【重要】2020年6月2日(火)より、施設の一部を開館します
 新型コロナウイルス感染症予防のお願い
【中止公演のチケット払い戻しのお手続きについて】
 年間スケジュール【PDF】4月1日現在版

水戸芸術館は、おかげさまで2020年3月22日に開館30周年を迎えました。
これまでに400万人以上の皆様にご来館いただき、当館30年の歩みを支えてくださった全ての皆様に心から感謝申し上げます。

1990年に水戸市制100周年を記念して開館して以来、音楽、演劇、美術の各分野で、吉田秀和初代館長そして現在は小澤征爾館長を中心に、自主企画による多彩で魅力あふれる事業を開催し、また地域の文化活動の拠点としても、市民の方々と連携して行う様々な企画を実施してまいりました。2019年度から2020年度にかけては、「開館30周年記念事業」を下記のラインナップで行います。

これからも水戸芸術館は、“まちの中へ、人のこころに”をモットーに、皆様と共に感動のひと時を分かち合えるよう、活動を続けてまいります。今後ともご支援ご協力くださいますようお願いいたします。

お知らせNews

  

今後のプログラムProgram

    終了したプログラムProgram

      水戸芸術館は、おかげさまで2020年3月22日に開館30周年を迎えます。
      これまで延べ400 万人以上の皆様にご来館いただいており、当館30年の歩みを応援してくださった全ての皆様に心から感謝申し上げます。
      開館30周年を機に、これまで支えてくださった皆様と共に当館の歩みを振り返りたく、当館にまつわるエピソードを2020年2月1日から2月29日の期間に募集しましたところ、「開館当初の思い出」「記憶に残る公演・展覧会」そして「芸術館と私」など、数々のかけがえのないエピソードをご応募いただきました。ご応募いただきました皆様へ心より感謝申し上げます。お寄せいただいた111点の中から、16点のエピソードを掲載いたしました。
      これからも水戸芸術館は、「まちの中へ、人の心に」をモットーに、皆様の心に感動と記憶に残り、ひとつでも多くのエピソードが生まれるような事業を展開してまいりますので、引き続きご支援くださいますようお願い申し上げます。

      2020年3月
      公益財団法人水戸市芸術振興財団

      瀬崎昌和

      湖畔の記憶

      現在、水戸芸術館が建っている場所には、かつて私が幼少期に通った五軒小学校がありました。中学校に上がったころだったでしょうか。「小学校が移転する」「校舎は撤去される」という話を聞きました。家が近所でしたので、大きな音と土埃をあげながら崩される校舎を目の当たりにし、幼いながらも自らの身を削られるかのような寂しい思いをしたことを記憶しています。

      その後、新たに完成した水戸芸術館は、元々あった小学校の建築物のレイアウトとほぼ同じでした。敷地外周を建築物が並び、中心に南に向けて開かれた広場があるレイアウトは、まるでデジャヴュを見ているようで、新たにできた建築に親しみを覚えました。
      オープン後、ギャラリーで開かれた芸術やデザインに関する展覧会は欠かさずに見に行き、時折、コンサートホールも訪れました。前列の席で小澤征爾氏の荒々しい息遣いを目の当たりにし、クラシック音楽のイメージが刷新されるほどの衝撃を受けたことを記憶しています。
      改めて30年前の水戸芸術館について思い返した時、様々な展覧会やコンサートの記憶も蘇りますが、最初に蘇った記憶は、初代館長であった吉田秀和氏が、奥様と恋人のように仲睦まじく腕を組まれながらゆっくりと水戸の街を歩かれていたお姿です。何度となくお見受けしましたので、水戸駅から商店街を抜け約1.5kmを歩いて通われていたのでしょう。その様子は、単に人が歩いている風景というより「芸術文化ここにあり」という意志を持った風景を見ているようでした。
      進学を機に水戸を離れ、その後戻ることはありませんでした。歳を重ね、水戸で生活していた時間よりも現在生活している場所での時間の方が長くなりました。それでも、我が故郷は水戸です。時折、千波湖を通して遠くに見えるアートタワーを臨む風景を思い出します。その風景は30年前も現在も、そしてこれからも変わることがないと思うと少しだけ心が安らぎます。

