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プログラム・ノート -- 「古典」、その2つの顔
水戸芸術館音楽部門主任学芸員 矢沢孝樹
「フランス古典主義は、絶対権力が絶頂にあった短い期間における、
豪奢な宮廷の生活に帰せられるものではない。
それは、一つの制度の現われではなく、一つの国民の思想なのである。」
―ジャン-フランソワ・パイヤール『フランス古典音楽』(渡部和夫訳・
白水社クセジュ文庫)から
明晰な知性が細部にまで光をあて、感情のとめどない流出を厳しく律している音楽。
ジャン-フランソワ・パイヤールが水戸室内管弦楽団第46回定期演奏会のために編んだプログラムには、
彼言うところの「フランス古典主義」のエッセンスをちりばめた曲が並んでいます。
前半は、ヴェルサイユ宮廷の栄華と共に黄金期を迎えた、18世紀のフランス古典音楽の名作2曲を。
後半は、ロマン派音楽が爛熟をきわめた後に、古典音楽の精神を、もう一度取りもどそうとした作品たち3曲を。
時代を隔てたふたつの「古典」の出会いは、私たちの目の前にどんなフランス音楽の像を結んでくれることでしょうか。
ラモー:組曲 <優雅なインドの国々>
劇・歌・管弦楽・演出・美術... 聴覚と視覚を存分に楽しませてくれる総合芸術、オペラ。
しかし、17-18世紀のフランス・オペラにはもうひとつの重要な要素、「舞踊」が欠かせませんでした。いやむしろ、この国においては舞踊が先で、オペラは後から追いついてきた、と言うべきでしょう。17世紀前半に隆盛を誇ったのは「バレ・ド・クール Ballet de cour(宮廷バレー)」という舞踊と音楽のスペクタクル。むしろ最初は不評だったイタリア・オペラは、ジャン−バティスト・リュリ(1632-1687)のフランス語の響きをうまく作品に生かした独自のオペラ「トラジェディ・リリック(抒情悲劇)」によってはじめてフランスに受け容れられました。そこでは、フランス人の趣味に合わせて、舞踊がたくさん取り入れられたのでした。
リュリより半世紀後の大家、ジャン−フィリップ・ラモー(1683-1764)の時代になっても状況は変わりません。さらにこの頃には「オペラ・バレ Op屍a-ballet」という、より物語性の薄い、舞踊中心のオペラも人気を博していました。1735年の〈優雅なインドの国々〉もそんな作品のひとつで、4つの幕でそれぞれトルコ、ペルー、ペルシア、北米を舞台にしたエキゾチックな恋物語がくり広げられるというもの(序幕ではキューピッドがこれらの国々に旅立つ情景が描かれます)。ちなみに「インド」はここでは非西欧圏の国々を指す漠然とした言葉で用いられています。
鮮やかな管弦楽法と大胆な和声を駆使するラモーにとって、舞曲はお手の物。
踊り手たちの身体を離れても、その活気あるリズムと色彩の魅力は、いささかも失われることはありません。
序幕と3つの幕から、パイヤールは以下の8曲を選び演奏会用組曲としました。
序曲/ロンドーによるミュゼット(田園風舞曲)/2人のポーランド人のための荘重なエール/リゴードンI&II(フランス南部の民俗舞曲)/タンブランI&II(プロヴァンスの民俗舞曲)/ガヴォットI&II(2拍子の舞曲)/未開人たちのエール、
平和の大キセルの踊り/シャコンヌ。
ルクレール:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品7の2
オペラというイタリアの人気ジャンルをフランスに導入したのがリュリなら、
ヴァイオリン音楽において同じ役割を果たしたのはこのジャン-マリ・ルクレール(1697-1764)となります。
それまでヴィオラ・ダ・ガンバやクラヴサン(チェンバロ)が主役だったフランスの器楽音楽に、
ルクレールはその数多い協奏曲やソナタ(彼自身によって演奏されたのでしょう)を通じて、
ヴァイオリンの輝かしい音色を持ちこんだのでした。その後のピエール・ロードやロドルフ・クロイツェル、
遠く20世紀のリュシアン・カペ、ジャック・ティボーへと連なるフランス・ヴァイオリン楽派の系譜は彼をもって始まりとする、
と言って間違いありません。
今日選ばれたのは、<作品7>の6曲の協奏曲から第2番。
急緩急の3楽章からなりますが、第1楽章はゆっくりした和音の連なりからなる導入部を持ち、
緩急緩急という4楽章構成の「教会ソナタ」の様式の痕跡を残しています。
導入部(ここでおそらくルクレール自身が即興を行ったのでしょう)に続いてフーガ風に始まる第1楽章はソロ/合奏の複雑な応答がききもの。
歌に満ちた第2楽章は長・短調の交替がつくる陰翳が印象的。最後にヴィヴァルディ風の疾走する急速楽章。
途中に何度も鳥の声の模倣を思わせるカデンツァがはさまれ、高揚してゆきます。
(ちなみに、今日の演奏ではパイヤール校訂版を使用)
ファリャ:チェンバロ協奏曲
フランス音楽のプログラムに <三角帽子> や <恋は魔術師> で有名なスペインの作曲家マヌエル・デ・ファリャ(1876-1946)が登場するのはおや?という感じですが、
ファリャはドビュッシーやラヴェルらに深く影響され、またフランスでも高く評価されたので、
フランス音楽の地軸上の広がりを示すためにもここに登場することとなったのでしょう。
「ピレネー山脈の両側の作曲家たちの間には交流があった」とvivoの
インタヴューでパイヤールは語っています。
ちなみにファリャにはドビュッシーとデュカに捧げた <賛歌> という作品もあります。
