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2020-06-27 更新

【学芸員コラム】ベートーヴェンの肖像画 ~ベートーヴェンはどんな顔?~

「ベートーヴェンの顔はどんな顔?」と聞かれて、皆さんがまず思い浮かべるのはこの顔ではないでしょうか。



もじゃもじゃの髪に吊り上がった眉毛、キッと結ばれた口元、大きな襟のシャツに赤い襟飾りを巻いている意志の強そうな男。音楽家にとって最も大切な感覚である聴力の衰えに苛まれ、激動の時代の波に揉まれながらも苦悩を乗り越えて数々の名曲を残した大作曲家、という人物像は、この肖像画とセットで語られることが多いと思います。

「名前は知っているけど顔が浮かんでこない」というような歴史上の人物とは正反対で、「曲は〈運命〉と〈第九〉ぐらいしか知らないけど、この顔ならすぐに浮かんでくる」という人がいてもおかしくないほど、アイコニックな肖像画であることは確かでしょう(この「生誕250年!今年はベートーヴェンが熱い!」特集ページのバナーもこの絵がモデルになっていますね)。

しかしこの肖像画、ベートーヴェン本人にあまり似ていないのではないか、という説もあるのです。
 
ベートーヴェンの友人や知人が書いた手紙や日記をひも解くと、「ベートーヴェンは背が低く、頭が大きく、髪は真っ黒で硬く密生しており、血色の良い顔はあばただらけ」「手は毛が生えて力強かったが指は短くて太め」「ムーア人のように肌の色が黒い」「前歯が出ていて鼻が低いが、額は広く円くまるで砲丸のよう」というような記述があったと、ベートーヴェン研究で著名なA.W.セイヤー(1817~97)やメイナード・ソロモン(1930~)が伝記に記しています。

これらの記述は、例の肖像画に当てはまるものもあればそうでないものもあります。そもそも、この肖像画は誰が描いたのでしょうか。
 
その画家の名は、ヨーゼフ・カール・シュティーラー(Joseph Karl Stieler 1781~1858)。ドイツのマインツで生まれ、ウィーンやパリで絵を学び、1820年からバイエルン王国の宮廷画家を務めた肖像画家です。このベートーヴェンの肖像画は1819年から20年に描かれたもので、ちょうどベートーヴェンが50歳を迎えようかという時期の顔です。手にはその頃作曲中だった〈ミサ・ソレムニス〉の楽譜が描かれています。
 
写真がなかったこの時代、プロの肖像画家が描く人の顔は、似顔絵よりも“イメージ画像”に近いものでした。今ではスマートフォンで手軽に顔写真を撮ることができ、気に入らなければ何度でも撮り直し、そのうえ加工まで一人で簡単にできてしまいますが、当時の肖像画家はその「加工」までを一手に引き受ける職人だったといってもいいでしょう。

シュティーラーが描いたこの絵の中では「あばた」や「低い鼻」、「出ている前歯」は鳴りをひそめ、「苦悩を乗り越えたドイツの英雄的大作曲家ベートーヴェン」がペンと楽譜を手にして一点を鋭いまなざしで見つめています。

シュティーラーが後年に描いた他の肖像画のモデルの中には写真が残っている人もいて、絵と写真を見比べると、どなたもある程度「加工」されていることが分かります。
 
それでは、この肖像画よりベートーヴェン本人に似ていると思われる絵もあるのでしょうか。そのお話は、また次回。


鴻巣俊博(水戸芸術館音楽部門学芸員)


「生誕250年!今年はベートーヴェンが熱い!」特集ページ