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【重要なお知らせ】

コンサートホール ATMCONCERT HALL ATM

  • 音楽

間宮芳生の肖像企画・構成:間宮芳生

2015年4月4日[土] 

「かつて私が企画運営委員として仕事をした、私にとってゆかり深いこの水戸芸術館において、私の個展コンサートが開かれること、私が深く信頼する演奏家たちの演奏によって、私の作品をお聞きいただけることは、無上のよろこびです。」間宮芳生

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原音楽への旅

「新しさ」こそが最大の価値であるとして突き進んできた戦後の前衛音楽の潮流の傍らで、間宮芳生は、私たちの祖先が、口ずさんできた「うた」を創作の出発点に置いた。その「うた」は、人々の生活の中に息づき、人生を彩るものであった。仕事の苦しみをやわらげたり、集団作業の足並みを揃えたりするために歌われた労働のうた。奉公に出された少女が、身上の辛さを吐露しながら歌う子守唄。そして、神や祖先の霊に向けて歌われる祈りのうた...。やがて、間宮芳生の関心は、日本の民俗音楽ばかりでなく、世界の諸民族の民俗音楽へと広がっていった。間宮芳生を夢中にさせたのは、民俗音楽の中に宿る原音楽的なひびきと、西洋芸術音楽がどこかに忘れてきてしまったマジナイの力をもった音であった。
〈弦楽四重奏曲 第2番“いのちみな調和の海より”〉は、アフリカ(ザイール)のリズムやフィンランドの古い「泣きうた」などが用いられた、母なる海へのオマージュをイメージさせる音楽。うたとピアノのための〈日本民謡集〉は、間宮芳生の創作の原点にある日本民謡を題材とする作品。〈ピアノ・ソナタ 第3番〉のタイトル「スプリング」は、この作品の委嘱者、志村泉の名に由来するが、「泉」ばかりか「春」という意味も包含している。〈合唱のためのコンポジション 第1番〉は、日本民謡のハヤシコトバに着目して作曲された、呪術的なエネルギーに溢れた合唱曲である。演奏は、同作品を半世紀にわたり演奏し続けてきた田中信昭と東京混声合唱団。間宮芳生自身が自作について語り、氏が大きな信頼を寄せる演奏家たちが、その作品を演奏する。間宮芳生の原音楽をめぐる旅の軌跡をお楽しみいただきたい。

【出演】
間宮芳生(おはなし)
波多野睦美(メゾ・ソプラノ)
野平一郎(ピアノ)
田中信昭(合唱指揮)
東京混声合唱団
ウェールズ弦楽四重奏団

※出演者一部変更のお知らせ
出演を予定しておりました、ウェールズ弦楽四重奏団のヴィオラ奏者の横溝耕一が急病のため出演できなくなりました。代わりまして、田原綾子がヴィオラを担当いたします。何卒ご了承くださいますよう、お願いを申し上げます。

【曲目】
間宮芳生:
弦楽四重奏曲 第2番〈いのちみな調和の海より〉(1980)
日本民謡集より
・朝草刈唄(青森県民謡)(1957)
・まいまい(富山県民謡)(1963)
・米搗まだら(長崎県民謡)(1968)
・草切節(鹿児島県民謡)(1968)
ピアノ・ソナタ 第3番〈スプリング〉(1987)
合唱のためのコンポジション 第1番(1958)

公演概要

会場

コンサートホールATM

開催日

2015年4月4日[土] 

チケット情報

料金

【全席指定】一般3,000円、ユース(25歳以下)1,000円
15:30開場 16:00開演


チケットの取り扱い
水戸芸術館エントランスホール・チケットカウンター水戸芸術館チケット予約センター 029-231-8000MUSIC SHOPかわまた 029-226-0351ヤマハミュージックリテイリング水戸店 029-244-6661e+(イープラス)http://eplus.jp(PC・携帯)CNプレイガイド 0570-08-9990 http://www.cnplayguide.com

お問合せ

水戸芸術館(代表)TEL:029-227-8111

プロフィール

間宮芳生

作曲
1929年6月29日北海道旭川市生れ。当時旭川市立高等女学校音楽教師だった父秀樹と母としの子として、男ばかり4人兄弟の四男として誕生。長兄昭佳がはじめていたピアノにならって、4歳の頃からピアノを弾きはじめ、6歳の頃、小さなピアノ曲2曲を作曲。しかし、ピアノも作曲も特に師についたことはなく、後に東京芸術大学に入学するまでは、まったくの独学といえるものであった。6歳の暮から父の転勤にともなって、もともとの父の郷里、青森に移り住む。青森女子師範附属小学校、県立青森中学校に在籍。1947年中学5年卒業後、作曲家を志して上京。翌、1948年春、旧制東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)作曲科に入学。作曲を池内友次郎、ピアノを田村宏に師事。1952年同校本科卒業。卒業直後に、日本の歌曲作品の演奏にすぐれ、また、民族音楽研究者としてもすぐれた業蹟をあげたアルト歌手、内田るり子氏のうたう、ムソルグスキー作品などのピアノ伴奏をつとめたのがきっかけで、彼女の提案で、日本の民謡による独唱とピアノ曲を作ろうと、日本の民謡を沢山調べることになった。それらの中に実に多彩な形で見つかる、かけ声、ハヤシコトバの面白さに強くひかれた。それが、日本の民謡に特有なものか、なにしろうたうために想案されるハヤシの多様さは、また、みずから新しいハヤシコトバを作る自由が誰にでもあると考えられると知り、ハヤシコトバを主役とした合唱曲「合唱のためのコンポジションのシリーズ」(これまでに17作生れ、間宮の代表作群となる)が生まれた。同時にもうひとつの代表作集24曲の独唱とピアノのための〈日本民謡集〉も出来た。一方、より前衛的作風の弦楽四重奏曲(特に第1番)、また、前衛ジャズ(たとえばセシル・テイラーのピアノ)から刺戟をうけて(とはいえインプロヴィゼーションは含まれない作り方に)作った〈ピアノ・ソナタ 第2番〉なども重要な作である。これらも含め、これまでに作品数で数えると、200以上の作がある(但し、作品に番号を付けることはしていない)。
*間宮氏ご本人作成のプロフィールです。