      続きを読む

      りんごの花

      水戸の片隅に芸術館があるということ

      今から数十年前。その当時入っていた合唱団の練習の中で、この近辺の地下にトンネルが掘られるということと、五軒町の開発の事が話題に上っていました。話し手の方々は市長のしようとしていることに難色を示している…。そういう印象を、世間知らずの未熟な娘っ子であった私は思い出します。

      数年後に芸術館がオープンして、そこに小澤征爾が来る、吉田秀和が館長、ということを知りました。建物の魅力、包まれる空間。光と陰。専属のオーケストラや劇団が作られ、ギャラリーがあり、演出家がおり、冒険的な企画が練られていることを、たまに訪れると肌で感じ、水戸にいて世界に繋がっていると空間的に感じられるようになりました。美的な物事にふれることが喜びである者にとって、この感覚はお金に変えがたいものと言えます。文化とは直接的なものではないのだと、佐川氏は心から思っていたのではないかしら。その土地に漂うもの~。
      この30年にいろんな名場面がありました。私にとっては心に傷が残っていくとも言えます。必要な傷。ピアノの演奏ではクリスチャン.ツィメルマンの、シューベルトの晩年のピアノソナタが圧巻でした。シューベルトをすごく感じてしまって、慰めを深く得たことを、今でも思い出すことがあります。
      水戸の片隅にあの空間が大切にあり続けることを、心から願っている1人です。

      続きを読む

      菱沼美智子

      ―開館当初の思い出―

      水戸芸術館が開館して、間もなくのコンサートであったと思う。はやる心を抱きながら客席に急ぐ沢山の人々の姿があった。ドアーの前で、同時に入ろうとした人と共に立ち止まり、先を譲ろうとすると、「奥様、お先にどうぞ!」と高めで、さわやかな声がかかった。白髪まじりの長い髪型の初老の紳士、その人こそ吉田秀和氏であった。際立った容貌は、見間違うことはなかった。

      ―音楽を愛するすべての人々に、少なからず影響を与えた人であろうと思われる。― 当時の内向きな考え方の人々の中にあって、自分の思い、考えを率直に述べておられた。それは広い視野からの考えに基づく、ごく自然なものであったように思う。―尊敬する人との一瞬の出合い― 30年程前の氏の姿が、今でもはっきりと目の前に浮かんでくるような思いがする。

      ―心に残るコンサート―

      第一回目、チェリスト、ロストロポービッチの演奏会の事、学生時代の友が、「最も敬愛する音楽家」と語っていたその人の演奏を身近に聞けるというだけで、ホールに向かう心ははやり、地に足着かずの思いであった。その日の夜のホールはやわらかなチェロの響きに包まれて、夢のような空間であった。一音一音に含まれる演奏者の思いが、砂漠の砂が水を吸収するように、全ての聞き手に浸透していくのを感じた。アンコール曲「鳥の歌」でのこと。―スペイン・カタルーニャ地方で鳥は、ピース(平和)、ピースと鳴くという― 反戦の美しく、その悲しいメロディーがホールを満たしたその時、私の体はホールの空間にスーッと浮遊していくような感覚にとらわれた。
      舞台の演奏者が遠くに見え、この空間に漂うのは、自分一人のみ。極上の快感のようなものを感じたのは、最初にして、最後の体験となったように思う。(その後、どのようにして、帰路に着いたのか、定かではない。)

      続きを読む

      長谷川庸熙

      ACM劇場に期待すること

      音楽、演劇、美術の複合施設として開館した水戸芸術館の中でも演劇部門の果たしている役割はとても大きいと感じています。磯崎新氏設計による劇場空間はシェークスピア時代のグローブ座もかくやと思わせる立派なもの。この劇場の開館によって演劇を鑑賞する機会が格段に増えました。

