に寝込んだ。渋さは最近、メンバーの方に残念な事件があったが、試練をぜひ乗り越えてさらなる大暴れを展開していただきたい。10月には「ATMアンサンブル第22回」カール・ライスター再登場で今度はしみじみブラームス。11月の「水戸室内管弦楽団」70&71、前半はヴィンシャーマン指揮のバッハ、後半はパイヤール指揮するフランスものと、独仏の巨匠が得意レパートリーでそろい踏み。

 年が明けて2008年の1月、「ニュー・イヤー・コンサート」は“音楽の女神(ミューズ)に捧ぐ”。女性に捧げた演奏会。ルニエやクララ・シューマンら女性作曲家の作品もあり、かと思えばJ.シュトラウスのワルツ“酒・女・歌”があり。林美智子さん初登場、前半でブラームスの歌曲をしみじみ歌ったかと思えば、後半は華麗な〈カルメン〉で客席の中まで入る熱唱!司会はNHKアナウンサーの内藤裕子さん。
 ニュー・イヤーは、自分の知力と制作力をふりしぼる演奏会だった。自分が担当する中で、もっともたいへんな演奏会だったことは、掛け値なしでいえる(もちろん、スタッフをはじめ多くの方々のサポートあってこそ成立するものだ)。演奏会の前後は、ここ数年いつも心身ともにガタガタだった。しかし、水戸芸術館でなければ聴けない内容のニュー・イヤー・コンサートを、お届けすべく全力をつくしてきたつもりだ。皆様、お楽しみいただけましたことを。

 2005年から佐川さんが入り、現在いるスタッフのすべてがそろった(僕の替わりに入ることになった高巣さんは今年4月からだが)。ここ数年の音楽部門の制作力の高さ、スタッフ一丸となっての努力は、誇れるものだと思う。その一方で、僕はこの数年ひどく疲れ、消耗していた。誓って言うが、同僚たちはいつも最高の仲間だったし、お客様の確実な支持も大いに励みとなっていた。だが、(あくまで内的なものだが)何か見えない壁のようなものがあり、それは不定形となって自分の行く先に立ちふさがっているような感覚に常に襲われていた。その壁と闘うことに僕は全力を費やし、著しく疲弊していた。ニュー・イヤー・コンサートが終わった後には、いつも空っぽになり、達成感の一方で深い虚脱感に襲われた。
 2008年1月もそうだった。自分が半ば壊れているような感覚から立ち直ることができなかった。野平一郎さんのモーツァルト:ピアノ・ソナタ全曲演奏会シリーズの翌日、1月26日は39歳の誕生日だったが、僕は発熱して寝込み、深い憂鬱に襲われていた。あまりにも具合が悪いので、病院に運転して行って点滴を受けたのだが、高熱は下がるまでもなく、ふらふらになって帰途についた。事故を起こさなかったのが不思議なくらいの状態だったが、なんとか帰宅し、倒れこむように寝た。やがて、携帯が鳴った。それは母からの、弟の交通事故死を告げる電話だった。僕の運命はここで変わった。(ここから先は、WALK52号『世界の片隅で日々を記す』をご参照ください。ちなみに完売間近だそうです)

 あとで知ったのだが、彼が事故死した時刻は、僕が病院から帰途についた時刻と、あまり変わらなかった。今でも、彼が身代わりになってくれてしまったような気がして、ならないのだ。

