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2019-08-10 更新

夢中になる力、そして人生を変えた出会い~上野耕平(サクソフォン)インタビュー

いま最も注目すべきサクソフォン奏者のひとり、上野耕平さんに、6月、都内でインタビューを行いました。茨城ご出身の上野さんが、これまでどのように音楽の道を進んできたのかについて伺っていると、お話される様子はまるで好奇心旺盛な少年のよう。昨日聴いたばかりの音楽について話すように、最初に夢中になって聴いた水戸室内管弦楽団の演奏の記憶や、音楽の道に進むきっかけとなった恩師との出会いについて、生き生きと語ってくださいました!

 



――東海村ご出身ですよね?
はい、でも僕、生まれてから小学1年生までは水戸にいたんです。赤塚と内原の間にある河和田団地に住んでいて、常磐線の線路が目の前でした。そのあと、祖父母が東海村に住んでいたので、一緒に家を建てて住むことになり、2年生のときに東海村に引っ越しました。

――子どもの頃から音楽はお好きでしたか?
もう全然。興味を持ったのは、東海村に行ってからですね。始業式で吹奏楽部が演奏していて「ああ、あれがやりたい!」と思ったんです。それまでは楽譜も読めないし、ピアノも少し叩いたことがある程度で。吹奏楽部では、楽器の名前もよく分からなかったので、まず色々体験しました。その中で一番やりたいと思ったのがトランペット。目立ちたかったので。第一希望がトランペット、第2希望がサックス。その時、女性の顧問の先生に「あなたはアルトサックスね」と言われ、それでサックスになったんです。だからその先生がいなければ僕はサックスを吹いていないでしょうし、音楽好きにもなっていなかったかもしれません。

――始めてからすぐ音楽にのめりこんでいったのですか?
最初はとりあえず練習に行っている感じでした。でも4年生の時、東海村にある東海文化センターで、のちに僕の師匠となる須川展也先生がリサイタルをされたんです。それを聴いて「なんじゃこりゃ!」と思い、自分もうまくなろうと思いました。また6年生の頃からは、オーケストラを聴くようになりました。そこからはもうクラシック音楽にどはまりして、6年生でプロになろうと決めたんです。そしてその頃、初めて生でプロのオーケストラを聴いた。それが水戸室内管弦楽団でした。

――本当ですか!それはとても嬉しいですね。
水戸芸術館で、小澤征爾さんの指揮、ラデク・バボラークがソリストで、モーツァルトのホルン・コンチェルトでした。母親がチケットをとってくれたので、茨城交通のバスに乗って一人で行きました。指揮者の表情が見えるステージ後ろの席で聴いたんですけど、もう衝撃でしたね。「オーケストラってこんな音がするんだ!」と。CDでは聴いていたんですが、いざ生で聴くと、弦楽器の響きってあんなに…いい意味で、地に足がついていないような柔らかい音っていうのかな。それがすごい衝撃でした。生で聴くオーケストラって、こんなにえげつなく凄いんだって。

あとはバボラークの音。僕はベルの後ろ側に座っていたので、ベルから直接音が飛んでくると思いきや、どうして響きがこんなにホール全体にまわるんだろうって。「ホルンってこんな音するの?何じゃこの人は!」と思いました(笑)。それにコンサートホールATMは響きが本当に素晴らしいので。6年生の時に、一番いい本物に出会えたのは大きかったですね。

ラデク・バボラーク



――それからにクラシック音楽に夢中になっていったんですね。
クラシックは本当に大好きでした。オーケストラにサックスはなかなか出てこないんですが、オケばかり聴いていました。当時はCD買うお金もないし、youtubeも知らなかった。東海村の図書館や茨城県立図書館に結構な量のCDがあるので、かたっぱしから聴いていました。聴かないとうまくならないですからね。聴いて、自分の中で「こうなりたい」という理想ができると、練習も意味があるんですが、それがないと、ただ吹いているだけの苦行になる。だから若い人たちが水戸芸術館みたいな場所にどんどん足を運んでくれるといいですね。
この間の5月のアルゲリッチと水戸室内の共演。僕も行きたかったんですよ。ベートーヴェン、聴きたかったなぁ。でも去年は行ったんです。ショスタコーヴィチの〈ピアノ協奏曲 第1番〉を、アルゲリッチのピアノ独奏で、指揮者なしで演奏した時。ナカリャコフが来ましたよね。最っ高でした。車飛ばして行った甲斐がありました(笑)。あんなピアノの音、初めて聴きましたよ。そして、あの難しい曲を指揮者なしで、あそこまで生き生きと室内楽できるメンバーってすごいなと。アルゲリッチのピアノも凄かったですね。「オーケストラをおいていくぞ!」みたいなアッチェレランドの仕方、そして「いやいや、待て!」みたいなオーケストラの勢い(笑)。アンコールも最高だった。あれが茨城で聴けるというのは県民の宝ですよね。

