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川﨑洋介 インタビュー

~カルテット AT 水戸 第1回演奏会に向けて~

普段はカナダのオタワにお住まいの川﨑洋介さん。NHK交響楽団の定期演奏会にゲストコンサートマスターとして出演するために来日されていた川崎さんにインタビューを行いました

―お父様の川﨑雅夫さん(水戸室内管弦楽団[MCO]ヴィオラ奏者)に初めてヴァイオリンを習ったと伺いましたが、ヴァイオリンを始めたときのことを聞かせてください。
ヴァイオリンを始めたのは遅い方で6歳のとき。その頃のことはあまり記憶にはないのだけど…。父に習い始めて、1年ぐらい経ってから7歳から10歳の間、五嶋みどりさんのお母様の五嶋節さんに習い始めました。初めに出された課題がたしか、ラロのスペイン交響曲という難易度の高い曲で、うちの親もすごいびっくりしたという話を聞いたんだよね。ちゃんと弾けてたかどうかは別の話ですが(笑)。覚えているのはレッスンを受けていたニューヨークのアパートの部屋。隣の部屋ではみどりさんがパガニーニのカプリースを弾いているのが聴こえてきたことは記憶にあります。
―現在川崎さんはMCOのメンバー、そしてオタワ・ナショナル・アーツ・センター管弦楽団のコンサートマスターを務める傍ら、水戸でも公演した「トリオ・インク」など室内楽の活動も活発に行っています。演奏する立場から見て、オーケストラと室内楽の違いはどのようなものでしょうか。
個人的な準備や、自分で音楽的なスタンダードを持つことなどは共通する部分だけど、室内楽では各演奏家のベースにある個性を生かして創り上げるというところが一番オーケストラと違う所でしょうか。オケは、主にブレンドとか、バランスの取り方とか、全体的な視点を気にしながらリハーサルを進めます。カルテットでも同じことをするけれど、もっとミクロな視点が必要。顕微鏡みたいにズームするようなイメージかな。
オタワのオケは60~65人ぐらいなので中規模、MCOはさらに小編成で30人程度ですよね。だけど基本的にやるべきことはそんなに違いはない。この度NHK交響楽団のゲストコンサートマスターを初めて務めるのですが、そんな大編成オケのコンマスはほとんどやったことがない。オタワやMCOとは感覚が違うと思いますよ。車でいえば、大きなアメ車を運転しているような感覚。ハンドルを切っても全体に伝わるまですこし時間がかかる。それと比べると、カルテットなどの室内楽はディテールを突き詰めていくことがメインだから、それがオケと室内楽の大きな違いですね。
―「カルテット AT 水戸」のメンバーについて聞かせてください。
このメンバーでは10年間、佐世保でアルカス・クァルテットとして活動を続けてきたのですが、実はこのカルテットを結成するきっかけを生んだ地は水戸だったんです。僕がMCOで水戸に来ているとき、佐世保のホールの方が水戸に来てくださってこのカルテット結成の話を持ち掛けてくれたんです。あれは京成ホテルのレストランで、僕はケーキを食べながらその話を聞いてたなぁ(笑)。
カルテットを結成するにあたり、最初に声をかけたのが玲ちゃん(辻本さん)でした。奥志賀の室内楽アカデミーで僕が講師をしているとき、渡辺實和子さんが受け持ったカルテットの受講生だった彼の演奏を初めて聴いたんです。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲 作品127を演奏していたと思います。すごく自分と音楽的な感覚が似ているな、と感じて、その頃から彼と演奏してみたいと思うようになりました。もう20年ぐらい前のことになるね。省ちゃん(柳瀬さん)とゆかちゃん(西野さん)は松本のサイトウ・キネン・オーケストラで友達になった2人。僕はストリング・クヮルテットARCO(伊藤亮太郎さん、双紙正哉さん、柳瀬省太さん、古川展生さん)のみんなと仲が良くて、そのつながりもあって省ちゃんにヴィオラをお願いしました。ゆかちゃんはクァルテット・エクセルシオの第1ヴァイオリンで活躍してるし、カルテットを深く知っているこの2人と演奏したいなぁ、と思って声をかけました。みんな音楽的にも人間的にもよく合う友達なので、お仕事で演奏しているっていう感覚はない。一緒に演奏していると本当に楽しいんです。
―このカルテットは、演奏会の時にトークを入れてお客様との距離を縮めること、そして毎回あまり知られていない作曲家の作品をプログラムにいれることを標榜しています。今回はポール・ウィアンコ(1980-)という作曲家の〈弁慶の立ち往生〉がプログラミングされました。この選曲に至った経緯をおしえてください。
日本ではあまりないのかもしれないけど、アメリカやカナダではトークを入れるスタイルは当たり前になっています。水戸でもそれをやりたいのです。
僕がポール・ウィアンコの作品を初めて演奏したのは、オタワのオケのメンバーとの室内楽演奏会の時。パンデミックの間だったんだけど、その期間ブラック・ライヴズ・マターの運動も広く知られるようになって、プログラミングの多様性が注目され始めた時期でした。その演奏会では黒人の作曲家アドルファス・ヘイルストーク(1941-)の作品で、黒人霊歌〈Swing Low, Sweet Chariot〉のテーマが変奏されていく弦楽四重奏曲を取り上げました。それと合わせてドヴォルザークの〈アメリカ〉を。ドヴォルザークはアメリカに来て黒人霊歌に興味をもって、ペンタトニックスケール(五音音階)を使い始めるようになったわけですよね。もう1曲、若いアメリカ人作曲家の曲を、という時にポール・ウィアンコの〈リフト〉という作品に出会いました。これがすごく音楽的に面白い曲だったんです。全体として、アメリカの歴史を俯瞰するようなプログラムになりました。
