小澤征爾と水戸室内管弦楽団、初のヨーロッパ・ツアー!
取材・文/佐々木喜久
撮影/大窪道治
*「音楽の友」1998年8月号(株式会社音楽之友社発行)巻頭カラー記事(6ページから11ページ)、
「小澤征爾と水戸室内管弦楽団、初のヨーロッパ・ツアー(佐々木喜久)」を、
株式会社音楽之友社様のご厚意により、転載させていただきました。
茨城県・水戸市に1990年水戸芸術館の専属団体として吉田秀和館長の提唱で結成された水戸室内管弦楽団。
メンバーは世界各地でソロやオーケストラの中で活躍する演奏家たちで、春・秋に集中的なリハーサルののち年間8回の定期演奏会を行なってきた。
この 6月には、音楽顧問・小澤征爾の指揮のもと、ウィーン芸術週間,フィレンツェ 5月音楽祭,ルートヴィヒスブルク音楽祭等に参加し、
初のヨーロッパ公演を成功させた。そのツアーの模様を密着取材。
ワールド・カップに挑戦したサッカーは世界の厚い壁に跳ね返された。
世界のトップ・レヴェルの壁となるとさらに高い。
それは音楽の世界でも同様だが、この 5月末から 6月初旬にヨーロッパへ、
結成 8年にして初の音楽武者修業に出た小澤征爾率いる水戸室内管弦楽団は、
ハンブルクを皮切りに、ウィーン芸術週間やフィレンツェ5月音楽祭といった名だたる音楽祭に招かれて演奏し、
世界の壁を軽々とクリアして、掛け値無しに「世界最高の室内オーケストラ」という印籠、
いやお墨付きをもらって帰国した。
それは予期できたことではあったが、かつてこれほどの評価を得た日本のオーケストラを知らない。
水戸室内管弦楽団は、日本から第1陣が 5月28日にドイツ最北端の大都市ハンブルクに到着、
全員集合した30日から延べ20時間を越す集中的なリハーサルをして、小澤が入念に練り上げた。
ハンブルク、ムジークハレでの演奏会
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ツアーは、6月 2日に同市のムジークハレで幕を開け、チューリヒ、ウィーン、
ルートヴィヒスブルクを巡り、6月 7日のフィレンツェで締めくくられた。
プログラムは一種類ながら、シューベルト=マーラー編「死と乙女」、武満徹「海へU」、
ストラヴィンスキー「プルチネルラ」アンコールにドビュッシー「神聖な舞曲」とモーツァルト「コントルダンスを伴うメヌエット」という変化に富んだものだった。
小澤は 5月初めのオペラ《ペレアスとメリザンド》の指揮を過労でキャンセルして、心配されたが、
3週間ハワイで休養をとってすっかり回復していた。
水戸室内管弦楽団の前に、まずウィーン・フィルのウィーン、ロンドン、パリなどへのツアーを指揮、
5月29日にドイツのバーデン・バーデンで公演を終了、休みなしで翌昼、水戸の仲間に合流した。
チューリヒ、トーンハレでのリハーサル風景
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初日のリハーサルで、ホールのアコースティックが十分でないことを感じ取った小澤は、
2日目からの「死と乙女」では、オーケストラを自分の回りにまとめて座らせた。
これで響きに厚みが出て、6月2日の本番は「素晴らしく、密度の濃い、表現力豊かな演奏」(Die Welt紙) という評を得た。
もちろん他の2曲も好評で「大ホールに拍手が鳴り響いた(他にありようがあろうか?)」と同紙は締めくくっている。
翌 6月3日はチューリヒ。ここで水戸芸術館館長の吉田秀和夫妻が合流して、
小澤やオーケストラを激励した。批評が厳しい、冷たいという評判があるチューリヒだけに、
どんな評価をするか興味があったが、「本当に素晴らしい印象をこのアンサンブルは残した」(Mario Gertels/Tages Anzeiger紙) と好評だった。
気合充実、エキサイティングなウィーン公演
4日夜のウィーン公演は、小澤によれば、「アンギャン(ウィーン楽友協会事務総長)さんから芸術週間を空けて待つから」と懇願されての出演であった。
"売り切れ"の紙が貼られた
ポスター
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切符は何か月も前に売りきれの超人気コンサートとなり、ウィーン・フィルの本拠として知られる楽友協会大ホールは、舞台の上まで客がいっぱい。
小澤=水戸室内管弦楽団は、その期待に完璧に応えた。
1曲目の「死と乙女」からウィーンっこの心を捉えて離さなかった。ウィーンっこにとって心の機微に触れるかけがえのないシューベルトの音楽を、
ウィーン・デビューの曲目に入れ、しかも1曲目に置く。これは、小澤が、いかに真剣勝負でウィーンに挑んでいるかの現れであったし、
またウィーンで絶大な人気を得ている世界的なマエストロとしてのプライドと自信の現れでもあった。
ヴェテランのメンバーは、このホールで演奏する意味を知っている。
本番最初の「死と乙女」では、オーケストラにこれまでにない緊迫感がみなぎった。
それは固くなるというのではなく、精神の高ぶりによる気合の充実といえばよいだろうか。
演奏は繊細で優美な緊張を孕み、内面から燃え立つエキサイティングなものとなった。
指揮の手を下ろした小澤が破顔一笑すると、オーケストラの面々の顔にも笑顔が浮かんだ。
こうなると、もう後半の 2曲は、すっかりわがペース。自在な音楽の流れが聴衆を魅了したのである。
