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【重要なお知らせ】

コンサートホール ATMCONCERT HALL ATM

  • 音楽

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル

2016年12月17日[土] 

あの鬼才が23年ぶりに水戸芸術館に帰ってくる
大いなる変貌をとげて

「だって彼は天才よ!」―名ピアニスト、マルタ・アルゲリッチの一言で、ショパン・コンクール覇者が霞んでしまうほどの脚光を浴びた鬼才イーヴォ・ポゴレリッチ。コンクール落選のスキャンダルを逆手に取り、1980年代は破竹の勢いで楽壇を席巻した。ヨーロッパ、アメリカの主要都市に華々しくデビュー、名門ドイツ・グラモフォンと契約、“帝王”カラヤンとの共演をキャンセルする一方クラウディオ・アバドや小澤征爾と次々に共演、自らの名を冠した音楽祭の開催...。まさに、絵にかいたようなサクセス・ストーリーだった。

水戸芸術館に初めてポゴレリッチが姿を現したのは、その勢いを保ち、スタイリッシュかつ大胆不敵な演奏を繰り広げていた1990年代前半のこと(1993年11月21日)。リスト〈ソナタ ロ短調〉の底知れぬ迫力に、聴衆は息を呑んだ。

しかし、突如、悲劇が彼を襲う。1996年、ピアノの師であり、妻であり、また母のような存在でもあった最愛の人、アリス・ケゼラーゼが死去。そのショックにポゴレリッチの精神はこらえきれず、重度の神経症を患ってしまう。

「再起不能か」とも噂されたが、数年間の療養を経て演奏活動を再開。レコーディングを一切拒否するようになったポゴレリッチは、2005年の来日公演で、復帰後の姿をようやく私たちの前に現した。かつての美貌の青年は、スキンヘッドの強面風に様を変え、さらにその演奏は、“個性的”とか“大胆不敵”といった形容をせせら笑うかのような、常軌を逸したものへと変貌をとげていた。

あれからさらに10年余。いまや円熟期に向かっているポゴレリッチは、しかし、あいかわらず“異端者”のままだ。耳になじんだ名曲たちは、その鋭い感性によって容赦なく解体され、声にならない歌となり、にがい愛のささやきとなり、涙にむせぶ痛切な祈りとなる。あとは、私たちが己の凝り固まった“常識”を捨て、まっさらの心で、ポゴレリッチの音楽と接することができるかどうかだ。

【曲目】
ショパン:バラード 第2番 ヘ長調 作品38
ショパン:スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化 作品26
モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475
ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 作品36(1931年改訂版)

公演概要

会場

コンサートホールATM

開催日

2016年12月17日[土] 

チケット情報

料金

【全席指定】一般7,000円 ユース(25歳以下)2,000円
15:30開場・16:00開演


チケットの取り扱い
水戸芸術館エントランスホール・チケットカウンター水戸芸術館チケット予約センター 029-231-8000e+(イープラス)http://eplus.jp(PC・携帯)かわまた楽器店 029-226-0351ヤマハミュージックリテイリング水戸店 029-244-6661
ユースチケットについて
25歳以下の方が対象のお得なチケットです(未就学児不可)。 ご購入いただきましたご本人様のみご利用いただけます。 ご利用にあたっては、年齢を証明するものが必要となります。取り扱いは水戸芸術館のみとなります。

お問合せ

水戸芸術館(代表)TEL:029-227-8111

プロフィール

イーヴォ・ポゴレリッチ

Ivo Pogorelich
1958年、旧ユーゴスラビア(現セルビア)のベオグラード生まれ。12歳からモスクワの中央音楽学校で、その後はチャイコフスキー音楽院で勉強を続けた。1976年からは著名なピアニストで教育者のアリス・ケゼラーゼに師事。数々の国際コンクールでの優勝に続き、1980年のショパン国際コンクールで、本選を前に彼を落選させたことについての論争とそれに抗議して帰国してしまった審査員のひとり、マルタ・アルゲリッチの「だって彼は天才よ!」という言葉によってポゴレリッチは一躍脚光を呼び、たちまち世界的に名を知られることになった。
1981年のカーネギーホールでのデビュー以来、世界中で活躍、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、パリ管弦楽団、シカゴ交響楽団、ボストン交響楽団など世界有数のオーケストラと共演を重ねている。
若い人への教育にも熱心で、1986年にはクロアチアに若い演奏家をサポートするための財団を設立。1989年から開催しているドイツのバート・ヴェリスホーフェンでのポゴレリッチ音楽祭では若い音楽家たちに著名な演奏家と共演する機会を与えている。また赤十字やサラエヴォ再建、癌や硬化症と闘う人のためにも多くのチャリティ・コンサートを行っている。1988年にはユネスコから親善大使に任命された。
1982年、ドイツ・グラモフォンからレコードデビュー。以来10数点のCDリリースがされ、いずれも人気を博している。
数年間の療養期間を経て2005年に6年ぶりの来日を果たして以来、定期的に来日。いつも大論争を起こす中、特に2014年の来日公演は型破りな凄みの内にも統一された秩序があり、完全復活を果たしたことを聴衆に印象付けた。