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2020-07-08 更新

【学芸員コラム】ヘーゲルとベートーヴェン ~神話の解体と形成~

 今年はベートーヴェン(1770-1827)が生誕250年ということで一層注目されているが、ドイツの哲学者ヘーゲル(1770-1831)も同じ年に生まれている。
 
 ヘーゲルは、哲学の領域に芸術を取り込み、「芸術哲学」の礎を築いたドイツ観念論の到達点に位置する哲学者だ。しかし、どういう訳か、ヘーゲルはベートーヴェンについて、終生言及することがなかった。勿論、ヘーゲルが、同世代、同郷であるベートーヴェンの存在やその作品を知らなかったとは、到底考えられない。
 
 ヘーゲルといえば、合理的な思考のモデルとして、「テーゼ(命題)」と「アンチテーゼ(反対命題)との対立葛藤の中で、より高度な「ジンテーゼ(統合命題)」が導き出されるという「弁証法」を定式化したことで知られている。ベートーヴェンによって集大成された2つの対比的な主題により展開されるソナタ形式の音楽は、まさにヘーゲルの弁証法のモデルとの並行関係が見出され、20世紀ドイツの哲学者、社会学者のアドルノは、「ベートーヴェンの音楽はヘーゲルの哲学そのものである。」と高らかに述べている(テオドール・W・アドルノ[大久保健治訳]『ベートーヴェン 音楽の哲学』作品社1997)。
 
 しかし、ヘーゲル自身は、ベートーヴェンの音楽については沈黙し続けた。何故なのだろうか。
 
 19世紀初頭、祖国イタリアはもとより、ベートーヴェンが拠点としたウィーンにおいても、絶大な人気を誇っていたのはロッシーニであった。ベートーヴェンの〈交響曲第9番〉の歴史的な初演は、1824年5月7日にウィーンのケルントナートーア劇場で行われたが、当初ベートーヴェンは、ロッシーニのオペラに熱狂するウィーン市民には自分の新しい交響曲は受け入れられないのではと危惧し、ベルリンでの初演を希望した。結局、支援者のリヒノフスキー伯爵などの働きかけで、ウィーン初演の嘆願書が出され、ベートーヴェンはベルリン初演を思いとどまった。また、5月23日にウィーンで会場をより大きなレドゥーテンザールに移して行われた再演は、客席の半分も埋まらない失敗に終わったが、ベートーヴェンはウィーンの聴衆の受けをねらって、ロッシーニのオペラ・アリアをプログラムに組み込んでいる。もっとも後日ベートーヴェンはこのプログラミングも演奏会失敗の理由のひとつとして挙げてはいるのだが。
 
 ヘーゲルも、ロッシーニの音楽の虜となった一人であった。〈第九〉初演と同年の9月に、ヘーゲルは自宅のあるベルリンを離れ、ウィーンを訪れている。旅の目的は、ロッシーニのオペラ鑑賞であった。一方で彼がベートーヴェン作品を聴いたという記録は残されていない。9月20日から10月6日までの間に、ヘーゲルは『セビリアの理髪師』や『オテロ』など、ロッシーニのオペラを7回鑑賞し、ベルリンの妻に宛てて歌手たちを讃える次のような手紙を送っている。「2人のテノール歌手、ルビーニとドンツェルリ。何という喉、何という技巧、魅力、流暢さ、力強さ、響き、これらはただ耳を傾けるほかはありません!――最高の力を持った彼ら二人のデュエット。バス歌手ラブラーシュは主役をやっていませんでしたが、しかしここでも、私は彼の美しく、力強く魅力ある低音に驚嘆せずにはおれませんでした。そうだ、ほんとうにこんな男声をみんなに聴いてほしいものだ。これこそ響きであり、純粋さ、力、完全な自由です。・・・帰国の旅費とイタリア・オペラのためのお金がある限り、私はウィーンに留まるよ!(三浦信一郎『西洋音楽思想の近代』三元社 2005)」
 
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 ヘーゲルは、芸術を3つのカテゴリーに分けて考察している。①古代ギリシア以前の「象徴的芸術」(例えばインド、エジプト、ヘブライの芸術など)、②古代ギリシアの「古典的芸術」、③キリスト教的な近代の「ロマン的芸術」。なお、ヘーゲルの用いる「古典的」「ロマン的」というのは、一般に言われている「古典主義」「ロマン主義」とは重ならない点で注意が必要だ。
 ①の「象徴的芸術」には建築が、②の「古典的芸術」には彫刻が分類されているのに対して、③の「ロマン的芸術」に絵画や詩とともに音楽が位置づけられている。
 
 ヘーゲルは、「精神的内容=内的な意味」と「感性的形態=外的な形態」の統一が成し遂げられた②の古代ギリシアの古典的芸術こそ、「美の頂点」であるとしている。ヘーゲルは、「ギリシアでは芸術が絶対者(=神)に対する最高の表現であり、ギリシアの宗教は芸術それ自体の宗教であった(ホトー編纂『美学講義』1835-38)」と述べ、あくまで芸術の本質は絶対者(=神)の表現であると捉えた。
 
