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INTRODUCTION

オーディオドラマ版「最貧前線」とは企画・脚本 水戸芸術館ACM劇場 芸術監督 井上桂

新型コロナウィルス感染症がもたらしたもの

思いがけない新型コロナウィルス感染症の蔓延で、実演芸術―落語などの芸能はもちろん、演劇、コンサートなど―は、公演が全くできない状況に陥ってしまいました。多くの公演がキャンセルされるか、先の見えない延期に追い込まれました。それは同時に、公共施設としての使命(地域貢献や雇用創出なども)も果たせない状況ももたらしました。緊急事態が解除されても、公演の実現には様々なハードルがあり、かつてのようには(つい今年の2月ぐらいまでのことが)出来ない状況です。とは言え、このまま手をこまねいて事態を傍観していいものか…。

そんな中、今までの私たちの演劇制作の経験と人脈と人材を繋げれば、オーディオドラマが作れるのではと思い至りました。ささやかでも、作品(ソフト)が作れる、小さいけれど、仕事も生み出せる。そしてコロナの影響でご自宅にいる時間が長くなってしまった皆さんの無聊を少しでも慰めることができるなら、私たちとしてはかなり畑違いな挑戦ですがやってみるべきではないだろうか。こうしたアイデアを元に、昨年取り組んだ舞台版「最貧前線」をオーディオドラマにして配信することの相談をスタジオジブリ様、宮崎駿監督様にしたところ、趣旨にたちどころにご賛同いただき、オーディオドラマの制作をご快諾いただきました。こうしてこの企画はスタート出来ることになりました。

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「最貧前線」の三つの本

幸いこの企画には、先行する本が三つありました。「原作」「トライアル台本」「舞台版台本」です。「原作」とはもちろん、宮崎駿監督の漫画です。「トライアル台本」とは、舞台での上演許可をいただくためのプレゼン用の映像的台本です。しかし、いずれもオーディオドラマという特性を考えると、原作や舞台版の精神は踏襲できても、同じ物語構造やそれに基づく作り方ではうまくいかないことが分かりました。

そこで、「トライアル台本」をベースに、舞台版でも登場した「見習い」(原作でちらっと描かれています)の視点で、物語を新たに描くこととしました。舞台版のテイストも活かしつつ、舞台を観て下さった方にも、初めてこの作品に触れる方にも、楽しくお聞きいただけるようになっております。

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危機に立ち向かう庶民の後姿

昭和19年太平洋戦争末期、銃後と言われた市民生活はまだ平穏で、戦争と言うものが遠いものと思っていた人も多くいました。そして年齢的にも立場的にも、その真っ只中に行くことなんかないと思っていた人も多かったと思います。でも戦争は、当時の日本は、否応なくそうした人たちをも巻き込んでいきました。今回も努めて、そんな時代を必死に生きる人々の後姿を描きました。そしてこれが皆様の無聊を慰めるものであり、何かのヒントでありますことを願ってやみません。
今回のエピソードの中には、いわゆる都市伝説的なものからインスパイアされたシーンがあります。時代考証的には必ずしも正しいと言い切れないところがありますが、どうぞご寛恕の上、試聴いただきますと幸いです。

最後に、この企画に関わって下さったすべての皆様に感謝しつつ、平和な時代に向けた再建の努力を誓いたいと思います。

SCHEDULE

全7話無料配信
配信期間:9月1日(水)15時~9月30日(木)24時

全7話無料配信
配信終了

  • 第1話「吉祥丸、徴用される」

  • 第2話「吉祥丸、軍艦になる」

  • 第3話「吉祥丸、出撃する」

  • 第4話「吉祥丸、敵を発見する」

  • 第5話「吉祥丸、最初の航海を終える」

  • 第6話「吉祥丸、再び出航する」

  • 第7話「吉祥丸、最大の危機」

  • おまけ:吉祥丸はこうやって軍艦になった

特別コラム①

史実の「最貧前線」 出陣学徒と特設監視艇

井上桂

 2021年6月、水戸芸術館にオーディオドラマ版「最貧前線」について問い合わせがありました。一橋大学卒業生で特設監視艇に乗り組んで戦死なされた方がいるので、とある催しでオーディオドラマ版「最貧前線」を取り上げることは可能かと言うものでした。一緒に送っていただいた資料には、板尾興市さんという方の半生をまとめたものが入っていたのですが、それによると昭和18年9月22日に東京商大(一橋大学の前身)予科を卒業し同大学・学部に進学しますが、ほどなく学徒出陣となり同年12月に海兵団に入団したとあります。海兵団で海軍兵としての訓練を経て、昭和19年夏に電測学校に入学していわゆるレーダーに関しての教育を受け、同年12月板尾氏は第22特設監視艇部隊に配属されました。