      杮おとし公演は鈴木忠志率いる劇団SCOTのギリシャ悲劇の上演だったと思いますが、スズキメソッドで訓練された役者たちの発声法に圧倒される思いでした。芸術総監督でもあった鈴木氏が観客を舞台上にあげて立食パーティーのようなものを催してくれたこともうれしい驚きでした。
      その他にも花組芝居や遊・機械全自動シアターの公演なども楽しく観たものです。中庭に設けられた唐組芝居の紅テント公演も独特な雰囲気で楽しめました。中央の話題作以外にも専属劇団ACMや子どもたちの演劇、さらには『夜のピクニック』や『最貧前線』など館独自のプロデュース作品も見応え十分です。
      古典芸能の分野でも、人間国宝・野村万作と萬斎の共演が毎年観られるのもうれしい限りです。落語では当代人気落語家の定期独演会もさることながら、小三治と米朝、文枝の二人会は今や伝説の公演と言っても過言ではないでしょう。上方落語界の至宝とも言うべき名人の長講が聴けたことは私の落語鑑賞歴の中でも特筆すべきトピックとなっています。これからもあらゆるジャンルにおいて舞台芸術の素晴らしさをACM劇場から発信していってほしいものです。

      続きを読む

      川嵜つやこ

      芸術館と私

      思えば当時私は、嫁姑、職場での葛藤のさなかでした。そんな時、水戸芸術館が開館し、心が折れそうな私の現実逃避の場になりました。第1回定期演奏会で、各界の著名人や、お歴々の隙間に一人身を沈め、開演前の張り詰めた空気の中、モーツァルト、ディヴェルティメントK.136の研ぎ澄まされた旋律に、日常の何もかも洗われるような感動を覚えました。

      身に余る演奏は、世界に羽ばたく綺羅星が一堂に会し、厳かで贅沢な会場に居合わせた皆様と共有できたことを、私の心のモーターとして、その後の生活に活力と潤いを与えました。私自身の芸術の発掘場となり、色々な曲や絵画に出会う度、感銘を受けました。
      娘がまだ高校生の頃、嵐のような日に、チケット発売で私の代わりに、早朝から長時間並び、半べそで帰ってきました。「私の前で完売だった」「えー!神様は非情だね〜!」と、諦めていた演奏会数日前、キャンセル待ちに朗報が届き、しかも中央の席が当り、心弾ませ会場へ向かった事もありました。又、偶然、開館にあたり尽力された、若すぎる市長の訃報に際し、追悼特別演奏、K.136の響きには、諸行無常の琴線に触れ、胸を衝きました。
      30年の間には別れも多々ありました。中でも“オペラの花束をあなたへ”シリーズでは、畑中良輔ご自身のエピソードを交えての楽しい解説に魅了され、足繁く通い、オペラの素晴らしさを知りました。そんな会場で声楽家になられた同級生と数十年ぶりの再会で親交を深めています。バロック音楽を奏でる、美しく装飾されたチェンバロの数々も目に焼き付いています。30年経った今でもその時々の感動を思い出し、芸術館で私は育てて頂き、色々な葛藤は、月日と共に流れ去りました。水戸芸術館は人の心を豊かに育くむ宝庫です。これからも体力の続く限り通いたいと願いつつ。芸術館関係各位に心からありがとう。

      続きを読む

      さくら

      水戸芸術館の思い出は、先月末に84歳で亡くなった父との思い出に重なることばかりです。母が32年前に亡くなり、ひとり暮らしの父は音楽をこよなく愛し、パイプオルガンのお披露目やニューイヤーコンサートをはじめ素敵な公演があるたびに、私たち娘に声をかけ誘ってくれました。

      1番記憶に残る演奏会は、20年位前になると思いますが、小澤征爾さん指揮の水戸室内管弦楽団のリハーサルを見せていただく演奏会でした。「随分早くに並んだけど、リハーサルのチケットしか買えなかったよ」と残念そうに父は話していましたが、そのリハーサルの素晴らしかったこと!!小澤征爾さんのユーモアあふれる楽団員の皆様とのやり取り、ラフな服装の皆様の演奏も楽しく、特に宮本文昭さんのオーボエの心に沁み渡る音色は今でも耳に残っております。父と感激して帰宅の途についたことを思い出します。
      その後も、当時小学生だった私の息子たちをA C M劇場での「リア王」に誘って連れて行ってくれました。娘、孫たちに芸術を楽しむ喜びを教えてくれた父でした。
      東京まで行かなくても水戸で一流の魅力的な芸術に出会える機会を与えてくれた「水戸芸術館」に感謝すると共に、今後の更なるご発展をお祈りいたします。これからも素晴らしい芸術を届けてください。