 しばらく連載はお休みをいただきますが、もう少しだけ続きます。

2009-07-15 勝手に回想 [第20回] 2005〜2006


 2005年1月のニュー・イヤー・コンサート、テーマは『LOVE&PEACE』時事性や平和への願いを盛り込むべし、という要請に応えてのこのテーマである。ビーバー〈バッタリア〉とか、ジェフスキ〈ジョン・レノン“平和を我等に”に基づくショート・ファンタジー〉など、いやー凝ったプログラムになってしまった。最後は工藤重典さん独奏のヴィヴァルディ〈ごしきひわ〉。なぜこの曲が?どうぞご一考を。ゲストはソプラノの森 麻季さん、司会はTBSの長岡杏子さん。3月は前年の『奥様女中』に続く若杉弘企画顧問の室内オペラ企画、『ふたつの電話』。プーランク〈声〉とメノッティ〈電話〉を一夜で、という若杉さんならではの企画。栗山昌良さんの演出、釜洞裕子さん、高橋薫子さん、立花敏弘さんの出演。『オペラの花束』シリーズを支えた谷池重紬子さんの華麗なるピアノ。3月はATMアンサンブル第20回定期演奏会。田部京子さんを迎えてのシューマン:ピアノ五重奏曲で、華やかに20回を祝う。プログラムには過去20回の演奏記録を掲載。4月は「越境音楽」、ポルトガルの若き歌姫クリスティーナ・ブランコ。ニュー・ファドの旗手であり、ジャズやボサ・ノヴァの要素をみごとに取り入れ、ファドが完全に「現代の音楽」になった。実物は意外に小柄な方だったが、ステージ衣装に身を包み歌えば何倍にも大きく見える。満席のホールに大西洋の風が吹く。関連プレ企画の映画上映はポルトガルの老巨匠マノエル・デ・オリヴェイラの『永遠の語らい』。ポルトガルしか関連性がないじゃないかとつっこまれたが、ポルトガル人のメンタリティをみごとに表した「旅の映画」であり、クリスティーナ・ブランコの世界とは本質的なところでつながっている(アンデルシェフスキのインタヴューにもありましたね)。映画企画では毎回僕がプレトークをやるのだが、このときは開映45分前に別件で上司に呼び出され、サンドバッグのように怒られるという事態が発生した。もちろん僕に責があることだったが、30分にわたって怒られ、15分前に解放された。「矢澤は話せるのだろうか」と周囲に心配されたが、不思議なもので気持ちが恐ろしいほど静まり集中し、それまでで最高のプレトークが出来たと思う。「覚悟を決める」ことの強さを学んだという点で、僕はこのときの試練に、怒ってくれた上司に感謝している。お客様の入りもよかったが、悠然たる流れの末に突如訪れる衝撃のラストに、あまりのことに皆さん呆然としていた。これがオリヴェイラだ。
 5月には『ぞうのババール』。先輩である室住素子さんが企画した子どもの日の名企画を、前年から復活した。画像を舞台技術の岩崎さんがデジタル化してくれた。長野羊奈子さんの語りと高橋アキさんのピアノ、不滅の名コンビ。6月〜7月はMCO。第61回は指揮者なしで〈汽水域〉〈イタリア〉の再演など。第62回は小澤征爾音楽顧問の指揮で、〈プラハ〉などモーツァルト・プログラム。この回から千波湖畔でのスクリーン・コンサートがはじまった。小澤さんが終演後湖畔にかけつけることになったが、その前に、先に出番が終わった出演者がリレー式に演奏をくりひろげた。なんと僕は司会をやった。小澤さんの到着をハラハラしながら待ち、ついに登場した小澤さんを「マエストロ小澤の登場です!」と紹介した瞬間、地鳴りのような歓声が上がったのが忘れられない。これだ、これが必要なんだ。
 9月にはミト・デラルコ第8回演奏会。ボッケリーニとシューベルトの弦楽五重奏曲を組み合わせたプログラム。ゲスト・チェロ奏者はエマニュエル・バルサ。高山で館外公演を行った。書き落としていたがミト・デラルコも近江楽堂や碧南、山口、所沢、福岡、栃木、神戸、紀尾井ホール等で館外公演を行っている。特に、熱心に招聘し、応援して下さった山口や所沢の方々には深く御礼申し上げたい。同じ月に間宮芳生企画顧問の企画『ソング・シアター ワイルからガーシュインへ』。前田裕希さんと佐藤允彦さんが2人の作曲家の世界をACM劇場で粋に再現。11月のMCO63&64は、どちらも指揮者なし。前半は樫本大進さんを迎えてのメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(ニ短調のほう!)など。後半はクスマウル氏がゲスト・コンサートマスターとして登場、そしてブルーノ=レオナルド・ゲルバーが待望のベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番&第5番を携えて登場!満を持してこの2曲がゲルバーのピアノによって「芸術館初演」されたのは感動だった。12月は庄司紗矢香さんのヴァイオリン・リサイタル(ピアノはイタマール・ゴラン)。シューマンのソナタ1番、ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン・ソナタ、そしてR.シュトラウスのソナタというヘヴィ級プログラム、そしてなんという主張に満ちた鮮烈な演奏!この演奏については、MCO76回プログラムの座談会で、漆崎洋七郎ご夫妻が熱く語られているので、ぜひご一読を。未来を向いたこの演奏会に関われたことも幸せだった。同じ月、ATMアンサンブルは単独の碧南公演を行った。スケジュールが合わず、また翌年4月のライスターとの共演も控えていたので水戸での公演はこの年見送りになったのだが、碧南からはぜひ、というリクエストがあり、3人+ゲスト・ピアニストの上野 真さんによる特別プログラムとなったのだ。しかしドビュッシーのチェロ(上村昇さん)&ピアノ・ソナタ、フランクのヴァイオリン(小林美恵さん)&ピアノ・ソナタ、ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲というプログラムは、これはこれでなかなか豪華、これなら水戸でやってもらってもよかった?上野さんのピアノはすばらしいので機会があったらぜひご一聴を。

