ご投稿第二十一号

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From: KITA Kenichiro
To: nettama@arttowermito.or.jp
Subject: ブルックナー 九番
Date: Tue, 24 Feb 2004 01:21:58 +0900
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古い話ですが、 ネッタマ12月号の「ブルックナー九番」について少々。
タマさんは
完成してほしいぞ度★★★★★
なのですが......

何年か前、すみだトリフォニーホールで復元版の演奏があり、聞きにいきました。
問題の第四楽章は、最初のうちはなかなかいいのですが、
進むにつれ構造がスカスカになっていくのが、もう手にとるように聴き取れて......
家の作りに例えるなら筋交が外れ、柱が外れ、つっかい棒も強度に寄与せず、
音楽を楽しむ、という点では悲惨(笑)な体験でした。
やっぱり学者は学者、作曲家ではありませんね。

それがあってアーノンクールのCDも年明けまで聴きませんでしたが、
未完成の音楽に対する最初のアプローチは、
こういう断片提示の形が一番いいように思います。
もちろん、流れが成立するだけの新資料がどっさり出てくれば話は別ですが......

どのみち草稿は草稿で、それを構築物になし得るのは作曲家本人だけです。

例えばマーラーのオーケストレーションはそこそこそれらしく復元可能でしょうが、ブルックナーのそれはパターン化されているように見えて、実はかなりマネしにくいんじゃないでしょうか。
そもそも「演奏する」ことだけみても、
「らしくない」マーラーの演奏、というのはちょっと想像しにくいけど、
(たとえ音量で勝負するだけの演奏でも、それはマーラーの意図の一部です)
「アプローチの新鮮さもないし、かといって主義主張も聴き取れない、
どこか変なだけ」のブルックナー演奏はありますから。

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ちょっと脱線します。

ブルックナー=カトリックの神、という図式では、私は聴きません。
むしろ日本的な「八百万の神」というイメージがよみがえります。
まあこれは学生時代、10月から3月まで月一回、宮城県の伊豆沼にガンやカモの カウント調査(大晦日の紅白で日本野鳥の会がカウンターをカチカチやる・・・今はやってないのかな、 あれです)に通っていたことが多分に影響していると思うので、一般的な感覚ではありません。

権威ある者の発言を "己の心に照らすことなく" 受け入れ、忠実になぞり、そこからはみだす感覚をもつ者は無条件に排除する*。それが「教養としての」=「一般的であるべき」=「正しい」クラシック音楽の聴取法、です。
*中学高校まではこれでいいと思います。私もそうでした。
尊敬する人に近づきたいとひたすら思考をなぞることで己の身につき、それがやがて果実となる感性は、確かにあるのです。

水戸芸術館で以前あったように、バックステージの席で足を正面客席に向け投げだして(もちろん心の中でのことです)聴いていると、 ふと聴衆の顔がモニターに見えます。
モニターに映る映像はそれぞれ違いますが、それらの集合はあるメッセージを放っています。 それは指揮者やオーケストラと一体になっていることもあれば、全く違うこともあります。てんでバラバラのこともあります。

音楽を聴く、ということは、どこまでいってもプライベートな・・・肉親にさえ理解し得ない・・・行動なのだろう、と思う。

なんの話なんだか......

愚痴終了。
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ブル九第四楽章のスケッチは、私は無理やりつなげてもらいたくはなくて、
まず、断片は断片のままで聴かせて欲しいです。
そのうえで復元版を聴きたいなあ。
そういえばマーラーの十番も、スケッチをそのまま音にした資料はあるのかな。

タマさんの言いたいことから離れていますが、あえて書いてみました。


音楽と離れますが、蜷川幸雄氏の『ペリクリーズ』上演して頂けないでしょうか。
埼玉の与野で観ましたが、もういちど観てみたい。


では。


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