      続きを読む

      お絵かきうさぎ

      初めてがいっぱい

      初めて。
      思い起こせば、私と芸術館には初めてがいっぱいだ。
      展望台には、当時高校受験を終えた私を、お祝いと称して家庭教師だった大学生のお姉さんが誘ってくれた。

      まだ開館して間もない頃だったように思う。
      斬新な細身の塔(なんて華奢!でもエレベータがある!)に、上野の美術館しか知らなかった私は、すっかり度肝を抜かれた。
      それにあの宙づりの岩!水のありかた!私の常識を覆す衝撃だった。
      カッコいい、芸術館はそういう存在になった。
      その後、自分の意思で訪れた展覧会も芸術館でのメイプルソープ展が最初だったように思う。
      新聞に掲載される作品の解説に惹かれ、友人を誘い行ってみたが、カーテンをくぐりぬけ、展示室を後にした経験は強烈だった。熱に浮かされたように、重い図録を抱えて帰宅したのを覚えている。
      他にも色々あったなぁ。
      演劇公演に誘われ、舞台が近くてドキドキした!
      生のパイプオルガンの壮大な音色に不覚にも落涙しそうになった。
      結婚式に遭遇した、水戸市民芸術祭に出品すると、光あふれるあの回廊に作品を展示してもらえるなんて!
      そして数年前、ふと立ち寄った真夏の日、あの巨岩の下で水遊びをする我が子に、目を細めた。(君たちは幸せ者だね!)
      現代美術というものに親しみのなかった私だが、いくつかの展覧会を経て、視野を広げてもらったように思う。そして芸術館の思い出は、若かりし日々のキラキラした記憶を連れてくる。
      たびたび思い出すからだろうか。
      件の展覧会の彼女と、去年ひょんなところで再会した。
      お茶を飲みながら問うてみた。昔、メイプルソープ展行ったよね?
      勿論覚えていた。うふふと笑った彼女は昔から大人っぽい人だった。
      今でも私をとらえて離さないメイプルソープの花の写真、ポートレイト。
      彼からはじまった芸術館は、いつでも特別な美術館の一つだ。

      続きを読む

      室 雄二郎

      赤い羽根の夏休み

      あれは確か小学4年生くらいの夏休みのときだろうか。当時よく一緒に遊んでいたTくんの家に遊びにいったとき、彼の父親がTくん、わたし、それからちょっと遅れてやってきたHくんに向かって「よし、今日はおもしろいところに連れて行ってやるぞー」と言い放った。子供ながら一体どんなところに連れて行ってもらえるのだろう…とワクワクしながら、私たちは車に乗り込んだ。

      そこは水戸芸術館だった。館内に入るのはこのときが初めてで、Tくんのお父さんは地下駐車場に車を止め、私たちを館内へと案内する。内心『これから何をするのだろう』と期待と興奮が入り混じったまま、展示室へと移動になる。Tくんのお父さんは、わたしたちに設置されている絵やインスタレーション作品について、どんどん自由に思ったことを聞き出した。見た感想を素直に答えるたび、Tくんのお父さんの反応が大げさになったり、深くうなづいたり、そのやりとりが本当に楽しかった。その時見た透明な縦長の入れ物のなかに赤い羽根が強い風で舞っている作品が忘れられなかった。
      高校生になったわたしは詩のようなものを作っていた。それをもってなぜか突然芸館に現れ、学芸員の人と小学生の夏休みに体験した話をすると、Tくんお父さんが水戸芸のギャラリートーカーだったということを知った。そこから少しずつ高校生ウィークやボランティアなど社会人になってからも芸館と関わるようになっていった。芸術館で出会った人たちやそこで生まれた対話は今でも貴重な財産で自分の体内に組み込まれている。改めて寛容な場所が自分の身近にあったことを考えると恵まれていた環境にいたのだなとつくづく思う。 そんな芸術館が今年30歳になり、私も30半ばになる。いつも思い出すのは小学生の時に出逢った赤い羽根の作品と夏休み。子供だった自分と大人になった今の自分を振り返ったとき、なんとも言えない感情が心の底から湧き出て胸が熱くなった。

