水戸芸術館コンサートホールATM(水戸芸術館音楽部門)

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一柳 慧 氏 インタビュー

インタビュアー:一柳さんは、ニューヨークのニュー・スクールでジョン・ケージの講座に参加され、1960年代の初頭には、ご自身の作品やケージ作品を含むアメリカの前衛作品の演奏会を通じて、わが国に不確定性の音楽(*1)を紹介され、大きな衝撃をもたらされました。
当時、どのような想いのもとに不確定性の音楽を作曲されていたのですか?

一柳:私がニューヨークにいた50年代から60年代初頭の頃までの問題というのは、今、私がやっていることともかなり直接的に繋がっていることです。 近代ヨーロッパでは、クラシック音楽は、時間芸術と呼ばれていた訳ですよね。 やがて時間芸術としての音楽の調性の組織が崩壊してくるのですが、それはヨーロッパの社会的な在り方とも密接にかかわっていると思います。
たとえば市民社会が興隆してきて、王侯貴族とかあるいは教会などが主体でやっていた音楽が社会の中に入ってくるようになりました。 そうすると音楽の中にあった、たとえば調性組織の音の階級制度というものが、時代が進んでくるにしたがって、無くなってくる訳です。 これはなぜ無くなってきたかと言えば、王侯貴族や教会の牧師のような社会を支配していた人の下に民衆がいるのではなくて、民衆ひとりひとりが自立したものになってくる。 そうすると音楽もそれに連れて変わったものになってきたのです。音階の中にあった、たとえばハ長調とかヘ長調といったひとつの音を基準にした音楽から、12音音楽(*2)のようにひとつひとつの音が独立したものに変わってくるというのは、
やはり特にヨーロッパ社会での近代化、現代化とつながっているのだと思います。
ところがシェーンベルクなどの作品には、調性音楽などにあった、たとえばドラマ性とか起承転結とか、あるいは音楽の筋書きというのでしょうか、 音楽の方で聴く人を引っ張っていってくれる要素が無くなってくる訳です。 それでシェーンベルクなども12音音楽を作ることでひとつひとつの音を独立させたことはいいんだけども、その音楽が持つ、音楽が引っ張る、人を惹きつける力というのが、昔のクラシックと比べたら弱くなってきている。 そうするとそこに今まで音楽を規定していた時間というものが、特にワーグナー以後ですけれど薄くなってくるので、何かそれに代わる要素あるいは、それを補足する要素が必要になるのではないかと思うのです。 そうしないと音楽がきっちりと構成できなくなってしまいます。構造的にも基本になるものがだんだん失われてくる訳ですから。
当時は、それをちょうど探していた頃だと言ったら良いでしょうね。 アメリカに行った当初は、私も12音音楽を書いたり、いろいろ試行錯誤をしていました。 その時代というのは、皆行き詰っていて、作曲家にとって曲が書きにくい、非常に難しい時代だったと思います。 その突破口を見つけたいという気持ちが強くあって、それでケージや彼と一緒にやっている取り巻きの人たちと出会って、不確定性の音楽とか、今までの考え方とは全く違うものに出会ったことが、非常に大きなことでした。 その当時の人々にとっては、それが今までの考え方と大幅に違っていたので、かなり衝撃も大きかったし、賛否両論色々あったのだと思います。


インタビュアー:お話しの中で、今も繋がっていることだとおっしゃいましたが、もう少し詳しくお話しいただけますか。

一柳:時間というものが、音楽の構成要素としてはそれだけでは成り立ちにくくなってきたということを非常に感じています。そして、今度演奏していただく<汽水域>にも関係しているのですけれど、これまで音楽ではあまり省みられなかった空間というものを音楽の中にとりこめないだろうかということを考えているという点で、そういうことを積極的に展開したのはもう少し後のことですけれど、繋がっているんですね。最初の頃はそういうことをあまり意識していませんでしたが、不確定性の音楽では楽譜も、五線譜をはみだしたものとか、まったく五線譜を使ってないものが多く、それらは昔のように音楽を読んでいく場合に、左から右へ流れるとか、横軸に流れるというものではなくて、方向性とかあるいは始まりと終わりが定められているというものではありません。ですから時間とは違う在り方というのが、そこには見られるなと思いました。ケージは実際には空間性ということはあまり自分では言っていませんでしたけれどね。彼は日本や東洋の哲学や思想に造詣が深かったのですが、日本の芸術というのは時間と空間を分けていないんですね。

インタビュアー:1972年の<ピアノ・メディア>で、不確定性の音楽から、以降今日に至る五線記譜法による音楽へと作曲スタイルを転じられています。この転換には、おそらく一柳さんにとっての音楽の捉え方や作曲の在り方などに対する変化があったのではないかと推測するのですが?

