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2012-10-17 更新

【新楽団員を訪ねて】ローランド・アルトマン (ティンパニ)

水戸室内管弦楽団(MCO)第86回定期演奏会(1/13,14)に向けた全体リハーサルは、いよいよ明日始まりますが、ティンパニ奏者のローランド・アルトマンさんはウィーンから一足早くご到着。昨日今日と、ホールにて綿密なリハーサルを行っていらっしゃいました。今回、ブリテン作曲〈ノクターン〉では、第5曲目でティンパニのソロを披露してくださいますが、それに向けた準備にはまさに余念がありません!

さてMCOに昨年新しく加わって頂いた楽団員をご紹介している「新楽団員を訪ねて」。第3回は、元ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ソロティンパニ奏者のローランド・アルトマンさん(1941年生まれ)をご紹介します!

ウィーン・フィルでの貴重なご経験、現代音楽の分野でのご活動、ティンパニという楽器、世界の第一線で活躍し続ける秘訣など、アルトマンさんならではの興味深いお話をたくさん伺いました!ぜひお読みください。

Roland Altmann ©大窪道治

―アルトマンさんには2010年7月のMCOの定期演奏会以来ご出演いただいておりますが、昨年からは新しく楽団員として加わっていただきまして、とても光栄です。初めて水戸にいらっしゃった時はどんなお気持ちでしたか?
 ほとんどのメンバーが日本人のオーケストラに参加するのは初めてだったので、最初はどんな環境で活動することになるのか見当がつきませんでした。でも多くの方が完璧なドイツ語を話しますし、他の方も英語が流暢なので安心しましたし、とてもオープンな雰囲気を感じています。水戸では毎回国内外から、様々なバックグラウンドを持つメンバーが集まり、一つになる方法を探すのです。でも全く問題ありませんよ、音楽はインターナショナルな言語ですから!

アルトマンさんは、なぜ子どもの頃に打楽器を選ばれたのですか?
最初は他の子どものように、ピアノやヴァイオリンなどを習っていました。ちなみに私の両親は音楽家で、父はオーボエ奏者、母は歌劇場の合唱団の歌手でした。打楽器は13歳で始めたのですが、その頃にはオーボエも吹いていました。でもその4年後には、自分が本当にやりたいのは打楽器やティンパニだとはっきり分かったのです。オーボエについては、私が勉強していたのはフレンチ・オーボエだったのですが、ウィーンで活動するにはウィンナ・オーボエを習得しなければならず、楽器を変えて勉強し直そうとは思わなかったのです。それにティンパニの方が自分にとってははるかに魅力的だったのです。その後私はドイツの音楽学校で勉強し、1958年からはウィーン音楽院で勉強しました。
 
アルトマンさんは、世界最高峰の楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で36年間にわたってご活躍されていましたが…。
ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団で10年ほど活動した後、ごく短期間、ウィーン放送交響楽団に移り、その後1970年にウィーン国立歌劇場管弦楽団に入りました。そして75年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の楽団員となりました。この二つは基本的に同じオーケストラですので、楽団員は、朝はウィーン国立歌劇場でリハーサル、午後にウィーン・フィルのリハーサル、夜は歌劇場で〈ラ・ボエーム〉やヴァーグナーのオペラの本番、という生活をしています。ウィーン国立歌劇場管弦楽団は政府によって財政面を支えられていますが、ウィーン・フィルは自主運営のオーケストラです。様々なことが、10人ほどの楽団員による管理委員会に任されています。私はその副委員長を計12年間務めました。私たちは、チケット販売や楽譜の管理、今後のプロジェクトに関する指揮者への相談なども、すべて自主的にやっています。
 
