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ミト・デラルコの発見
―幻の作曲家、アンドレーアス・ロンベルクをめぐって
ドミトリー・バディアロフ (ヴァイオリニスト、
ミト・デラルコ メンバー)
生前には幅広い名声を博し、偉大な音楽家たちに高い評価を受けていたにもかかわらず、
今日ではまったく忘れ去られてしまったドイツの作曲家兼ヴァイオリン奏者、
アンドレーアス・ロンベルク。
彼は1767年、ドイツの小さな町、ヴェヒタに生まれました。
彼の人生についてはほとんど何も知られていないに等しく、
手がかりはわずかな記事や書物に限られています。
アンドレーアス、そして彼よりはほんの少し有名な従兄弟、
チェロの名手ベルンハルトは、幼いうちにその輝かしい経歴をスタートさせています。
13歳のころ彼はベルンハルトと共にデビューし、ヨーロッパ中を演奏旅行しました。
1790年から93年にかけてふたりはボンの選帝候の宮廷楽団に在籍しており、
そこでベートーヴェンに会っています。
1793年から1815年にかけてのアンドレーアスの生活に関する情報はあまり多くありません。
おそらく彼は、徐々に活動の主体を作曲に移していったようです。
1815年にルーイ・シュポーアの後任としてゴータの宮廷楽長に就任したにも関わらず、
彼のヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニストとしての活動は減少の一途をたどったのです。
アンドレーアスはゴータで活動を続け、かの地で1821年その生を終えました。
ロンベルク、ハイドン、ベートーヴェン
コーベットの『室内楽百科事典』には、アンドレーアスは初め作曲家としては成功しなかったが、
ハイドンに献呈された初期の弦楽四重奏曲集作品1と2とがハイドン自身の興味をひき、
最終的には高い評価を勝ち得た、と記されています。
ロンベルクの四重奏曲は、当時の古い楽派と新しい楽派―ハイドンとベートーヴェン―の間をつなぐ存在として、
歴史的に興味をひきます。ロシアの音楽事典によると、
ボン時代にアンドレーアスはベルンハルト、フェルディナンド・リース、
そしてベートーヴェンと一緒にカルテットを演奏したとのこと。
そんなに重要な事実がヨーロッパの資料でいっさい触れられていないのはどうにも奇妙な話です。
ロンベルク―ヴァイオリニストで、作曲家
真の芸術家を分類することはむずかしく、また無益なことですが、
アンドレーアス・ロンベルクの音楽様式もまた、分類困難なものです。
しかし、音楽学者たちの中には、彼をハイドンとベートーヴェンの間に位置づける者もいます。
アンドレーアスは若いころ、ヴィオッティから強い印象を受けていますが、
幾人かの音楽学者は彼をロード、クロイツェル、
ヴィオッティなどによるフランスのヴァイオリン奏法を受け継ぐ存在ではなく、
むしろ独自の発展を遂げたドイツ人ヴァイオリニストである、
という見方をとる傾向があります。
ロホリツはアンドレーアスを(おそらく)フランツ・ベンダと比較し、
「激しいというよりは力強く、感覚に訴えるというよりは精力的で無骨」と評しています。
またルーイ・シュポーアは1815年、アンドレーアスの演奏から「いわく言い難く冷たく、
乾いている」という印象を受けています。
しかし、より若い世代は、この「教養ある思慮深い芸術家」(MGG)を好みました。
上記ロホリツとシュポーアを除く同時代のいくつかの批評―たとえばライプツィヒ一般音楽新聞は、
1799年と1802年、アンドレーアスの交響曲と室内楽作品を「すばらしい旋律と興味深い転調に満ちている」と賞賛しています。
アンドレーアス・モーザーは『ヴァイオリン演奏史』の中で、
アンドレーアス・ロンベルクの〈華麗なる四重奏曲〉作品11についてたいへん好意的に語っています。
またロビン・ストックウェルの『18世紀末および19世紀初頭のヴァイオリン演奏法と演奏習慣』(1985年ケンブリッジ)においては、
アンドレーアスは手が大きかった、というおもしろい推論が立てられています。
作品32の2のソナタで彼はオクターヴのトリルを用いていますが、
これはかなり手を広げなければならず、小さな幅の手では弾くことができません。
よって彼は大きな手を持っていたと推定される、というわけです。
作品59の四重奏曲は古い『フィルハーモニック協会』のプログラムに含まれています。
このように、アンドレーアスは明らかに名高い存在でした。
彼の音楽作品はその死後も数え切れないほど再版され、オラトリオ〈鐘の歌〉はアメリカ大陸においても、
19世紀末まで演奏されていたのです。
演奏会のステージに戻って
ロンベルク一族の名は今日では、チェリストのベルンハルト・ハインリヒ・ロンベルクのおかげで、
わずかに専門家の間で知られているにすぎません。
しかし、アンドレーアスはそれ以上の名声が与えられてよい存在であり、
ミト・デラルコにとって彼の四重奏曲を復活させるのは光栄なことです。
その膨大な数の作品の中で、28曲から33曲ほどの四重奏曲は、
彼が評価さるべき、重要な四重奏作曲家であったことを証明しています。
古書市場の埃の中から演奏会のステージへロンベルクの四重奏曲を蘇らせることをミト・デラルコは嬉しく思います。
初めてこの曲に触れた時からリハーサルの間を通じてずっと、
私たちはこの曲に魅せられてきました。この気持ちを、
聴衆の皆様と分かちあえますように。
【訳注】
*1 ベルンハルト・ロンベルク(1767-1841)
アンドレーアスのいとこ。チェリスト、作曲家として活躍。『チェロ教則本』(1840)が有名。
*2 ルーイ・シュポーア(1784-1859)
ヴァイオリニスト、作曲家、指揮者。代表作にヴァイオリン協奏曲 第8番〈劇唱の形式で〉、4曲の複弦楽四重奏曲、オペラ〈イェソンダ〉など。
*3 ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ(1755-1824)
ヴァイオリニスト、作曲家。29曲のヴァイオリン協奏曲のうち、第22番は今でもよく演奏される。彼とロード、クロイツェルは、ヴァイオリン演奏におけるフランス楽派の重要な3人。
*4 ピエール・ロード(1774-1830)
ヴァイオリニスト、作曲家。ベートーヴェンのソナタ作品96を初演している。
*5 ロドルフ・クロイツェル(1766-1831)
ヴァイオリニスト、作曲家。協奏曲やオペラを残しているが、むしろベートーヴェンがソナタ作品47を彼に捧げていることで有名。
*6 フランツ・ベンダ(1709-1786)
ヴァイオリニスト、作曲家。フリードリヒ大王の宮廷で活躍。
*7 MGG
ドイツの音楽事典、"Die Musik in Geschichte und Gegenwart"。
(訳/註:水戸芸術館音楽部門学芸員 矢沢孝樹)
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