僕はポールとは面識はないのだけれど、姉のミチ・ウィアンコさんとはジュリアード音楽院のヴァイオリンの同期だった。今も演奏や作曲などクリエイティブな活躍をしている人です。なのでウィアンコと聞いて、「知っている名前だ」と思いました。作曲家ってどこかからインスピレーションを得て曲を作るわけですよね。彼はアメリカで生まれ育ったけど、母親が日本人ということもあって日本のカルチャーに興味があるはずだと思う。自分にどのようなルーツがあるかというのは誰でも気になりますよね。そのようなところから生まれてきたであろう〈弁慶の立ち往生〉という曲はとても興味深い。
自分が経験して良かったことはみんなにも経験してほしい、って誰でも思うことじゃないですか。例えば「この映画は面白かったから見てみて」とか、「あのレストランの料理は美味しかったから今度一緒に行こうよ」とか。それと同じように、これまで僕が演奏してきて「良い」と思ったコンテンポラリーの作品をたくさんの人に知ってもらいたいという気持ちがあるし、今を生きる作曲家の作品を広めるということにも意味があるんじゃないかなと思っています。日本ではアメリカに比べて演奏会のプログラミングに多様性を求めるという動きはあまりないと思いますが、「カルテット AT 水戸」の演奏会は僕が経験してきたことを皆さんとシェアできる場になるといいなと思っています。
―〈弁慶の立ち往生〉というタイトルなので、日本的な音階が使われているのではないかと思いましたが、実際聴いてみるとまったくそうではなく、弦楽器の特殊奏法を使ってこのストーリーを国籍にとらわれずニュートラルに描写しようとしているように感じます。
弦を指ではじくピチカートがとても多い。そして、楽譜を見てみるときっちり合わせるところばかりではなく、各奏者の演奏にゆだねられている部分が結構あるんです。ピチカートといえば、作曲家によってピチカートの扱い方が全然違うのが面白い。例えばラヴェルの弦楽四重奏でピチカートばかりの楽章があって、これはピチカートだけで音楽を作るという例ですね。一方、ピチカートをサウンドエフェクトとして使う人もいる。有名なヴィヴァルディ《四季》の〈冬〉第2楽章は、暖炉で薪がパチパチと燃える描写として登場します。これはピチカートの音もちゃんとハモってますが、ウィアンコのピチカートは全く違う。矢が飛んでくる音やそのほかいろいろな描写に使われているんですね。彼の曲は、突然ポップス系のビートが出てきたりして、僕たちと同じ“今”を生きている人が書いた作品なのだということを感じます。
今回最初に演奏するモーツァルトは、ゆかちゃんからの強い希望があって選曲しました。後期の弦楽四重奏の中で他の作品はこのメンバーで演奏しましたが、〈プロシャ王〉はまだやったことがないし、他でもそんなに頻繁に演奏される曲ではないですよね。明るい曲調でオープニングにふさわしい1曲だと思います。
―後半のシューベルト〈死と乙女〉は弦楽四重奏の傑作中の傑作ですね。
このメンバーで一度演奏したことがあって、その時はこの作品のもとになった歌曲の詩の朗読の後に演奏しました。水戸でも、そのように作品を深く味わえるような仕掛けができればいいなと思っています。
この曲ではいろいろな経験をしました。すごい迫力のある曲だし、学生の時にきちんと勉強したので思い出があります。ジュリアード弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者だったロバート・マン先生のマスタークラスで、他の学生がこの曲を演奏するのを聴講した時のことはよく覚えています。テーマと変奏の楽章のことを説明するとき、4つのパートを人間の体の各部分に喩えて説明していました。第1ヴァイオリンは心臓、第2ヴァイオリンは神経組織、ヴィオラは魂…といったような具合。人間の身体がいろいろな独立した器官を持ちながら、1つの身体を形作っているとの同じように、この部分はひとりひとりが別のキャラクターとして独立しながらも1つの音楽を作るということを伝えるための喩えだったんですね。
MCOでも録音がありますが、マーラーが編曲したオーケストラ版にも個人的な思い出があります。アメリカのアスペン音楽祭で、指揮者のデイヴィッド・ジンマンが音楽監督に就任した1998年のオーケストラコンサートでのこと、前半はモーツァルトの協奏交響曲、後半が《死と乙女》というプログラムでした。協奏交響曲は、ヴァイオリンのチョーリャン・リンとグァルネリ弦楽四重奏団のヴィオラ奏者マイケル・トゥリーがソリストだったんです。僕はグァルネリ弦楽四重奏団のファンで、「わぁー、マイケル・トゥリーが弾くんだー!」とすごく楽しみにしてたんですよ。それで前半が終わって休憩時間、オケの仲間たちと「トゥリーと《死と乙女》を一緒に弾けたら最高なのにね」と雑談していました。なにしろカルテットのエキスパートですからね。いよいよ後半が始まる、というとき、僕たちオーケストラはステージ上で指揮者の登場を待っているわけですが、ステージ袖の扉が開いたら出てきたのは指揮者ではなくステージマネージャー。譜面台と椅子をもって出てきた彼の後ろにゆっくりとトゥリーが歩いて出てきて、ヴィオラの一番後ろの席で一緒に弾いてくれたんです!「トゥリーと一緒に《死と乙女》を弾けるんだ!」と、オケメンバーと大いに盛り上がり、僕の今までの演奏会の中でもトップ5に入るほど思い出深いものとなりました。それはやはりこの曲の持つ強烈な個性も相まって、ということです。