さて、<チェンバロ協奏曲> は1923年から26年にかけての作品。
この頃多くの作曲家が「新古典主義」と呼ばれる傾向を見せ、
古典派以前の音楽様式を意識的に再生させる作品を書きました(ストラヴィーンスキイやヒンデミットが代表的)。
ファリャのこの曲もその潮流の中にあります。
なによりこの頃「復活」しつつあったピアノ以前の鍵盤楽器、
チェンバロを主役に据えているのです。20世紀チェンバロ復興の立役者、
ヴァンダ・ランドフスカ(1879-1959)のために書かれました(プーランクも彼女のために <田園コンセール> という協奏曲を作曲)。
ただしこの曲は本来、当時使われていた、ピアノのアクションを援用した「モダン・チェンバロ」の使用を意図しているので、
今日のように歴史的なチェンバロを用いるのは時代が反転したような面白い試みになります。
チェンバロのほかは管楽器3、弦楽器2という編成はユニークですが、曲はもっとユニーク。
突き刺さるような不協和音ではじまるソナタ形式の第1楽章は、チェンバロの切れのいい発音の魅力全開。
即興的な動きを見せるチェンバロと合奏の不思議なコーラスが応答しあう第2楽章を経て、
第3楽章はめまぐるしい音型パズルの謎解き。古い器に、ファリャはとびきりスパイスのきいた料理を盛りつけました。
ドビュッシー(ビュセール編曲):小組曲
音楽史の本を開くと、現代音楽の扉を開いた音楽家として最初に登場するのはたいがいクロード・ドビュッシー(1862-1918)です。
「ドビュッシーの <(牧神の午後への)前奏曲>は疑いなく現代という時代を予告している。
(中略)無調だとか調性を欠いているというべきではないが、要するに古い和声的関係がもはや重要なものとなっていない。」(ポール・グリフィス『現代音楽小史』石田一志訳・
音楽之友社)という具合に。
しかし、革新者ドビュッシーは、自国の先達への敬意も忘れてはいません。<ラモー賛> <ジグ> <フランスの3つの歌> といった古風なスタイルの作品がありますし、
何より最晩年計画された6曲のソナタ(3曲しか完成せず)はクープランやラモーのコンセールを意識して書かれ、
初版の表紙には誇りを持って「クロード・ドビュッシー、フランスの音楽家」と大書されたのでした。
初期作品の <小組曲>(1888-89年作)は、後期作品のように技法的に過去の音楽とかかわっているわけではありませんが、
そのファンタジーの方向はたしかに18世紀の方角を向いています。
前半2曲 <小舟にて> <行列> はドビュッシーが当時入れあげていたヴェルレーヌの詩集 <あでやかな宴> 収録の2編と同タイトルです。
ヴァトー(18世紀フランスの画家)の絵画世界への幻想をつづったヴェルレーヌの目を通して、
ドビュッシーは遠い昔の自国の栄光へと思いをはせるのでしょうか。
ちなみに彼にはヴァトーの『シテール島への船出』から想を得たピアノ曲 <喜びの島> があります。
そして後半2曲は <ムニュエ(メヌエット、3拍子の宮廷舞曲)> <バレ>。
舞踊がいかに17-18世紀のフランス宮廷で愛されたかは、ラモーの項で書いた通りです。
オリジナルはピアノ連弾用ですが、アンリ・ビュセール(1872-1973)の管弦楽編曲(1907)で聴きましょう。
ビュセールは作曲家、指揮者、オルガニストとして活躍、パリ・オペラ座の指揮者も務めました。
ドビュッシーの <沈める寺> や <グラナダの夕暮れ> など数曲の管弦楽編曲を行っています。
オネゲル:交響曲 第2番
フランスの国土がもっとも深刻な危機に瀕したのは第二次大戦、ナチス・ドイツによるパリ占領の時でしょう。
さらに言えばそれは、フランスだけではなく、人間の尊厳自体がかつてない巨大な脅威と恐怖にさらされた時代でした。
このような時に、音楽は何ができたでしょうか。バルトークの弦楽四重奏曲第6番、ウルマンの <アトランティスの皇帝>、
メシアンの <世の終わりのための四重奏曲>、ショスタコーヴィチの戦争三部作交響曲など、
さまざまな形で作曲家たちは暴力や抑圧への怒りを表明しています。
アルチュール・オネゲル(1892-1955)の、弦楽合奏とトランペットのために書かれた交響曲第2番(1941年、パウル・ザッハーとバーゼル室内管弦楽団のために作曲)も、
そのような作品です。パリ陥落と機を一に書かれたこの交響曲、楽譜の各楽章の最後に「パリ、1941年5月8日/3月15日/10月31日」と完成日が書き込まれて印刷されており(オネゲルは第2楽章を最初に書いた)、
時代の証言者たらんとするオネゲルのメッセージが伝わってきます。
第1楽章は不安なヴィオラの旋律による導入部に始まり、低弦によって第一主題が暴力的に割り込んできます。
憧れに満ちた第2主題の力は弱く、第1主題と導入部の主題が徹底的に楽章を征圧します。
古典的なソナタ形式が、そのまま怒りの表明に姿を変えているのです。
悲痛な哀歌の第2楽章を経て、嵐の終楽章へ。複数の調が並行して現れる混乱した導入部を蹂躪し現れる、ヴィオラとチェロによる軍隊行進曲のパロディのような第1主題。
激しい複合リズム。しかし複合リズムが3度目に登場した直後、トランペットのコラール(賛美歌)が曲にひと筋の光明を招き入れます。
オネゲルは15歳の時に教会で聴いたバッハのコラールに感動し、しばしば自作の中でコラールを用いていますが、
今またここで彼はコラールを招来し、神と人とが結ばれていた時代の気高い心のあり方を、呼び戻そうとするのです。
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