その裏付けは、ウィーンの代表的な新聞の批評で得ることが出来る。
例えば『Kurier』紙は、「アンサンブルにおけるヴィルトォーゾ。
歓喜と感激が満席のムジークフェラインの大ホールに」という見出しを付け、「シューベルトが、全くウィーン風でありながら全くそうではなく、
国際的に作曲したこと、そして弦の奏者にとって "私たちの" シューベルトを演奏することがいかに素晴らしいかを納得させた」(Franz Endler) と高い評価を示した。
6月4日、ウィーン芸術週間に参加(ムジークフェラインザール)
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6月6日ルートヴィヒスブルク公演、武満徹/「海へU」を演奏中
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公演終了後、インペリアル・ホテルで行われたレセプションで、「質の高い室内管弦楽団を育ててヨーロッパへ披露したい」という年来の夢を、
ついに現実のものとした館長吉田がドイツ語で挨拶した。いかにも水戸っこらしい口調で乾杯の音頭をとった水戸市議会議長、
森富士夫は、なかなかの開明派らしく、「我々(市議4人も駆けつけた)が語り部となって水戸室内管弦楽団のこちらでの評判を市民に伝えていきたい」と語る。
そういえば、「市の予算の1%が文化の目的に使われ、水戸芸術館は素晴らしい文化活動の一大拠点になっている」(Neue Zuricher Zeitung紙) などと各地の新聞で紹介され、
芸術文化の擁護者として、水戸市の名も一躍世界に広まった。
翌日、ウィーンの休日を楽しんだあと、 6日はルートヴィヒスブルク。
南ドイツのシュトゥットガルトに近い人口8万5千人のひなびた保養地だが、古い城などを会場に、25年も前から質の高い音楽祭が開かれており、水戸室内管弦楽団は開幕2日目のゲスト。
会場は、城ではなく、隣接したテアター・イム・フォールムという現代的な多目的ホール。
響きのないホールだったが、客席はスタンディング・オベーションで盛り上がり、オーケストラは、メンバー一人一人が、バラやユリなどの花を、主催者側から一輪づつ手渡されるという、心温まるねぎらいを受けた。
フィレンツェのアクシデント、暗闇の中の名演奏
翌7日のフィレンツェは、ツアー最終公演。オペラ・ハウスのテアトロ・コムナーレが会場だが、オーケストラ・ピットに蓋をした上で演奏するためか、ここも響きはよくない。
小澤は自ら楽器の配置を直し、最大限の響きを求める。ところが、リハーサル中に突然場内の明かりが消えたり、なんと雨漏りまで始まった。
フィレンツェに長年住んでいる人でも見たことがない、というほどの集中豪雨があったためで、ブティック街でも店内に10センチ近くも浸水する騒ぎだったという。
夕方には晴れ上がり、公演は30分遅れで始まったが、1曲目「死と乙女」の第3楽章で、またも2度にわたって明かりが消えた。
一時は完全に真っ暗闇の中での演奏となったが、小澤もオーケストラも、全く動揺を見せずにそのまま演奏を続け、楽章の終わりで思わぬ拍手が起きた。
が、事はそれだけで済まなかった。後半の最後の曲、「プルチネルラ」があと5分ぐらいで終わるというときに再び停電。
だが、ここも無事弾き通した。
計4回も停電に会いながら、「小澤が暗闇の中でもパーフェクトな演奏」(Cultura & Societa紙) という、
まさに伝説になりそうな、ギネス・ブックもののドラマを生み出して、小澤と水戸室内管弦楽団は、初のヨーロッパ・ツアーを、これ以上は望めないと思うほどの大成功裡に終えたのである。
その評は、「類い希なコンサート。その成功は一種の集団的な熱狂を引き起こすほどだった。フィレンツェ5月音楽祭の歴史の中でも最も観客を惹きつけるコンサートの一つ」と、最大級の賛辞に満ちたものだった。
6月7日、テアトロ・コムナーレ。最後の公演で満員の聴衆に応える小澤征爾と水戸室内管弦楽団
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公演後、コムナーレ友の会主催の歓迎パーティーが、パラッツォ・コルチーニという豪壮な伯爵夫人の館で開かれた。
宴の半ばに、小澤はフィレンツェ市長からメダルを授与され、「次回は是非フィレンツェからはじめて欲しい」と要請されていた。
小澤は冷静にツアーを総括した。「今回は5回も、それぞれ違うアコースティックのところでやって、みんながどのくらい能力があって、どのくらい順応性があるかわかってよかった。
しかし、これは、水準が高いものを望んでいるという、いつもの延長線上にあるわけだから、ヨーロッパ旅行に来たからといって特別なことが起こったわけではありません。
はじめからこのことは予見されていたように思いますね。水戸で実力を蓄えてから、という吉田(秀和)先生の考えは当たっていました。
いま花が咲き始めたわけですが、これからは、水戸を中心としながらも、日本各地やヨーロッパ、アメリカ、ロシアなど室内オーケストラの良さが分かるいいお客様の前で、どんどん演奏した方がいいと思っています」
水戸室内管弦楽団は、伝説の室内オーケストラの道をいま歩み始めた。(敬称略)
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