水戸室内管弦楽団第101回定期演奏会



――去年の水戸室内を聴きに来てくださっていたとは…!本当にオーケストラがお好きなんですね。
とにかく聴きまくっていましたね。オーケストラ大好きです。できることなら入りたいですけどね。オーディションがあるなら受けて入りたいな(笑)。水戸室内でサックス使う時なんてなかなかないですよね?サックス使う曲って大きい編成ばかりだからな…。ミヨーの〈世界の創造〉という曲くらいかな?それをやる時はぜひ呼んでください(笑)。すぐ駆けつけます!でも去年、水戸室内でミヨーの〈フランス組曲〉やっていましたよね。あの曲、オケで聴ける機会なかなかないんですよ。ちなみにミヨー自身が書いた吹奏楽版もあるんです。オーケストレーションも違ったりして面白かったですね。

――上野さんが「演奏家としての今の自分」を作ってくれたと思う出会いを改めてあげるとしたら…?
それはまず須川展也先生との出会いですね。あとその前に、小学校の板橋幸子先生。僕は東海村の舟石川小学校の出身で、そこは当時、日本の小学校で一番吹奏楽がうまいくらいのレベルだったんです。コンクールでも一番をとるような学校で。でも強豪校にありがちな、理不尽にビシバシやるような指導は一切なかった。ひたすら「音楽のここがいいよね」という、音楽の美しさのために練習する。練習は毎日相当やっていましたけど、苦じゃなかった。それは先生が「音楽を作っていく」ということをさせてくれたからです。だからダメなときも、頭ごなしに「はいダメ、馬鹿野郎」とかではなく、「ここをもっとこうしたら、思いきり吹かなくても美しく響くでしょ?」と言ってくださる感じで。僕が最初にいたのが、そういう環境だった。そして先生は絶対に妥協をしなかった。

――そのバランスって難しいですよね?妥協はしないけど締めつけもしないという・・・
そうなんです。だからすごいなと思って。先生に言われたことで、今思うと本当にすごいと思うことがあって。サックスって・・・どの管楽器でもそうですけど、楽器自体に癖があるんです。どうしても、どこかの音程が高くなったり低くなったり、音色のばらつきがあったり。でも小学生ですし、その癖をもろに出して吹いていると、先生は「それはあなたの都合よね?聴いている人には関係ないでしょう?」って言うんです。でもそれって、ごく当然のことなんですよね。人前で演奏するときに、「自分の楽器はこの音が高いので…」なんて言い訳は通用しない。聴いている人はナチュラルに音を聴くわけだから。演奏することの本質を最初から教わりましたね。

――先生は、子どもを子ども扱いしないというか、演奏家として真摯に向き合っている感じがしますね。
そうそう、そうなんですよ。子ども扱いしなかったです。ステージに立つんだからっていう。だから音楽を好きになれた面もあります。板橋先生は、僕が小学校を卒業するときに県の教育委員会みたいなところに異動になって、現場を離れられたと思うんですが…。もったいない!ほんともったいないです。

――本当ですね、上野さんのように素晴らしい演奏家を育てられて。
僕もそうだし、オーボエの荒木奏美もそうです。僕の一個下で、小・中学校とずっと一緒。前後で吹いていました。あと、舟石川小から東京芸術大学に進んだのがもう二人、オーボエの山田涼子とクラリネットの村上さくら。みんな舟石川小。だから芸大の先生たちがびっくりしています。「東海村にはいったい何があるの!?」と。一つの村、一つの小学校から芸大にぼんぼん入学してくるから(笑)。ひとえに、その先生のご指導のおかげですね。

――最初に、板橋先生や須川先生など、素晴らしい先生方との出会いがあったのですね。
そう。そしてオーケストラが好きになり、初めてプロのオケを生演奏で聴いたのは水戸室内だった。なんと幸せなことか。一級品を生で聴くと、好きになりますよね。そのコンサートの翌日、吹奏楽部に行って板橋先生に、それがどれだけすばらしい演奏だったか熱弁した覚えがあります(笑)。そうしたら先生が、「それに気付くのは素晴らしいことね」と言ってくださって。だから僕の基本路線は、小学生の時にできていたと思います。