 この第22特設監視艇部隊は、『最貧前線』で描かれた漁船による監視艇部隊のことです。まさに吉祥丸が徴用され横須賀で改装工事を受けている時にあたります。舞台版でもオーディオドラマ版でも執筆にあたって当時の資料を集め読みましたが、学徒兵が乗り込んでいた船があったとは気がつきませんでした。また、監視という任務からすると漁船にもレーダーが搭載されたのは当然のことと思いますが、実際にそれが搭載された監視艇についての記録や記述も少なく、可能性としては有るんだろうなという理解でした。

 この資料を、時代考証にご協力いただきました大内建二氏にご覧いただくと、学徒兵が乗っていたこと、実際にレーダーが搭載された監視艇のことが言及されていることも含めて、貴重な記録であるともご指摘いただきました。そして配属されてわずか3か月後の昭和20年2月18日にその監視艇は沈められ、板尾氏は戦死なされました。わずか21歳の生涯でした。

 お問合せの内容にはお役に立てなかったのですが、史実の監視艇を知る貴重な機会になりました。今回の再配信に際して、ご視聴の皆様にもこの史実を知っていただきたく、お寄せいただいた資料も転載させていただきます。この情報をもたらしてくださいました一橋いしぶみの会の竹内様にも感謝申し上げます⚓

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写真提供:「戦没した船と海員の資料館」

2021年9月1日

特別コラム②

再現・見習い特製海軍ライスカレー

見習い、ライスカレーを作る

本編で、14歳の見習いは艇長から「海軍では、金曜日にライスカレーを作るものだ。先輩にカレーの作り方聞いておけ」と言われ、航海最初の金曜日に見よう見まねでライスカレーを作ります。今回の配信では、その劇中のカレーを再現して皆様にお届けしようと思います。なお原作には一切このライスカレーは登場しませんので、ご了承ください。

【材料(一人分相当)】

鳥モモ肉50g、ジャガイモ一個、ニンジン半分、玉ねぎ4分の1
カレールゥ:牛脂10g、カレー粉大匙1/2、小麦粉大匙2杯半、スープストック2カップ、塩コショウ少々

  1. ①肉、野菜は一口サイズにカットする
  2. ②鍋に牛脂を溶かし、カレー粉と小麦粉を焦がさないように茶色になるまで炒める。
  3. ③ ②にスープストックを加えてとろみが付くように伸ばしていく。
  4. ④塩コショウで味付けしたら、肉・野菜をいれてじっくり煮込む

これをベースに各軍艦で独自に工夫したカレーを作ったようです。吉祥丸においては、徴兵される前にコックだった洞口一等水兵が、見習いにその料理法を教えますが、その時に彼なりのコツが施されているはずです。これを踏まえて作ってみたライスカレーがこちらです。基本の野菜に、お肉は牛肉を入れていただきました。劇中では、牛肉の缶詰(大和煮)を入れた設定としました。

帝国海軍のカレーのレシピを見る

(昭和17年「海軍主計兵調理術教科書」より)

当時の食器は、ホーロー引きの飯椀、汁椀、菜皿、湯飲み、箸。

カレーは、きっとこんな風に箸で食べたと考えられます。手違いで、カレーとご飯の容器が逆になっています。美味しかった~

海軍カレーの都市伝説

さて、このエピソードは、日本海軍で金曜日にカレーライスを食べていることを前提にしたものですが、実際にはどうだったのでしょうか。

「金曜日に日本海軍ではカレーを食べる習慣があるが、それは長い航海していると曜日感覚がなくなるので、今日が金曜と分かるようにカレーを出したのだ」、と言う説があって、筆者もしばらくそれを信じていました。しかし調べてみると、カレーが決まった曜日に出されるようになったのは戦後のことで、しかも当初は土曜日のお昼に出されていたことも分かりました。カレーが土曜日のお昼に出されたのは、当時土曜日が半休だったので準備や後片付けが楽なカレーが選ばれたというところが真相のようです。今は週休二日になったので、土曜のカレーが一日前倒しになって金曜となったわけです。
つまり、劇中でのカレーライスのくだりは、史実に基づいているとは言えないのです。「INTRODUCTION」 で、一部都市伝説にインスパイアされたシーンがあると言っておりますが、実はそれがここのシーンなのです。