1999年4月、川崎洋介さんが初めて水戸室内管弦楽団に出演した第38回定期演奏会。

―記念すべき第1回演奏会、とても楽しみなプログラムです!最後に水戸の皆さんにメッセージをお願いします。
僕にとって水戸で演奏することは、ホームカミング(帰郷)のように感じています。日本で初めて演奏の仕事をいただいたのはMCOで、それ以来日本で演奏する機会が増えて感謝しています。今はカナダの仕事も忙しくて以前ほどは参加できてないですが、昔はほぼ毎回出演させてもらっていました。偶然にも祖父母は水戸の近く、茨城の常陸太田の人だというルーツもあるし、MCOで僕の若い頃から見守り続けてくれているお客さんが水戸にいると思うと、本当にホームカミング。MCOだけではなくて「トリオ・プラス」「トリオ・インク」などの室内楽で、水戸の中学生のみんなに演奏を聴いてもらう機会もありました。そんなホームのような水戸で、専属のカルテットとして活動できるのは本当に嬉しいです。カルテットは演奏者の人数が少ない分、お客さんとの距離も近い。これからも水戸芸術館に集う皆さんと継続して濃いコミュニケーションをとれたらいいな、と思っています。

(2023年6月6日、zoomでのインタビュー。聞き手・鴻巣俊博)