―ウィーン・フィルのティンパニ奏者に選ばれた時は、どのようなお気持ちでしたか?
もちろん、とても嬉しかったですよ!でも最初はかなり大変でした。落ち着いて、自信を持った演奏ができるようになるまで4~5年はかかったと思います。でもその時期を乗り越えた後は、本当に素晴らしい経験ばかりでした。特に、オペラと交響曲の両方を経験できたことは、かけがえのない財産となりました。オペラには魅力的な作品がたくさんありますから。モーツァルトの全オペラ作品、ヴァーグナーの〈ニーベルングの指環〉、それにヴェルディやリヒャルト・シュトラウス…!オペラを演奏したことがない音楽家は、室内楽を演奏したことがない音楽家と同じだと言っても過言ではないくらい、オペラは重要です。セイジ・オザワの音楽塾では、交響曲とオペラの両方を通じて若者を育成していますが、これは素晴らしいアイディアです!オペラでは、オーケストラで演奏するだけでは決して学べないことを吸収できるのです。まずオペラでは全体が一つにまとまるよう、オケの楽団員は舞台上の歌手の声を注意深く聴かなければなりませんし、いつもよりずっとフレキシブルであることが求められるのです。
 
ウィーン・フィルは多くの偉大な指揮者たちと共演していますが、アルトマンさんにとって特に印象的だった指揮者はどなたでしょうか?
 そうですね……私にとっては、レナード・バーンスタインとカルロス・クライバーです。もちろんヘルベルト・フォン・カラヤンも。この3人はいずれも特別な存在ですが、特に印象深い指揮者を思い返すと、カルロス・クライバーです。彼とは二度(1989年、92年)、ニュー・イヤー・コンサートで共演したのですが、素晴らしい演奏会でした。それから1994年10月には、東京文化会館でウィーン国立歌劇場管弦楽団とリヒャルト・シュトラウスの〈ばらの騎士〉(指揮:カルロス・クライバー)を演奏しました。あれは聴いた方にとってもそうでしょうし、私たち音楽家にとっても、生涯忘れられない演奏になりました。
 
―カルロス・クライバーの音楽作りの魅力や特徴について、どのようにお感じでいらっしゃいますか?
 言葉で説明するのは難しいのですが、指揮する時の彼の手ぶりを見ていると、どんな音が鳴るべきなのか、はっきりとイメージが沸いてきます。そして次の瞬間、その指や手で表された通りのサウンドがオーケストラから引き出されるのです。クライバーは楽団員に自分の考えを話す時も、普通の話し方はしませんでした。例えば「ここは小さく弾いてほしい」とか「もっと速く」といったことは全く言いませんでした。使う言葉は限られているのですが、明確なイメージを団員に与えてくれるのです。彼が言葉で喚起する音のイメージと、表情豊かな手の動き、この絶妙な組み合わせによって、私たちは次の瞬間にどんな音が鳴るべきかを、鮮やかに思い描くことができたのです。
今でいうと、クリスティアン・ティーレマンがそれに近いかもしれません。彼がヴァーグナーの〈パルジファル〉や〈トリスタンとイゾルデ〉を指揮する時、同じことを感じます。
 
―レナード・バーンスタインやヘルベルト・フォン・カラヤンとの音楽作りはいかがでしたか?
 私は、1966年にバーンスタインが初めてウィーン国立歌劇場に登場し、ヴェルディの〈ファルスタッフ〉を指揮したときのことをはっきりと覚えています。あの時ほどの〈ファルスタッフ〉の名演を、私はいまだかつて聴いたことがありません。
バーンスタインとは、マーラーやベートーヴェン、ブラームスの交響曲を全曲演奏しました。それにシベリウスやショスタコーヴィチにも取り組みました。彼が1990年に亡くなったので、それら全て演奏することは叶いませんでしたが、どれも本当にかけがえのない経験でした。バーンスタインは、私が一番多く共演した指揮者です。彼の指揮でマーラーの交響曲第1番を演奏した時、私はまだパーカッションパートを担当していた頃で、その後ベートーヴェンを演奏した時は、ティンパニ奏者に抜擢されたばかりの頃でした。1966年に初めて会ってから彼が亡くなるまでの二十数年間、多くの特別な思い出があります。
カラヤンとの出会いはもう少し後になります。彼は1960年代半ば、ウィーン国立歌劇場に登場したのですが、その後約20年間、ウィーンには来ませんでした。ザルツブルグ音楽祭には来ていたのですが。ウィーンに再び登場したのは1980年代になってからです。ですので、私がカラヤンと共演できたのは80年代だけです。
この3人のことは本当に忘れられません。もちろんその他にも、マリス・ヤンソンスやクラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティなど、素晴らしい共演をした指揮者はたくさんいます。
ウィーン・フィルの大きな特徴の一つに、首席指揮者をおいていないことがあげられます。ウィーン国立歌劇場には音楽監督がいることもありますが、ウィーン・フィルにはいません。1シーズンに10回ほど定期演奏会があるので、1年で10人の客演指揮者を迎えます。この他にいくつか特別演奏会もありますから、ウィーン・フィルは1年で13人ほどの指揮者と仕事をします。つまり私たちは毎年、世界トップレベルの指揮者たち、ほぼ全てと共演できるのです!もちろんその一方で、長期的な演奏ツアーを計画する時は、そのような指揮者の予定を確保するのが一苦労ですけどね。皆さんたいてい自分のオーケストラの仕事でお忙しいので。
 