一柳:譜面上のことを見ると確かに五線譜を再度、不確定性の音楽を書く前と同じように使い始めたということで、回帰的に思われることもあるのですが、2つの大きな理由があります。ひとつは、図形楽譜は、演奏家にとって、特にヨーロッパ・オリエンテッドと言うのかな、そういう演奏家にとっては馴染みが薄い。それから、その演奏にはかなりの程度即興が求められたりするのですが、それが彼らには困難なことだったのです。かつては、バッハも、モーツァルトも、ベートーヴェンも皆即興演奏が上手かったと思いますけど、近代では、演奏家は演奏家として、作曲家とは職業の上でも分離してきましたから、楽譜がないとほとんど演奏ができないということになった。 作曲家は生みの親であって、演奏家はそれを育てる立場にあると思います。昔はそれがもっと渾然一体であったと思われます。生みの親も育てるし育てる方も作曲したりとかね。ところがケージが作ったような不確定性の音楽では、演奏家が育てる音楽にならないということを10年位やっているうちに認識するようになったのです。
もうひとつは、そういう状況のなかで、新しい記譜法に依らず五線譜で、さっき申し上げた空間などの問題というものと結びつけた表現ができないかということを考え始めたのです。<ピアノ・メディア>は、表面的に見れば確かに五線譜に戻ったというふうに捉えられがちなのですが、空間の音楽の最初の考え方を五線譜で導入した作品なのです。この作品は2つの要素から構成されていて、最初はそれぞれが遠く離れています。2つの要素の一方は変化しないで持続され、もう一方がだんだん近づいてきてやがて合体し、また離れていくという関係になっています。2つの要素の間で空間的な音楽の関係を提示しているという考え方で作っています。

インタビュアー:<汽水域>での空間性の問題についてお話しいただけますか?

一柳:リハーサルのときにオーケストラの皆さんにも、少し説明させていただこうとも思っているのですが、要するに、今までのような二元論ではなくて、時間と空間という別々のものを相互交流させるとか相互に浸透させるということを、試みていた時期の作品の一つです。ここでは50年代や60年代にやっていたのとはまた違った形の、結果として不確定な要素が取り入れられています。それはなぜかというと、「汽水域」に象徴されるような、海であり川であり、しかし海でも川でもないという中間領域を考え、時間と空間があればそれを二元的に考え、ただ重ね合わせるというのではなくて、その間の領域というのが当然あるわけで、その考え方を作曲に使えたらなと思ったのです。その箇所は曲の後半に出てきます。

インタビュアー:<汽水域>の楽器編成をみると、弦楽器の響きの中に、1本のフルートが置かれていますね。

一柳:フルートは水のイメージ、生体のイメージに関わっていると思っていただいた方がよいかもしれません。

インタビュアー:初演時にお寄せいただいた文章に書かれていますが、本作品では、川の淡水と海の塩水がせめぎ合う汽水域に、昨今の国際情勢や文化状況をめぐる、二項対立ではなく、相互に交流し、浸透してゆく、新しい秩序への希望が重ねられています。 初演の92年からの13年間で、現実の世界は秩序に向かうというよりは、ますます混迷の道を辿っているのではと思うのですが、一柳さんはこの点に関してどのようなご感想をお持ちですか?

一柳:混迷していれば可能性はあると思うのですが、逆にはっきりしてきて、どうも古典的な二元論に戻ってしまっているようなところがあると思います。 それは、もちろん9.11が起こったことなども関わっていると思うのですけれど、それともうひとつはやっぱりグローバリゼーションの功罪ですね。 芸術に関して言うと、それがもたらすマイナス面というのを注意深く考えていかないといけないと思います。
なぜかというと、グローバリゼーションといってもアメリカニゼーションだと思いますが、結局、観客動員を一番に考えなくてはいけないとか、本当だったら将来のことを考えてクリエイティブなものと観客動員と2つの要素を同時的にうまく扱っていかなくてはいけないところを、グローバリゼーションの考え方に基づき、儲からないものだとかお客さんの入らないものというのは淘汰されてきて、内容や質は問題にされず、市場原理だけに目が向きがちになってしまっている。 そういう時代になってきているからこそ、現代音楽や現代美術などの存在理由が、難しいけれども、実は、あるかなと思っています。 質の問題とか内容の問題を問い続けていくということが片方にないと、これはまったく一過性の殺伐とした状況だけが残り、将来の展望もなくなるということになると思います。
余談ですが、たとえば渋谷の町を歩いていても、アメリカ系の飲食業のチェーン店で占められていて、ゆっくり昔みたいにヨーロッパ風の喫茶店でお茶を飲んだり話をしたりするという場所がほとんどないでしょ。 昔からあった何か町固有のものが根こそぎ失われ、儲けとお客さんを呼ぶということの方に主眼がいってしまっているような気がします。 僕なんかも若い頃アメリカにいましたから、あまりアメリカを批判したくは無いのですけれどね(笑)。
文化的なあり方としては、ヨーロッパ的な残していくという考え方が大切だと思いますね。