      続きを読む

      たーくん

      私と芸術館との思い出は、小学生の頃の「子どものための音楽会」です。水戸室内管弦楽団の圧巻の演奏に感動いたしました。会の途中で、司会を務めていた指揮者の小澤征爾先生が、「指揮者とは、どんな人ですか?」と質問する場面がありました。

      手を挙げていた私に、小澤先生がマイクを向け、ジェスチャーを交えながら回答。小澤先生に手を繋がれ、導かれるようにステージへと上がりました。目の前には楽団のオーケストラの皆様がいて、少し前に小澤先生が立たれていた指揮台に足を踏み入れたときのとてつもない緊張感は今でも覚えています。曲名は忘れてしまいましたが、冒頭の一節を指揮させていただくという貴重な体験をさせていただきました。小澤先生と管弦楽団の皆様に、このエピソード募集という機会を通して感謝、御礼を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。

      続きを読む

      ヨシダユウキ

      高校演劇と水戸芸術館

      私と水戸芸術館との出会いは「高校演劇」がきっかけでした。
      当時、高校演劇の地区大会を水戸芸術館をお借りして開催しておりました。
      私はこんな素晴らしい劇場をお借りできるのかと、当時とても驚きワクワクしたのを覚えています。

      私は当時、音響を担当していました。
      当時、音響と照明のブースは、ACMホールの上の階にありました。
      学校では小さなラジカセで流していた音楽や効果音。
      ブースのツマミを上げると、グィンと音がなりホール中に響きわたりました。
      私は、誰よりも高いところから、役に徹する仲間を見ることができました。
      プロの機材を触らせて頂いたこと、本当に幸せでした。
      それと同時に、「上の階から演劇を見ること」の楽しさに魅せられてしまいました。
      ACM劇場は、180度どこからでも舞台を見ることができます。
      ですが、上の階から見ると、それに奥行の演技が加わるのです。
      正面からは見ることが出来ない秘密の視点。
      私は背筋がゾクゾクしました。
      演じる側だった私は今、観る側としてACM劇場によく足を運びます。
      市民演劇祭、好きな劇団の公演など、チケットをとり、よく足を運んでいます。
      憧れの俳優さんが踏んだ舞台と同じ場所に自分も少しだけ関わることが出来たのは今でもとても良い思い出です。

      続きを読む

      杉山琴美

      繋ぐアート

      アートを通して人と人、人と地域をつないでくれる素敵な場所がある。それが、水戸芸術館だ。四季折々に老若男女が集まり参加者全員で楽しめるイベントはたくさんある。夏には「こども・こらぼ・らぼ」が開催される。

      このイベントは、2011年の東日本大震災をきっかけに、被災した子供たちとその家族に穏やかでほっとする時間を提供したいと言う思いで始められたものだ。アーティストと過ごすワークショップと、いつでも誰でも参加できるプログラムがあり、家族で夏休みのアート体験を楽しむことができる。私は「学校の放課後くらぶ」という、こんな学校があったらいいな!を自分たちで創ってしまおうというクラブとして何年か参加していた。自分たちの授業を成功させるために企画運営し開校するといったものだ。2013年には広場全体を使い、すごろくや巨大オセロ、発泡スチロールを使った魚釣りなどの授業を行った。その他にも、お祭り学校やらくらく学校、夏のワクワク学校なども開校した。私の行った授業で、一番心に残っているものは、2018年の「手のひら咲いた」という授業で、私と同じ身長の葉のついていない木を創り、手のひらにインクをつけ感謝の気持ちを一言添えて葉にみたて、つけていくという授業だ。授業終わりには、たくさんの感謝の葉が生い茂った。このようにして私たち子供は、アートの示した多面的な価値観に触れる経験により、自分らしく未来を切り開くきっかけへと繋がっているように感じる。このような企画を受け入れてくれる水戸芸術館を私は誇りに思う。私は、このような様々な身近なアートに触れ、参加し、楽しみ、その経験を未来の自分、地域発展へと繋いでいけたらいいなと思う。