―MCOの音楽顧問・小澤征爾さんは、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を2002年から2010年まで務めていらっしゃいましたね。
ええ、セイジと演奏するのは大好きです!私にとって一番印象深かったのは、2002年に彼と共演したニュー・イヤー・コンサートです。実を言うと最初は、うまくいくだろうかと思っていたのですが、とても楽しく素晴らしい演奏会になりました。彼の指揮は驚くほど明確です。そして自分が求めている音楽に到達するために、リハーサルは実に正確に進められます。特に私は、彼とストラヴィンスキーやメシアン、プロコフィエフなど20世紀の音楽を演奏するのが好きです。彼はとても鋭い感覚を持っていますから。
 
―ここで、オーケストラにおけるティンパニの役割についてお伺いできればと思いますが…。
 ティンパニは、リズム楽器と、低音楽器の間のような存在です。私はよく、オーケストラのティンパニ奏者は、「第二の指揮者」だと思うことがあります。楽団員は、前にいる指揮者を目で追い、後ろにいるティンパニ奏者の音を耳でとらえなければいけませんからね。
 ここで少し、ウィーン・フィルのティンパニについてお話しましょう。「ウィーンのサウンド」と言う時、たいていの方は、ウィーン独特の弦楽器の音、ウィンナ・オーボエ、ウィンナ・ホルンについて思い浮かべますが、ウィーン・フィルで使っているティンパニも、一般的に使われているものとは違います。これはマーラーが生きていた時代、ハンス・シュネラ―という優れたティンパニ奏者がいて、彼が考案したものです。一般的なティンパニと違うのは、第一に、普通は釜が固定されていて、皮を上下させてその張りを調整しますが、ウィーン・フィルのティンパニは逆で、皮が固定されていて、釜を上下させます。第二に、ウィーンのティンパニにはやぎの皮が使われています。一般的には子牛の皮や合成樹脂が使われています。さらに、ウィーン・フィルの打楽器奏者が使っているばちの頭部にはフランネルが使われていて、曲に応じて大きさを変え、音色を調整することができます。もちろん、一般的なフェルトのばちを使うこともありますけどね。面白いのは、このばちはもともとドイツで生み出されたのですが、この伝統はもう今のドイツでは失われているのです!約100年前に、とても有名なティンパニ奏者がドレスデンにいて、優れた音楽学校も作った人なのですが、彼がそのばちを生み出したと言われています。しかしドイツでは、フェルトを使ったばちがだんだん使われるようになり、改良が重ねられています。ウィーンでは逆に、フランネルのばちが発展しました。
 