 年が明けて2006年のニュー・イヤー・コンサートは『Stars Play Stars』、「〈星に願いを〉とか、そういう曲もやってもらいたいねえ」という要請に応えて、ならば!と「星」をテーマにした演奏会。オープニングはヨゼフ・シュトラウス〈天体の音楽〉、しめくくりはホルスト〈木星〉、えっ、そんな曲できる編成だっけ?野平多美さんの編曲という伝家の宝刀を抜いたのですねー。ゲストは前年に続き森 麻季さん。司会はNHKアナウンサーの杉浦圭子さん。この年からNHK水戸放送局による同時中継が入り、ニュー・イヤーはますます大がかりになっていった。僕ははじめて「放送台本」という形で司会の台本を書きました。小口総楽団長の徹底したチェックでご指導いただいたことは言うまでもありません…。
 4月のATMアンサンブル第21回定期演奏会はクラリネット最高の名手のひとりカール・ライスターを迎えてのモーツァルト:クラリネット五重奏曲をはじめとするモーツァルト・プロ。生誕200年を記念した「モーツァルトに贈る音楽の花束」と題したコンサート・シリーズの一環。年間の演奏会のいくつかを共通テーマでくくることを、この年から始めた。ライスター氏は豪快にして繊細、すばらしく音楽的なアンサンブルの時間が流れた。実にテンションの高い方で、おつきあいしているとこちらも妙に元気になってくる。記録写真に熱心なことでも有名な方だが、碧南の移動の際には伝説の「入線してくる新幹線車両の鼻づらが自分の背後に入った一枚」をマネジメントの方に要求する姿を見ることができた。ライスター氏は来水時に、水戸市芸術祭の一環で行われた茨城交響楽団の演奏会も指揮した。厳しく妥協のない練習を通じ、ライスター氏と茨響の方々の間に暖かいコミュニケーションが生まれた。
 5月には同じ「モーツァルトに贈る音楽の花束」シリーズで、アンドレアス・シュタイアーのフォルテピアノ・リサイタル。この鬼才はMCOとモダン・ピアノで共演していたが、待望の初ソロ・リサイタルが実現した。C.P.E.バッハ、ハイドン、モーツァルトを巧みに組み合わせたシュタイアーならではのリサイタル。ちょうど〈トルコ行進曲〉のすんごい即興入りCDが出て話題になっていたが、水戸での同曲はストレートに弾き、これまた意表をついた。しかし最高の瞬間は、最後の〈グラスハーモニカのためのアダージョ〉の、昇天するかのように浄化された演奏だった。6月のMCOは、この年予定されていた小澤征爾音楽顧問の指揮による3度目のヨーロッパ・ツアーが氏の体調不良により中止となったため、メンバーとゲストがソロをとるモーツァルト協奏曲の夕べとなった。完売満席、これも実に豪華な演奏会だった!
 さて、以後はブログが始まるので、それぞれの項目もご覧いただきたい。カギカッコがついているのはそれぞれの企画に対応するタグです。「コノノNo.1」、越境音楽シリーズはついに芸術館を飛び出し、水戸市民会館へ。せっかくお客さんがたくさん来てくれるならば、さらに大きな会場でやってみたらどうか?という吉田館長の提案だった。たしかにこれなら禁じられた「アンプ大音量もの」ができるし、芸術館と街との関わりの広がりという点でも新たな可能性がある。コンゴの電気親指ピアノおじさんバンド、爆烈ミニマルな夏の祭典だった。楽屋ではとても穏やかで物静かな方々だった。コンゴではあの後も争乱が続いている。皆さん、どうかタフにサヴァイヴされていることを。『ホテル・ルワンダ』を関連企画として上映した(すごい入りになった)。サカキマンゴーさんの親指ピアノ・ワークショップもあった。「ミト・デラルコ」第9回は有田正弘さんを迎えたモーツァルト・プロ。有田さんのフルートでついにモーツァルトのフルート四重奏曲が聴けた。プロシア王四重奏曲の“異常さ”も、メンバーと共に興奮しながら実感した。福岡古楽音楽祭にも出演させていただきました。「水戸室内管弦楽団」は66&67。準・メルクル、小澤征爾両マエストロの指揮。前者はR.シュトラウス〈町人貴族〉、ブリテン:セレナード、ベートーヴェン:交響曲第8番という味のあるプロ。後者ではモーツァルトのピアノ協奏曲第23番とその第2楽章を基にした細川俊夫さんの〈月夜の蓮〉を組み合わせる前半(ピアノは児玉桃さん)と、ついに聴けたマエストロ小澤指揮の〈ジュピター〉、モーツァルト・イヤーの壮大なるクライマックス。

   この頃よく聴いた音楽;ブライト・アイズ『デジタル・アッシュ・イン・ア・デジタル・アーン』、シガー・ロス『Takk…』、フレーミング・リップス『アット・ザ・ウォー・ウィズ・ミスティックス』、ケイト・ブッシュ『エアリエル』、アーティスト行脚はデヴィッド・ボウイとU2。(つづく)

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