――その後は東京芸術大学へと進学され、国際コンクールでも素晴らしい成績を残されました。音楽家としての道を進む中で、大きな壁にぶちあたった経験はありますか?
1回やめようと思ったことはあります。それはアドルフ・サックス国際コンクールを受けているとき。サックスのコンクールって、しょうもない曲を吹かされるんですよ。他の楽器に比べてレパートリーが圧倒的に少ないので、主催者が課題曲選びに困るのは分かるんだけど、「そんな曲をやれと言うの?」と思うような、ありえないくらい変な曲を吹くんです。でも受験するからには結果が求められる。大学1年生のときに日本管打楽器コンクールで優勝したら、周りは当然、「次はアドルフ・サックスだね」とか言うわけです。そのうち何が楽しいか分からなくなってきて。大学4年生でそのコンクールを受ける時は、何かを生みだそうというより、これしちゃいけない、あれしちゃいけないって、マイナスの気持ちになっていて。もうやめようと本気で思いました。でもコンクールの2週間くらい前に、今も続けているThe Rev Saxophone Quartetの本番があって、死ぬほど楽しかったんです。信頼して尊敬しあえる仲間と、音でやり合うというのかな、本当に音楽していた。「そうか、やっぱりこれがやりたかったんだ」と、改めて認識しました。だから彼らがいなかったら、自分は今サックス吹いていたのかな…と思うくらいです。

――上野さんは最近、J.S.バッハが弦楽器のために書いた無伴奏の作品に取り組んだり、クラシックのロマン派のレパートリーも演奏するなど、サックスの可能性を積極的に広げようとされています。ロマン派の曲には今、どんな思い入れがありますか?
めっちゃ歌いたいなと思ったんです。元々ロマン派の曲は好きでしたし。この間の東京のリサイタルでは、フランクのヴァイオリン・ソナタを吹きましたが、あの曲は高校生の頃、本当に好きでよく聴いていて。だからサックスでやりたいと思ったんです。サックスという楽器は本当にいろんな表情を持っていて、ただ美しい音を出せるだけではなく、いろんなことを語れるんです。だから、原曲はヴァイオリンの曲だけど、サックスという楽器だからこそ、ある意味もっといろんなことができるかもしれないと思いました。ヴァイオリンの真似をしようとは全く思わなかったです。バッハの時もそうでしたけど、真似をするくらいならヴァイオリンを習った方がいい。僕はあくまで、作曲家の書いた音符に対して、サックスというツールを使ってどう向き合うかを大事にしています。

――今回のコンサートの選曲について教えていただけますか?
本当はね、水戸でコンサート、2時間くらいやりたいんです。2時間でも3時間でも4時間でも吹きたい。やっとここで演奏できるという嬉しさがあります。シューマンは、あのホールの響きの中で吹いたら最高だろうと思って選びました。あと〈カルメン・ファンタジー〉は水戸の皆さんにぜひ聴いてほしいなと思っています。オペラを観たかのような充実感が味わえる、歌うカルメン・ファンタジーというか。技術をひけらかすような編曲はよくあるんですが、あそこまで音楽的に充実した編曲はないんじゃないかな。「サックスで歌う」ということですよね。

――共演者の山中惇史さんとは絶妙なコンビネーションですね。
共演するようになって3年くらいになるかと思います。最初の出会いは僕が大学1年生、山中さんが作曲科の3年生のとき。即興の授業があって、そこで山中さんの即興演奏を聴く機会があって、「とんでもない人がいる」と思ったんです。その時はびびって声もかけられなかったけど、いつか山中さんと一緒に何かやりたいという思いを抱きました。それから大学4年か5年になった頃…あ、僕、大学5年行ってて。英語の単位を落として首席剥奪されてるんで(苦笑)。その頃初めて話す機会があり、そこからです。

 

山中さんは、見えている世界が普通のピアニストじゃないんです。音楽が書ける人だから。僕が見えていない世界を見えるようにしてくれる。すごくいい影響をもらえる共演者です。今回も楽しみです。

――最後に、茨城のファンの皆さんにメッセージをお願いできますか?
いやー茨城の皆さん、お待たせしました!って感じですかね(笑)。やっとです。茨城が世界に誇るホールで、がっつり1時間演奏させて頂けるのはとても嬉しいので、ぜひ聴いていただきたいと思います。一番いろんなものを吸収した時期を茨城で過ごしましたし、通学するとき、常磐線の車窓を見ながらクラシックを聴きまくっている少年だったので、里帰りして演奏を聴いていただけるのが本当に嬉しいです。若い人にも来てほしいな。日曜の昼だから、学生もぜったい来られる!

(――インタビューを終えて・・・)
それにしてもつくづく、初めて聴いた生のオケが水戸室内というのが幸せだったと思います。あと小6の時には小澤征爾さんがベルリン・フィルの野外コンサート「ヴァルトビューネ」で指揮したDVDをずっと観ていました。当時ボロディンの〈韃靼人の踊り〉を吹奏楽部でやっていたんですが、ちょうどそのDVDがロシアン・プログラムで、〈韃靼人の踊り〉も演奏されていた。〈1812〉とか〈火の鳥〉(抜粋)、〈くるみ割り人形〉も全曲入っていて、もう死ぬほど見ました。次カメラがどう来るとか、小澤さんはここでこう振るとか、全部暗記するくらい覚えていましたね。

 

聞き手・文:水戸芸術館音楽部門・高巣真樹