      続きを読む

      やまべよしこ

      力が生まれるところ

      2012年3月30日。当時いくつものアクシデントの渦中にいた長女と私は疲れ果てていた。次のタスクの時刻までなにか気分転換がしたくて飛び込んだのが、ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガーの個展『Power Sources/力が生まれるところ』。閉館まで1時間もなかったが、そこはしばし現実から逃れるのにうってつけの場所だった。なかでも魅了されたのが、「Lymphatic System」。ベッドに横になって観賞する、かなり高さのある装置だ。仰向けになって、銀色の薄いアルミシートで囲われた内部に設置された、さまざまなモノたちを見上げた。

      ハアアァァァ…。背中がベッドに沈み込んでいくようなため息のシンクロ。微かな風に揺らめく銀色のシートが、梢のざわめきのような音をたてていた。無言のまま5分、10分、15分、静かな森の底に横たわり空を見上げているようだ。こぶこぶの固結びだった脳味噌がゆったりとほどけていった。いつまでもここで風とリンパの流れる音を聴いていたい。いっそこのまま装置の一部になってしまいたい。娘と共有したこの静かで沈かな時間を、きっと忘れないと思った。
      3日後、長女は進学のために家を離れた。ある日、彼女がパソコンに落としていったデジカメのデータを開くと、リビング、ダイニング、自分の部屋、妹の部屋、窓外の景色等が収められていた。そしていつの間に撮ったのか、あの日クルマのハンドルを握る疲れた私の横顔と、展示室のベッドに体を預けて装置を見上げている私がそこにいた。
      この先、彼女はどんな時にこれらの写真を見たくなるのだろう。できれば撮ったことなど忘れてしまうくらいがいい。でも、もしも小さな画面のなかに懐かしい風景や母の横顔を探す時が来るとしたら、あの日私たちを癒してくれたインスタレーションのように、そこから力を得てくれるようにと願わずにはいられなかった。人生の折々に芸術館との鮮やかな記憶がある。それは水戸に住う幸せの一つだ。

      続きを読む

      ネジリンボウ

      私の灯台、芸術館

      数年前の春、家族の転勤に伴い水戸に越してきた私にとって、水戸芸術館は「有名な建築家が設計し、世界的な指揮者が館長を務めている、案外すごい施設」といった程度の認識だった。

      新しい土地になかなか馴染めず悶々とした日々を過ごしていたある日、子供を連れて千波湖へ散歩にでかけた。よく晴れた日だった。千波湖周辺は空が広く風も爽やかで見上げると清々しい気持ちになった。あくびをしながら大きく伸びをしてふと前を見ると、千波湖の向こう側に、水戸の市街地とそこからにょっきり伸びた塔が見えた。新緑とキラキラ光る湖面越しに見えた、水戸の町と芸術館の塔が美しかった。あまりに美しい景色に、足を止めてしばらく見入っている私を見つけた子供たちが「何、あのネジリンボウ!」と塔を指さして笑った。「あれ、芸術館っていうの。」私は教えた。教えながら「こんな景色がいつも見られるなら、この先この街で暮らすのも悪くないな」なんて事を考えていた。…さっきまであんなに馴染めないと思っていた新しい生活に希望の光が射した瞬間だった。
      あの日以来、芸術館の塔は私にとって灯台のようなものだ。遠方から戻る飛行機や車の中からついつい塔を探しては安心する。嫌なことがあると千波湖を散歩しながら塔を見上げる。そうしているうちに、また明日から頑張ろうと思える。
      我が家の子供たちによって「ネジネジ」というあだ名がつけられてしまった芸術館だが、あの景色と一緒にこの街で育っていく彼らにとっても、灯台のような存在であり続けてほしいと思っている。
      五月のあの日に見た景色を私はずっと忘れないだろう。
      芸術館があそこにあってくれてよかった。