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カレーライスを漁師さんたちに食べさせたい

ところで、昭和19年後半の日本国内では、大変な食糧不足でした。主食のコメはもちろん配給となっていますが、時にはジャガイモやカボチャが代わりに配られたりするほどでした。

塩・砂糖・みそなどの調味料も当然配給で、カレー粉は贅沢品とみなされハウス食品のHPによれば昭和16年には軍向け以外の製造販売が停止されましたし、肉類に至ってはほとんど手に入らないレアな食品になっています。当時の婦人雑誌の料理欄は、乏しい食糧をどう増量するかという工夫レシピのオンパレードです。
しかし、軍艦となった吉祥丸には長い航海に備えてたくさんの食料品が積み込まれます。おまけに、市民生活ではお目にかかれないご馳走となったライスカレーを、肉入りでたらふく食べられるとなった漁師さんたちの喜びは、いかばかりのものだったでしょうか。
とは言え、劇中でカレーがこのタイミングで出てくる必然性を当時の環境から見つけることができず、「海軍カレーの金曜日伝説」を敢えて使わせていただいた次第です。

史実では、特設監視艇に乗り込んだ漁師さんも軍人さんも、カレーライスを食べられた機会は何度かあったと思います。どんな思いでカレーを召し上がったかは分かりませんが、今やすっかり日常食であるカレーをそんな風に食べられた時代に思いを馳せていただきたく、見習い特製ライスカレーを改めてご紹介しました。特製カレー作りにご協力いただきました皆様、ありがとうございました!

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STORY

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海の最前線に送り込まれた、漁師と兵士の物語

太平洋戦争下の鄙びた小さな漁村。若者は兵隊にとられ、村に残ったのは中高年と女子供ばかりだが、戦時下ながら日本近海で漁にいそしみ、大漁という喜びもまだ噛みしめられる日々だった。14歳の見習いは、吉祥丸に乗り込んで日々、先輩漁師たちから一人前になるべく仕事を学んでいた。しかし、そんな小さい船にも徴用の電報が飛び込んできた。明後日までにすべての乗組員ごと横須賀軍港に来いというのだ。一体どんな仕事をさせられるのか、吉祥丸は不安を抱えたまま、家族との別れもそこそこに、急ぎ指定された横須賀に向かうことになった。

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そこで知らされたのは、吉祥丸は特設監視艇という軍艦となり、海の見張り役として海の最前線でアメリカ軍の動向を探る監視の任務につくということだった。軍艦として改装された吉祥丸は、新たに乗り込んできた艇長と二人の水兵を加え、指定の海域に向かうことになる。道中、航海経験に乏しい軍人たちは、鯨を潜水艦と間違えたり、天候を読み違えたりして、海の達人である漁師たちとことある毎に対立する。しかし漁師たちの知識や行動力に、軍人たちは一目置くようになり、次第に信頼感を芽生えさせていく。

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しかし戦況は厳しく、日本のはるか南方面に配置された監視艇部隊は全滅し、吉祥丸はその穴埋めに同郷の漁船・三鷹丸とともに激戦地の南方に派遣されることになってしまう。そこに現れたのは、日本本土を空襲に向かうB29の大編隊。そして吉祥丸のような監視艇すら根こそぎ沈めようとする別動する攻撃部隊だった。
果たして吉祥丸は帰ってこられるのだろうか。

トレイラー

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CAST

  • 山本龍二(やまもと・りゅうじ)

    吉祥丸のかしら(船長)

    プロフィール

    プロフィール

    東京都出身。劇団青年座所属。舞台、ドラマを中心に活躍。出演作に、舞台『組曲虐殺』『残り火』『断罪』『地獄のオルフェウス』『薮原検校』、ドラマ『家康、家を建てる』『おんな城主 直虎』、映画『彼岸島』『陰日向に咲く』など多数。

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  • 前田旺志郎(まえだ・おうしろう)

