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ミニ・レクチャー
ピアノのための公開セミナー 講師:園田高弘
第10回 絶対音感について 2000年2月13日(日)
今日は、ミニレクチャーでね、みなさんが興味あるんじゃないかと思って、絶対音感ということを少しお話しようと思うんだけれど。まぁ、いろんな話題になったり、本になったりしていますけれどもね、どうも、あんまり音楽をよくわかんない人がしゃべっているんでね。その、音がわかるとかわかんないとかいうのは、これは、本当に末梢的な話でね、別に音楽家が和音を弾いてその構成音をひとつずつ当てているわけじゃあるまいし、そういうことをぐだぐだ言ってもしょうがないと思うんですよ。で、音がわかるとか和音がわかるということがもう、「絶対音感の一番の目的」であるということを言われるとね、もう怒りがムラムラっとくるわけだけれど、素人を相手にして議論したって始まらない。
つまり、音楽家っていうのは、音感と密接に関わって仕事しているわけですね。それで、音感ということはどういうことかっていうと、ようするに色彩、音の色合いの変化を感じることなんですね。だから、例えば絵描きさんがね、赤い色ってぼんやり言っただけでは満足しないで、どういう赤なのかって言うでしょ、つまり黒っぽい赤だとか、深紅であるとか、それから燃えるような赤、それから、紫がかった赤だとか、オレンジ色の赤だとか、そういうことが見分けがつかない絵描きさんっていうのは、僕はやっぱり、だめだと思うんですよ。で、同じようにね、例えば、青と言ってもですね、紺碧の空っていうのもあるし、それから非常にくすんだ青とかそれから水色のような青とかいろいろあるじゃないですか、そういうものにやっぱり敏感に反応して、創作をしていると思うし、また、それがべったり一面だけじゃなくてですね、その微妙な変化ってのを楽しんでいると思う。
音楽家にとっての音感は、これを音に置き換えてみれば同じことじゃないでしょうかね。例えばね、和音が輝くっていう。和音が輝くっていったって、同じ音を打っていているわけだから、猫が弾いたって人間が弾いたって、(昔、猫が弾いたあれと、人間が演奏した音とは違うということをいって大議論したんだけれど)振動数に関する限り、まったく同じですよ。ところが、それを、輝きがあるように見せる、つまり、打鍵する、演奏するってことはですね、その音楽家、芸術家の使命なわけだ。で、それをどうやってやるかっていうと、振動数は変わってないんだけれども、強弱の濃淡をつけることができるわけです。同じ和声も。じゃあ、なんでそれをそんな風にするかっていうとですね、そこに演奏家の要求がなければ、音に対する色彩感覚がなければ、できないわけでしょ?僕は犬になった経験はないから正確には知らないけれど、犬の目っていうのは、なんか白と黒だけなんですってね。だから白黒写真だと思ったらいい。そうすると濃淡っていったって、黒と白の濃淡だからそれしかない。色彩感はないわけだ。
で、やっぱり演奏家もね、ま、大変失礼な言い方だけれど、そういう人ももしかしたらいるかもしれない。だから、音を弾くことが、記号をたどって、音を並べることが音楽になると思っている人に絶対音感の話をしたって、音の感覚なんて話したって、まったくわかってもらえない。それが問題なんですよ。僕は、音の高さがね、わかるとかわからないとか言っているのは、もうまったくくだらないことだと思います。実は、私、絶対音感あるけれども、私が子供の時に習ったのは、その時のピアノのピッチというのはね、高さは、438ヘルツとかそのくらい。440になってないんですよね。今、442とか445とか、高いピッチで。だから、僕がアァーと言えば音が低いんですよ。だけど、それでは僕がだめかっていうと、そうじゃない。いわゆる相対音感っていうあれがあって、あぁ、全体が高いんだなってすぐ修正する能力っていうのは、音楽家みなさん持っているわけ。それと、音に対する感覚っていうのは絶対音があるとかないとかに関わらず、音楽をやっていて、後天的に付いていくことがに非常に多い。でもこれもですね、素人の人にはわからないことだ。音楽やっている人にしかわからない。
それでね、わかんない人がわかんないことを言うと、ますますわかんなくなるんだけれども。
長調、短調ってのがあるでしょ?これ、そこですぐ平均律は純正調じゃないっていう議論が出てくる。たしかに純正調じゃないです。平均律というのはあらゆる調子に適合するようにうまくごまかしてあるわけだ。その、いろいろ音程間隔をごまかして、どうゆう調子にも転調できるようになっているわけですね。だから、純粋でないです。でも、長調と短調はある。ところが長調はどこに移調しても同じなんですか、赤も黄色も青も黒も全部同じなんですか。そんなわけないでしょ。ハ長調というのは、一つのイメージがあって、例えば、太陽が上がってくるとは、広大に無辺であるとか、非常に祭典的なとか、調和に満ちてとかそういう響きがありますよね。ベートーヴェンだのモーツァルトだの作品をみればすぐわかるんだけれど、あるいはニ短調ってのは、第九シンフォニーではないけれども、予感に満ちたとか大地から音が上ってくるとか予兆が現れる。不安だとか、不吉だとかそういうことを。そういう調性からそういう感じを音楽家たちはみんな受け取って、作品を書いているし、演奏しているわけなんだ。
だから、それが、絶対音がない人がだめだとかいいとか言っているのはまったくナンセンスな話なんだけれども、日本ではえてして、そういう人達の議論っていうのがすり変わってね、重要視される。まぁ、どうでもいいです。言わせておけばいいと(笑)。我々音楽家は一生懸命その感覚を磨くことが大切。だから、たとえば変ホ長調が英雄的であるとか、ベートーヴェンはそうだけれど、そうすると変ホ長調の関係調であるハ短調ってのが悲劇的とか、まぁいろいろそういう作品があって、しかも累計的に同じような感情のこもった作品がその調性に多いんですよ。それを感じて、弾けないんならば、短調は何を弾いても同じで長調は何を弾いても同じことになる。それはもう僕はやかましく言いたい。
日本のその音楽教育の中で最も欠けていることは、そういう、絶対音がわかることじゃなくてですね、調性感覚だと思うんですよ。だから、日本の学生が外国なんかで、たとえば、「ヘ長調とかで弾いてごらん」って言うとどこだかわからない。どの音だかもわからない。そういうことが、かなり進んだ人達でも、ありうるわけ。それから、例えば一つの調性がハ長調ならハ長調と。ただ平面なだけでは音楽にはならないわけ。そこにドラマがあるわけでしょ?そうすると、それを強調するのは、その属和音であり、属音であって、それから主和音に解決する時っていうのは、ハァーっていう安らぎがあるじゃないですか、その緊迫のところが、7の和音であったり、9の和音であったりするわけだ。それをベートーヴェンなんかはもうジィーッと我慢して持ち上げてってそこでもう、その自然現象のように、雷を落とすっていうか、そういう演奏をフルトヴェングラーなんかやってますよ。カラヤンなんかもやってるだろうし。
だけどそれがみんな白黒で見えるとしたら、なんと情けないことではないでしょうかねぇ。だから、音感っていうのは、ほんのアルファベットを覚えるところであってですね、その先の音楽の内容というものに、その目がいかなければ、あるいは耳がいかなければ、心がいかなければ、音楽にならないと思うんですね。
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