      続きを読む

      宮越玲子

      ときめきと憧れの水戸芸術館

      子供が生まれ、都内から茨城に嫁いできたころから、水戸芸術館はわたしにとって大好きな憧れの場所です。マチナカの路地裏に突如現れるアートタワーと緑の広場。ゲームのダンジョンのような作りの建物に一目惚れ。街のパン屋さんなどで買ったものを子供と一緒に食べたりあそんだり、ピクニック気分になれる場所でした。

      初めて展示に興味を持ったのは、「霧の抵抗」です。噴水で何度も行われた霧のインスタレーションは、今までアートに深く興味を持つことがなかったわたしに強い衝撃を与えてくれました。幼い2人の子供を連れて何度も何度も見に行きました。いつもの広場が、霧によって万華鏡のように一瞬しか見ることのできない景色に変わるのに夢中になってしまったのです。抑えきれない胸の高まりとともに初めて中の展示を見に行くことができました。わたしはアートも工学も歴史も文化もなにも知りませんでしたが、この展示を何度も見に行くことで、アートが完成物のことだけを指す訳ではない、ということを知りました。その工程や思想、作者の思いやそれを超えた周りからの評価、全てひっくるめて1つの作品なんだろうな、と自分の中ではとても大きな発見になりました。
      その後、「アートセンターをひらく展」など、小さな子どもと共に楽しめる展示をしてくださっているおかげでますます水戸芸術館の虜です。
      これからも、始まったばかりのわたしの子育てand水戸での生活が、水戸芸術館への憧れとときめきで、より素敵なものに彩られていくのだと確信しています。
      素晴らしい展示、企画、いつもありがとうございます。

      続きを読む

      小田部潤子

      みんなの歓びの歌

      キーンと冷えた12月の寒空の下、水戸芸術館の広場には大勢の人が集まってくる。これから毎年恒例の冬の大イベント、プロと合唱団を交えて、ここにいる皆でベートーベン作曲の「歓びの歌」を大合唱するのだ。私は、このイベントが大好きなのだ。クリスマス前の華やいだ時期にみんなで楽しんでお祝いする。しかも、歌という表現で、見ず知らずの他人同士が結びつくなんて、とても素晴らしいし、貴重な体験だ。

      さあ、もう始まるぞ。さすがにプロの声力には圧倒される。空気が震えているように感じる。この日のために結成されたアマチュアの合唱団も、ずっと練習してきた成果が、伸びやかでまとまりのある歌声に表れている。
      そして今度は私たちみんなの番だ。あちらこちらから個性豊かな歌声が聴こえてくる。野太い声に、可愛らしい小さな声、空に届きそうな高い声…。私も負けじと、お腹から精一杯声を出す。美しくもないし、外国語もわからないけれど、私は私の「歓びの歌」を歌う。
      ああ、何て気持ちがいいんだろう。歌と一体になる心地良さ。多勢の人と一緒に歌う楽しさ。平和な、“今この瞬間”を、こうして皆で過ごせる尊さ。広場いっぱいに満たされた、温かな空気と人々の笑顔は、どこまでもどこまでも広がって街中を包んでゆく。

      続きを読む

      梅津裕子

      芸術館と私

      アンコールの熱い興奮の渦中から一歩外へ出ると、いつも芸術館の塔の上に澄み切った空があった。美しい月が広場と塔を照らしている時も、青一色の空に塔を歩ませるごとく雲が流れていた時も、感動の形をなぞるように佇む。

      間もなく四十歳になろうとする娘が中学生だった頃、芸術館の子供劇団に入った時から芸術館は私にとても近しいものとなった。
      思春期だった娘の人生への焦燥、葛藤、そしてその解決を私と娘は芸術館に束ねてきたのかもしれない。そして一人でここを訪れるようになった今もそれは変わってはいない。芸術館の片隅に娘の姿があり三十年の私の歴史が思い出されることを待っているかのように息づき、私の視線を美しい塔の姿とその先の空へと向けるのだ。

      続きを読む