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ミニ・レクチャー
ピアノのための公開セミナー 講師:園田高弘
第5回 原典版について 1999年12月4日(土)

みなさんこんばんは。始めに、ミニ・レクチャーをすることになっているので、楽譜のことを少しお話ししましょう。

演奏するということになると、最初に楽譜を見るわけですね。ところが、最近は、"原典"ブームというのか、もうなんでもかんでもその"原典"であればいいと。"原典"以外は、よろしくないというような風潮があってですね、"原典"を生徒さんが持ってくることが多いんですけど。"原典"というのは、演奏上の指示が何も書かれてないですね。

例えば、バロックから古典にいたるような時代の作品では、そのダイナミックのサインも書いてないし、フレーズも書いてないことが多いし、ましてやペダルなんていうものは書かれてません。しかも、現在こんな立派な楽器で演奏するわけだけれど、当時は、まあチェンバロか、その前はクラビコードなんていう卓上ピアノみたいな楽器で演奏していたので、まったく響きも違うわけですよ。そして、その"原典"だって言われててもですね、その楽譜見ただけではどうやって弾いていいのかまったくわからないと思うんです。

そこで、その先生がね、こういう風に弾くのだと示してあげることができれば生徒は幸せです。ところが、先生は何にも言わないで、"原典"でやりなさいと言われたら、生徒さんは困ってしまうわけです。そこで、素朴な質問がでてくるんじゃないかと思う。つまり「どの楽譜を使ったらいいですか」と。自分の記憶をたどってみるならば、あたくしはもちろん4つ5つぐらいの時からピアノを勉強したわけだけれども、まあレオ・シロタさんというロシア人に師事したわけです。白系ロシアで、ちょうど日本に来てた、素晴らしいピアニストですね。でこの人はブゾーニのお弟子だったから、もうピアノはもう名人中の名人というような人で。それで、6つ、7つというような子供のあたくしは英語できませんでしたから、「イエス」、「ノー」ぐらいしかわかんない。「プリーズ」と言われれば弾かなきゃならないかな、「リスン」と言えば聞かなきゃいけない。そのぐらいしかわからなかった。その先生は隣で、あたしの弾くのを聞いてて、「ノー」っていうわけですよね。「プリーズ・リスン」って言って、タッと弾ひいてくれるわけだ。ああ、そういう風に弾かなくちゃいけないのかなって分かるわけです。 つまり、楽譜っていうものはあくまで、次にこういう音が並んでますというその目安だけで、先生の弾くのをこうやって聞いていて、ああ、そういう風に弾くんだな、という風に全部習ったわけですよ。

ようするに伝承をやったわけ。先生の弾くように弾いたの。まあ、ものまねですよね。そうゆう風にして入っていった。だから、その"原典"であろうがなんであろうが、関係ないわけ。ベートーヴェンはこうゆう風に弾く、ショパンはこうゆう風に弾くんだ、みんなこう先生の様子を見ててですね、あっ、ペダルはもっと長いのかな?あっ、何々だなっていうもを見てて、時々そのもちろん間違った音弾いていると大きなまる印を書いて「そこはダメ」って言う。そういう風にして、伝承が行われていく。

それはね、最近でもね、外国行ったら、例えばコンセルバトワールのどことかホーホシューレの誰とかとか言っても、先生がちゃんと「いや、それは違うんじゃないか。メロディーはこんな感じ具合で」っていうようなことを、その例を示してくれている。

それがあるとですね、"原典"にはそう書いてあるけれども、そうゆう風には弾いてないということは自然に実感としてよくわかるんですね。

それから、ゼロかイチかの数字のデジタルな配列とは違ってですね、音楽ってのは非常にこうデリケートに揺れ動くでしょ?例えば、まあ「ルバート」とは言わないまでも、そのメロディーの始まりとかメロディーの終わりとかいうのは、いろいろ、揺れます。その「どうゆう風に始まるんだろう」、「どうゆう風に終わるだろう」というのはやっぱりね、その耳で確かめて、「ああ先生はそうやっているんだな」とわかるわけです。それがわからないとですね、いつでも数理的な拍が、「頭」はいつでも合っているけれども、横の流れというのはないっていうような音楽になってしまう。だから、「何版を使う?」とか、"原典"だっていうのは、あんまり拘泥しないほうがいいと思うんですよ。

それにね、あんまり"原典"、"原典"て言うんでね、じゃあ、"原典"の出版されている前には音楽家はいなかったんですか?って言ってあげたくなる。いや、そんなことないですよね。リストからあとだってたくさんのピアニストがいて、そしていろんな注釈本があるわけです。つまり、それぞれがみんな正しかったわけですよ。ところがあんまりこう煩雑になって、いろんなものがあるから、じゃあ"原典"はどうだったかと言うんで、このごろ"原典"ブームでいろいろ出版されるんです。「"原典"にはそうゆう風に書いてあるんだけれども、演奏ってのはこうゆう風に行われて」という受け継ぎがあるんですね。

だから、もう、何度でも言いいますけれども、「ショパンはこうゆう風に書いてあるけれども、こういう風に演奏するんだっていうことを」先生が示せば早いんですね。譜面をいくら目を皿にして見ても、何にも出てこないですよ。ましてや"原典"の意味が読み取れるぐらいの音楽家だったら、何もそれに拘泥しなくたって音楽はできるでしょう。それを、まず、みなさんに申し上げたいわけです。

しかしあんまり自由自在にですね、まあ、「個性的」になんてこの頃言うけれど、奇を衒っていろいろなことをやると、それは、「元はそんな風に書いてないでしょ?」っていうことになるわけです。その時には、"原典"というのは非常に意味があるわけ。ところが、きっちりかっちり弾かれたんではねえ、「"原典"にはそう書いてあるけれど、みんなこうゆう風にして弾くんですよ」っていう風に、その但し書きをしてあげないとですね、音楽はみんな乾燥してつまんなくなっていく。

で、誰が弾いても同じっていうんだったら誰か一人で代表してもらってコンピューターでやってもらったほうがいいわけです。みんなが同じ"原典"を見てたってそれだけ違うっていうことは、やっぱり音楽には表情があるということですね。しかも、若い人が弾くのと、それから成熟した人が老人が弾くのは違うわけで、あなたがそれがいいと思ったらそれでいいんですよ。だけれども、楽譜を弾き進むうちにまたわかんなくなることがありますからね、そしたら、例えば「この版はこういうところがいい」「この版はこういうところが悪い」ということは、やっぱり知識として知っていないと具合が悪い。

それは、いっぺんに、さっとわかるようなもんじゃない。先生だって何十年もやって、50年以上弾いてますよね。そしてだんだんに、こう知識っていうのは溜っていくわけで。だから、まあ、あんまり目くじらを立てずにですね、「"原典"が、どの版がいい」という風に言わないほうがいいのかもしれない。で、こういう機会を通じて、必要ならば、「これはこうゆう風に弾いたほうがいいでしょう」っていうことを、アドバイスできればと思っています。

何かな、ミニ・レクチャーといってもいろんな問題があってね。例えばペダリングの問題とか。「じゃあ、踏めばいいんですか」「踏まなければいいんですか」というわけにはいかない。踏み方がどうとか、その上げ方がどうのとか、そういうことはやっぱり先生のマネをするなり、それを観察するなりして、その会得していくしかしょうがない、と思います。



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音楽 レクチャー 第6回


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