―ウィーン・フィルで使われているティンパニの音色がどのような点でユニークなのか、もう少しお聞かせいただけますか?
やぎの皮、特別なばち、そして楽器の特徴的な構造などが組み合わさることで、ウィーンのティンパニならではの特別な音が生み出されます。例えばやぎの皮のティンパニには、子牛の皮のそれよりもずっと硬いばちを使うことができます。つまり、より大きな音を出せるのですが、それはフォルティッシッシモで叩いても割れず、音色は暗めで深みがあります。それにやぎの皮のティンパニには豊かな倍音があります。そのため様々なオーケストラの楽器、特にウィンナ・オーボエとは響きがよく合います。このように私たちは、オーケストラ全体の響きとの調和を一番大事にしています。
スネアドラムについても同様です。一般的に使われている楽器の中には、「ズーッ」という音が外に表れてしまうものがありますが、ウィーン・フィルで使っている楽器では、そのような音が目立つことはありません。タンバリンもそうです。現在使われているタンバリンのほとんどはアメリカ製です。それがピアニッシッシモで鳴らされる時、楽器の純粋な音以外に「ピック、ピック、ピック」という別の音がするのです。でも私たちが使っているタンバリンは「チョン、チョン、チョン」という音がするもので、オーケストラの響きにより良く合います。ティンパニに限らず、全ての打楽器はこうした考え方のもとに使われています。
 
MCOで演奏される時には、どのような楽器を使っていらっしゃいますか?
水戸では、子牛の皮が張ってある小さなティンパニを使っています。とても明瞭で良い音がします
よ。ばちはかなり硬めのものを使っています。MCOのように三十数名の室内管弦楽団が小さめのホールで演奏するには絶妙な組み合わせだと思います。オケの響きともよくなじみますしね。大きなティンパニは「ブーン、ブーン、ブーン」という感じの音ですが、ここでは「タン、ティン、ティンタカタッカ」というような音が求められますから。ウィーン・フィルのティンパニは、70~100人規模のオーケストラが、ムジークフェライン大ホールのような広い会場で演奏するのには良いのですが、このような室内管弦楽団や古典派の音楽を演奏するには最適ではありません。私はウィーンでも、ハイドンやモーツァルトを演奏する時は小型のティンパニを使うのが好みですし、バッハを演奏する時はとても小さい楽器を使います。つまり音楽が変われば、楽器も変える必要があるのです。
 
アルトマンさんは、若い頃から現代音楽にも情熱を注いでいらっしゃったと伺っていますが…。
 ええ。私は18歳の時ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団に入り、同じ年に「アンサンブル・ディ・ライエ」というウィーンの現代音楽アンサンブルでも活動を始め、25年間活動しました。「ディ・ライエ」は、ブーレーズが1976年にパリで設立した「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」のように、現代音楽で最も重要なアンサンブルの一つです。「ディ・ライエ」では主に、ヴィブラフォンやシロフォン、マリンバなどを担当し、たくさんの前衛的な作品を演奏しました。当時のウィーンで大スキャンダルにもなりましたよ。その頃の聴衆は非常に保守的だったのです。ジョン・ケージの作品を演奏した時は、聴衆や新聞記者に「なんて騒々しい!」「ばかげている!」などと言われました。でも実に刺激的でした!今では、ウィーンでも素晴らしい現代音楽作品が数多く演奏されていますし、ウィーン・フィルも演奏しています。昨年の夏、ザルツブルグ音楽祭では、ベルント・アロイス・ツィンマーマンのオペラ〈兵士たち〉が上演されました。かなり難解で強烈な作品ですが、大成功をおさめていました。
 
現代音楽の分野では他にどのような活動をなさっていらっしゃったのですか?
1969年、70年には、ウィーンのムジークフェライン大ホールで3回、オーケストラと打楽器の演奏会を行いました。このような公演は、当時のオーストリアでは初めてのことでした。私はミヨーやジョリヴェが書いた打楽器のための協奏曲や、ドイツの現代作曲家が書いたティンパニ協奏曲を演奏しました。それにバルトークの〈2台のピアノと打楽器のためのソナタ〉も演奏しました。ウィーンでは初演だったと思います。それから私はオーストリアの作曲家、フリードリヒ・ツェルハ、ハインツ・カール・グルーバー、オット・ツィカンとも友人でした。当時はみんなまだ若者でしたが、今や彼らの名前は世界的に知られています。彼らと一緒に成長できたのは、とても嬉しいことです。
また1966年からは、「MOBアート&トーンARTアンサンブル」という現代音楽アンサンブルにも参加しました。そのメンバーは、オット・ツィカン、ハインツ・カール・グルーバー、クルト・シュヴェルツィク、ウィーン・フィルのホルン奏者だった私の弟、ウィーン・フィルの打楽器奏者、そして私でした。ヴァイオリン奏者のエルンスト・コヴァチクやチェロ奏者のハインリヒ・シフとは、度々共演しました。二人とも素晴らしいソリストたちです!小さなアンサンブルでしたが、私たちは本当にばかげたこともして、聴衆に笑われたりもしましたが、みんな楽しんでくれましたね。もちろん、メンバーのツィカンが書いた、ピアノとチェロ、ヴィブラフォンの三重奏曲なども一緒に演奏しましたよ。
 