インタビュアー:水戸室内管弦楽団の活動の大きな柱のひとつとして、指揮者を置かないで行う演奏会というのがあります。<汽水域>も指揮者なしで演奏されることを想定して作曲されていると思いますが、室内オーケストラでの指揮者なしの演奏について、どのようなお考えをお持ちですか。

一柳:拍とか拍子を押さえていくことに特徴をもった作曲家の作品もあるし、各自の個性が音楽に発揮されるような形で、ある自由度を許容するような音楽もあると思います。 その違いがもっと出れば、その指揮者ありとなしの両方の特徴が生きるかもしれません。
それからさらに言えば、日本の雅楽というのは、いわば日本のオーケストラですが、あれは指揮者が無いですよね。 平安朝の頃などは今のように整理されていないので、たとえば100人位で雅楽をやっていたという話を聞いたことがあります。 100人いても指揮者はいません。ということはヨーロッパ的な考え方とは違いますが、日本独特の見計らいや間の問題をひとりの人が全部支配するのではなくて、それぞれの人がそのときそのときの状況の中で、他のメンバーと聴き合ってやっていくというものです。
不確定性の音楽というのは、まさにそのような音楽ですね。僕も日本の楽器を用いた大きな曲を書く場合には原則として指揮者は使わないです。 どんなに難しいものを書いても、演奏家に委ねてしまいます。彼らはそういうやり方に伝統があり、精通もしていますから。 指揮者もプレイヤーも皆ひとりひとりの人格ですから、指揮者のもっている人格が優先してしまうというよりも、日本的なあり方としては、雅楽のようにヨーロッパ音楽を弾くというのは難しいのでしょうけれど、雅楽のようにひとりひとりの個性が際立つ、あまりきちっとした軍隊みたいな感じではない方が、もしかしたらいいのではないかと思うのですね。
ですから、水戸室内管弦楽団が、指揮者なしの演奏会をされているということは、素晴らしいことだと思います。


インタビュアー:最後に水戸の聴衆にメッセージをお願いします。

一柳:音楽だけではなくて、いくつかの芸術分野が交流している施設というのが、水戸ぐらいの規模の都市で存在しているというのは非常に珍しいことだと思います。普通の大きなコンサートホールに行くのとは違って、音楽を聴きに行かれる一方で、美術を鑑賞したり、あるいは演劇を観たりということを是非していただければと思います。それぞれの芸術のもつ、たとえば、なぜこのようなことをやっているのかということなどが、ひとつだけの分野を見ているよりも、相互関係で見た方がより理解は深まるし、きっと芸術に関心を持ってくださる人も増えるのではと思います。そして、そういう見方、聴き方をしていただけると、それこそ精神文化的なものが、街の環境にも広がっていくのではないでしょうか。

インタビュアー:どうもありがとうございました。


*1 偶然性の音楽とも言う。
1950 年代の初頭より、ジョン・ケージなどによって主張、実践された音楽。
作曲家による音の支配やコントロールを放棄し、たとえば自然の中にある石や樹木などと同じように、音を音たらしめようとした。

*2 さまざまな作曲家が12音の組織化を試みているが、とりわけ重要な存在がシェーンベルクである。
シェーンベルクの12音音楽の特徴は、12の音をすべて用いたセリー(音列)を構成要素の基礎として、それをもとに、楽曲の旋律的・和声的な音の配列の組織化を行った。



インタビュー:中村 晃(水戸芸術館音楽部門学芸員)
(2005年4月9日 東京・渋谷のご自宅にて)




水戸芸術館開館15周年記念事業
水戸室内管弦楽団 第61回定期演奏会

2005年 6月18日[土]18:30開演 (18:00開場)
2005年 6月19日[日]14:00開演 (13:30開場)
会場:水戸芸術館コンサートホールATM
主催:財団法人 水戸市芸術振興財団

シューベルト:イタリア風序曲 ニ長調 D.590
一柳 慧:フルートと弦楽アンサンブルのための<汽水域>(1992年 水戸室内管弦楽団委嘱作品)
*フルート独奏:工藤重典
メンデルスゾーン:交響曲 第4番 イ長調 作品90<イタリア>

料金(全席指定):S席¥5,000/A席¥4,000/B席¥3,000



協賛: 第一製薬株式会社

サントリー株式会社

株式会社ポイント

財団法人げんでん ふれあい茨城財団

株式会社 吉田石油


協力: 全日本空輸株式会社

後援: 水戸商工会議所



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