    吉祥丸の見習い

    プロフィール

    プロフィール

    大阪府出身。兄の前田航基とお笑いコンビ「まえだまえだ」として幼少期より活動。近年は俳優として活躍の幅を広げ、是枝裕和監督作品『奇跡』に主演。主な作品に、映画『海街Diary』『レミングスの夏』、ドラマ『命売ります』『いだてん~東京オリムピック噺~』『左手一本のシュート』など。2019年、舞台『最貧前線』の見習い役で初舞台を踏んだ。

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  • 鳥山昌克(とりやま・まさかつ)

    吉祥丸の艇長

    プロフィール

    プロフィール

    香川県出身。1988年劇団唐組入団。唐組、新宿梁山泊の公演をはじめ、蜷川幸雄演出作品、トム・プロジェクトプロデュース『沖縄世 うちなーゆ』『Sing a Song』など舞台を中心に活躍している。水戸芸術館へは、『麗しのハリマオ』『ラ・クカラチャ』などに客演している。

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  • 春海四方(はるみ・しほう)

    吉祥丸の甲板員(網掛け)

    プロフィール

    プロフィール

    東京都出身。「一世風靡セピア」で活動後、舞台や映像で幅広く活躍。近年の主な出演作に舞台『あわれ彼女は娼婦』『エノケソ一代記』『子供の事情』『La Strada 道』『ヴェネチア狂騒曲』『アルトゥロ・ウイの興隆』『十二夜』、ドラマ『おっさんずラブ』『夫のちんぽが入らない』『いだてん~東京オリムピック噺~』『ハゲしわしわときどき恋』などがある。著書『前略、昭和のバカどもっ‼︎』を刊行。水戸芸術館では『ジュリアス・シーザー』、『海辺の鉄道の話』に出演。

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  • 安達勇人(あだち・ゆうと)

    上等水兵

    プロフィール

    プロフィール

    茨城県出身。雑誌のモデルとしてデビュー以来、映画、ドラマ、CM、舞台、声優、歌手として幅広く活躍。2018年いばらき大使に就任。イベントだけでなく笠間市でADACHI HOUSE CAFE、AYHファッション、ADACHI HOUSE農園を営むなど様々な分野で展開。本年秋、水戸芸術館で上演予定の音楽劇『夜のピクニック』にメインキャストとして出演が控えている。

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  • 福本伸一(ふくもと・しんいち)

    造船士官(少尉)

    プロフィール

    プロフィール

    大阪府出身。'85年早稲田大学卒業後、劇団ラッパ屋の旗揚げに参加。以降主力メンバーとして劇団公演への出演と並行して、外部舞台、TV、CM、ナレーションなど幅広い分野で活躍。本年7月には、舞台『トムとディックとハリー』の出演が控えている。

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  • 山口森広(やまぐち・しげひろ)

    一等水兵

    プロフィール

    プロフィール

    神奈川県出身。劇団ONEOR8所属。映画、ドラマ、CM、バラエティなど幅広い分野で活躍。出演作品に、映画『ベトナムの風に吹かれて』『バトルロワイヤル』、ドラマ『anone』『獣になれない私たち』など。自身の音楽ユニットでは、作詞作曲ヴォーカルもつとめる。

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  • 杉木隆幸(すぎき・たかゆき)

    三鷹丸の船長

    プロフィール

    プロフィール

    富山県出身。茨城大学在校中より演劇活動開始。舞台、映画を中心に活躍中。これまでの代表作に映画『ぴかぴか』『聴こえてる、ふりをしただけ』『初夜』、舞台『悪魔を汚せ』『コンドーム0.01』他。今秋、舞台『all my sons』(serial number)の出演が控えている。水戸芸術館では『海辺の鉄道の話』に出演。

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  • 柳家花緑(やなぎや・かろく)

    吉祥丸・無線士

    プロフィール

    プロフィール

    東京都出身。中学を卒業後、祖父・五代目柳家小さんに入門。前座名は九太郎。1994年戦後最少年の22歳で真打昇格。柳家花緑と改名。古典落語の伝統を守りながらも近年は新作落語にも取り組んでいる。番組の司会やナビゲーター、俳優としても活躍。水戸芸術館での独演会は既に6回を重ね、毎回完売し好評を博しているが、今年は新型コロナウイルス感染症の影響により、延期となった。

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  • 近藤芳正(こんどう・よしまさ)