ところでアルトマンさんは、日本文化にとても興味をお持ちのご様子ですが…。
ええ、まさしく!初来日は1977年にカール・ベームとウィーン・フィルで演奏した時でした。その頃はまだ、ウィーン・フィルのティンパニ奏者になって2年くらいだったので、オケの中で確信を持って演奏できるよう、修行中の時期でした。その時はベートーヴェンの交響曲第5番を演奏したのですが、幸いうまくいったことを覚えています。そのとき日光や、奈良の法隆寺、金沢など様々な場所に出かけました。私は外国に行って時間がある時は、その国の文化や建築、風景、人、食べ物について知るようにしていますが、日本は本当に興味深いです。日本食も大好きですよ!鎌倉にも行ったことがあります。水戸は、最初は全く知らなかったのですが、芸術館の近くにきれいな湖がありますし、美しい鳥たちもいて、いいですね。ここに滞在している時は、天気が良ければ毎日湖のまわりを散歩しています。それに日本三大名園の一つ、偕楽園にも行きましたよ。
 
アルトマンさんは、長い間世界の第一線でご活躍されていらっしゃいましたが、その秘訣についてどのようにお考えでしょうか?
たくさんあると思いますが、まず必要なのは才能。良い先生に学ぶこと。そして他の音楽家の演奏を聴き分ける鋭い耳が大事です。それから物事に対していつもオープンであり、一生を通じて学び続けることです。私は今71歳ですが、水戸での活動を新鮮に感じていますし、ウィーン・フィルの時と同じように興味を持って活動しています。この年齢になっても演奏できるということは、とても幸せなことです!私は演奏会の度に新しいことを学んでいます。例えば新しい楽器、新しい皮、新しいばちによってどんな音が生まれるか…いつも驚きに満ちています。また常に、その時その場に集中すること。背もたれに寄りかかって楽をしているようではだめなのです。その瞬間に自分がすべきことをしっかり見つめることが大事だと思います。
 
最後に水戸のお客様にメッセージをお願いできますか?
まず私は、この素晴らしいホールで演奏できることをとても嬉しく思っています。それに、日本の有名な建築家の方が作ったあのタワーもいいですね!水戸のシンボルになっていると思います。そして、私はこのオーケストラのすばらしい未来を願っています。特にセイジ・オザワには、可能な限りたくさん来ていただきたいです。私がここでやってみたいのは…ティンパニのための協奏曲なんていかがでしょう!でもこのオーケストラで演奏するにはふさわしくないかもしれませんね(笑)。
昨年7月に行った水戸の小中学生を対象にした打楽器セミナーは、私にとってもすばらしい思い出となりました。その時は、午前中にスネアドラムやティンパニを使ったマスタークラスを行い、午後は吹奏楽部の生徒たちを相手に、私が指揮をしながら指導しなければなりませんでした。初めての体験でしたが、冗談を言ったりもしながら、生徒たちととても楽しい時間を過ごすことができました。こんなふうに、新しい経験に対してオープンであることはとても大切なのですよ!
 

2012年6月30日に行われた「水戸室内管弦楽団メンバーによる小中学生打楽器セミナー」の様子
 
2012年10月17日
聞き手:高巣真樹(水戸芸術館音楽部門)