写真:河野俊之

波多野睦美

メゾ・ソプラノ
ロンドンのトリニティ音楽大学声楽専攻科修了。1990年にイギリスのリュートソングでデビュー。バッハ〈マタイ受難曲〉、ヘンデル〈メサイア〉等、宗教作品のソリストとしても国内外で多くのコンサート、音楽祭に出演。現代音楽では間宮芳生作品の米国での世界初演、サイトウキネン武満徹メモリアル、サントリーホール「作曲家の個展2013 権代敦彦」などに出演。モンテヴェルディ〈ポッペーアの戴冠〉のオッターヴィア、パーセル〈ダイドーとエネアス〉のダイドーなど、卓越した表現力と存在感でオペラでも注目される。CD作品も数多く、高い評価を得ている。水戸芸術館では、「高橋悠治の肖像」(09年)、「ちょっとお昼にクラシック」(10年)などに出演している。

野平一郎

ピアノ
東京芸術大学、同大学院修士課程を修了後、フランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院に学ぶ。ピアニストとしては、これまで、フランス国営放送フィルハーモニック、バーゼル放送交響楽団、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、ロンドン・シンフォニエッタ、国内の主要オーケストラなどと共演。作曲家としては、すでに80曲以上の作品を作曲しており、その中にはフランス文化庁、IRCAM、国立劇場などからの委嘱作品がある。2012年には紫綬褒章を受章。現在、静岡音楽館AOI芸術監督。東京芸術大学音楽学部作曲科教授。
 水戸芸術館では「モーツァルト:ピアノ・ソナタ全曲演奏会」(08-10年)、「シュニトケの肖像」(12年)などに出演している。

田中信昭

合唱指揮
1956年東京芸術大学を卒業と同時に声楽科有志と東京混声合唱団を創立、常任指揮者に就任。今日まで、作曲家と協力して新しい日本の合唱音楽の創造に力を尽くし、450曲に及ぶ現代合唱曲を初演している。97年東京混声合唱団桂冠指揮者の称号を贈られる。オーケストラ公演の合唱指揮やオペラの指揮も数多く務めている。毎日芸術賞、朝日現代音楽賞、エクソンモービル音楽賞を受賞。勲四等瑞宝章を受章。東京芸術大学講師、桐朋学園大学客員教授、国立音楽大学招聘教授を歴任。現在、東京混声合唱団桂冠指揮者・理事長。水戸芸術館では、「合唱セミナー」(2014年2月)の講師を務めている。

東京混声合唱団


1956年、東京芸術大学声楽科の卒業生により創設された日本を代表するプロ合唱団。東京、大阪での定期演奏会、各地での特別演奏会、内外のオーケストラとの共演やオペラへの出演、青少年を対象とした鑑賞音楽教室、海外公演を含む年間200回の公演のほか、レコーディングやテレビ、ラジオへの出演がある。レパートリーは、創立以来行っている作曲委嘱活動で生まれた203曲を数える作品群をはじめ、内外の古典から現代作品までと全合唱分野を網羅している。2007年、サントリー音楽賞、中島健蔵音楽賞を受賞。10年7月にフィンランド公演を開催し絶賛を博した。 水戸芸術館では、「リゲティの肖像」(10年)に出演している。http://toukon1956.com

ウェールズ弦楽四重奏団


2006年に結成。08年ミュンヘンARD国際音楽コンクールにて第3位、日本人の団体として東京クヮルテット以来38年ぶりの入賞を果たす。原田幸一郎、東京クヮルテットのメンバー等から指導を受ける。10年春より拠点をスイス・バーゼルに移し、バーゼル音楽院にてライナー・シュミット(ハーゲン四重奏団)のもとで研鑽を積む。南仏ボニユー音楽祭、ドイツ・ヴェストヴェーク現代音楽シリーズ、ドイツ・ボイゲン城でのコンサートなどに出演する。11年バーゼル・オーケストラ協会(BOG)コンクールにて"エクゼコー"賞受賞。14年3月からはレジデント・アーティストとしてHakuju Hallで全3回のシリーズを担当。