    吉祥丸・機関士

    プロフィール

    プロフィール

    愛知県出身。東京サンシャインボーイズに欠かせぬ客演俳優として脚光を浴び、現在はテレビ・映画・舞台と活躍。2009年からは劇団♬ダンダンブエノから派生したソロ活動として、現在“バンダ・ラ・コンチャン”(現在はラ コンチャンと改名)を始動し、舞台制作やプロデュース作品も手掛けており、時には作・演出にも関わっている。水戸芸術館では『私はマルヴォーリオ』『斜交~昭和40年のクロスロード~』に客演。本年6月に当館との共同企画である近藤芳正Solo work『ナイフ』は新型コロナウィルス感染症の影響により中止となった。

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  • 壌 晴彦

  • 相澤まどか

  • 弘中麻紀

  • 熊坂理恵子

  • 橋本昭博

  • 平井千尋

  • 菅野恵

  • 今治ゆか

  • 田村佳名美

  • 前田聖太

STAFF

  • 原作:宮崎 駿(みやざき・はやお)

    プロフィール

    プロフィール

    東京都出身。学習院大学卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)入社。日本アニメーションなどを経て、1985年にスタジオジブリ設立に参加。作品に『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『紅の豚』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』など。著作に「シュナの旅」「出発点」「折り返し点」「半藤一利と宮崎駿の腰抜け愛国談義」「トトロの生まれたところ」「宮崎駿の雑想ノート」などがある。

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  • 脚本:井上 桂(いのうえ・かつら)

    プロフィール

    プロフィール

    岩手県出身。2017年水戸芸術館ACM劇場の三代目芸術監督に就任。1996年新国立劇場開場時より演劇部門で制作として活動。2005年からは新国立劇場・演劇研修所の運営に携わる。その後、日本芸術文化振興会のプログラム・オフィサー(演劇分野)などを経て現在に至る。舞台版『最貧前線』では、原作のエピソードを踏まえ様々な資料から当時のエピソードを掘り起こし台本化した。本作では更に当時の漁師たちの生活風景も描き、戦争と平和の落差を鮮明に描いた。

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  • 演出:壤 晴彦(じょう・はるひこ)

    プロフィール

    プロフィール

    京都府出身。大蔵流狂言故・四世茂山千作に師事。劇団四季を経て、フリーの俳優として活躍。声優としても活躍する。テレビドラマの演技コーチ、大学の講師などの活動に加え、演劇団体としては国内で二番目となる認定NPO法人演劇倶楽部『座』を主宰し、次世代に継承すべき「美しい日本語」を研鑽・伝承する活動を広く行っている。本年で8年目を迎えた水戸芸術館での「朗読スタジオ」は、芸術館の普及教育活動の中でも、抜群の人気講座であり、そのメイン講師として熱い指導に当たっている。

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音楽:久米大作/音響プラン:山口剛史/音響効果:吉田寿子、尾林真理/音響助手:二三琴音/映像・編集:田島 亮/演出助手:橋本昭博

時代考証アドバイス:大内建二/方言協力:川﨑賢一/劇中歌:木津かおり

宣伝協力:吉田プロモーション

原作掲載:月刊モデルグラフィックス(大日本絵画刊)

Special Thanks:スタジオジブリ、東京三光

【COVID-19対策 公共劇場緊急共同企画】

水戸芸術館ACM劇場・神奈川県立青少年センター・KAAT神奈川芸術劇場・穂の国とよはし芸術劇場PLAT・サントミューゼ(上田市交流文化芸術センター)・りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・兵庫県立芸術文化センター・大和市文化創造拠点シリウス

企画・制作:水戸芸術館ACM劇場

COLUMN

ヒストリカルノート特設監視艇とは大内建二

特設監視艇の誕生 主力艦艇の補助任務として

一国が有事の事態に突入した時、海軍戦力を持つ国家は常備の艦艇の絶対的な不足を補うために、自国の商船を国家徴用し特設の艦艇として運用するのは半ば常識となっている。

海軍の艦艇には様々な種類が存在するが、戦闘の主力となる艦艇以外にも様々な任務に使われる小型の特務艇が多数存在する。これらの特務艇の絶対的な不足を補うのに最も適した船舶に漁船がある。特に遠洋で操業する鰹・鮪漁船、延縄漁船、底引き網漁船、トロール漁船そして南氷洋捕鯨船等は遠洋性に優れ、近海や沿岸の警備に運用される哨戒艇、掃海艇、駆潜艇などに正に適合する船なのである。
太平洋戦争が勃発した時、日本海軍は日本近海の哨戒や対潜任務、更に洋上監視や掃海任務に特設の特務艇として使うために、多数の遠洋漁船を国家徴用したのであった。

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海の”根こそぎ動員“

日本海軍がこれらの目的のために徴用した遠洋漁船は合計八百四十一隻に達したのである。

しかしその七十パーセントに相当する六百五十隻が、任務中に敵戦力(艦艇や航空機)の攻撃で失われたのであった。
これら徴用漁船の乗組員は海軍から派遣された少数の軍人以外、その大半は夫々の漁船の既存の乗組員であったのである。六百五十隻の失われた漁船に乗り組み命を失った夫々の漁船の乗組員の数は、二万人に達したのだ。
太平洋戦争中に日本海軍や陸軍が徴用した商船や漁船或いは機帆船の乗組員中、乗船していた船の沈没により犠牲となった乗組員の総数は実に約六万四千名に達するのである。しかもその約半数が商船以外の漁船や機帆船の乗組員であったことは知られていない。

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人間レーダーであった監視艇の任務

この徴用漁船は様々な任務に付いたが、その中でも最も過酷な任務に付いたのが特設監視艇であった。

日本海軍には本来「監視艇」という特務艇は存在しなかった。しかし太平洋争の勃発に伴い、日本本土の遥か洋上から日本に接近してくる敵艦隊をいち早く発見するために、広大な洋上に多数の監視艇を配置することにしたのである。言い換えれば「人間レーダー」の任務である。
これ等監視艇の任務は、各監視艇の警戒行動の海域内に侵入してくる敵艦隊をいち早く発見し、司令部に通報することである。日本海軍はこの監視艇として航洋性能に優れた遠洋漁船を選定し、監視艇の代用としてこれら漁船を「特設監視艇」として活用することにしたのであった。
彼らは自己の監視艇に与えられた監視海域を毎日毎日移動し、一日中双眼鏡や目視で自己の監視海域に“侵入して来るかもしれない”敵艦隊の監視に努めていたのであった。そして万が一監視海域に敵艦隊或いは敵艦艇や航空機が侵入してきた場合には、直ちにその情報を司令部に伝えるのである。この「伝える」ことが特設監視艇の任務であった。

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一方的な攻撃の末の最後

特設監視艇は監視が任務で敵に対抗する武器を持っていないのだ。

そのために戦争末期には極めて多くの特設監視艇が敵艦艇や航空機の一方的な攻撃を受け、「攻撃を受けつつあり」が最後の連絡となり、艇は乗組員全員と共に海底に消えていったのであった。
日本海軍が特設監視艇用に徴用した漁船の数は四百七隻に達した。そしてその七十パーセントを超える三百隻が、任務中に敵の攻撃で撃沈された。
特設監視艇の乗組員の中で、その漁船の本来の乗組員の犠牲者数は約一万名となるのだ。徴用漁船の乗組員犠牲者数の約半数が特設監視艇として徴用された漁船の既存の乗組員であったことは忘れてはならないのである。

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忘れられたその存在

特設監視艇の存在については、戦時中はおろか終戦後も、一般に知られることはなかった。

太平洋戦争中に大量の漁船や機帆船が陸海軍の徴用を受け戦場に赴き、その大半がその船の乗組員と共に戦禍で失われたという事実は、世の中ではほとんど知られていない。
知られていない裏には、この小型船の大量徴用という事実が、当時の厳重な軍事機密の中で行われ、乗組員や船主等の関係者がそれを戦後も厳格に守り、更に直接の関係者であるこれら船の多くの乗組員が、特設監視艇に代表されるように、孤独な任務の中で敵の攻撃で船と共に人知れず命を失い、その実態が紹介される術がなかった、という事実を知らなければならないのである。
特設監視艇は太平洋戦争の歴史の中に隠された今一つの悲劇の舞台なのである。

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※特設監視艇や漁船の徴用などについて更に詳しくは、大内建二著「戦う日本漁船」(光人社NF文庫)をご覧ください。
※吉村 昭著「背中の勲章」(新潮文庫)では、当時監視艇に乗り込んだ水兵の体験が読めます。

NHK 戦争証言 アーカイブス

「市民たちの戦争」→「漁師は戦場に消えた」で体験者のお話が聞けます。

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