 その一方で、音楽が属するロマン的芸術においては、「精神的内容=内的な意味」と「感性的形態=外的な形態」は一致しないのだが、それはキリスト的な絶対者は感性的には捉えられないことに起因し、その存在を暗示するための両者の不一致であるとヘーゲルは考えた。
 小田部胤久氏はヘーゲルの考察を次のように説明している「ロマン的芸術が進展するにつれ、芸術家は本来表現すべき内容を忘れ、ただ自然的偶然性を描写することに専心するようになる。こうした芸術の『世俗化』の過程――それは、オランダの静物画・風俗画に典型的に認められる――は、一方において「ロマン的芸術の崩壊」であるが、同時にそこには新たな事態が生じる。すなわち、こうした芸術においては『表現の手段は、対象から離れて、それ自体が目的となり、その結果、芸術の手段を芸術家が主体的に巧みに操ることができる、ということが芸術作品の客観的目標となる』。このように、かつて『宗教』に仕え、あるいは『宗教』それ自体であった芸術は、その世俗化の結果、何かを表現する『手段』であることをやめる。元来『手段』であったものがそれ自体『目的』となる、という一種の自己目的性が芸術に備わることになる。(小田部胤久『芸術の逆説 近代美学の成立』東京大学出版会 2001)」
 
 ヘーゲルの時代に出現した「自己目的性をもった芸術」の最重要例が、ベートーヴェンの「絶対音楽」ではなかっただろうか。「絶対音楽」は、絵画的な表象や社会的な機能や詩などの言葉とは関係をもたず、ひたすら音楽固有の法則性に立脚する自律的な音楽を指す概念語である。ここでは、歌曲やオペラや標題音楽などは除外され、器楽であることが原則とされた。「絶対音楽」についてベートーヴェン自身は意識がなく、ワーグナーがこの概念語を用いた最初の一人であり、彼はベートーヴェンの交響曲の意義をこの言葉を通して説明している。そして、この「絶対音楽」の理論を学問的に発展させたのが、ハンスリックであるが、その背景にはワーグナー以上にベートーヴェンの器楽作品への意識が存在していた。そして、「絶対音楽」についての思索は20世紀に入るとシェンカーやストラヴィンスキーなどによって引き継がれ、これらの潮流のなかで「ベートーヴェン神話」が強化されていった。
 
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 ヘーゲルにとって芸術の本質は、上述したように絶対者=神の表現なのであり、近代キリスト教的世界観の下でもたらされた「自己目的性をもった芸術」は、「美の頂点」からは転げ落ちた存在であり、ここにヘーゲルは「芸術の終焉」を宣告する。
 
 このキリスト教的ロマン的芸術に属する音楽について、ヘーゲルは次のように語っている。音楽は、「対象性そのものを再現させることではなくて、逆に最も内面的な自己がその主観性を観念的な魂のおもむくままに運動するさまを、再現させること」を課題とする芸術である。さらに、「音楽によって要求されるものは、究極の主観的内面性それ自体であり、それゆえ、音楽は、心情が直接心情自体に向けられるところの心情の芸術である。(ヘーゲル前掲書)」と規定し、音楽の主観的、内面的、精神的な側面に重点を置いている。
 
 さらに、ヘーゲルは、拍子とリズム、和声、旋律という音楽の三要素を取り上げ、次のように論じている。「和声は、音の世界に対する必然性の法則を形成するという本質的な関係を含んでいるが、拍子やリズムと同様に、それ自体が本来の音楽ではなく、単にその上に自由な魂が遊動するところの法則的な基礎であり、土台であるに過ぎない。ところが、音楽の詩的なものは、心情の内的な快や苦痛を音へと注ぎ込み、この注ぎ込みによって感情の自然力をやわらげつつ超え出て高まるところの言語であるが、それは内面の現在の感動状態を、内面そのものの知覚へ向かわせ、自己自身のもとに自由に留まっている状態へともたらし、まさにそれによって喜びや悩みの圧迫から心を解放するのである。――このような音楽の領域における魂の自由な響きこそが、何よりメロディなのである。(ヘーゲル前掲書)」こうしたヘーゲルの旋律重視こそ、歌唱的な旋律、声楽的な音楽に惹かれるヘーゲルの嗜好と表裏を成していると言えよう。そして、ヘーゲルは、メロディの表出において優れた作曲家として、パレストリーナ、グルック、ハイドン、モーツァルトの名を挙げている。さらに、イタリア音楽について、ヘーゲルは「イタリア人には、自然がメロディ的な表出の天分を特に与えている(ヘーゲル前掲書)」と称賛している。
 
 一方、器楽について、ヘーゲルは否定的である。「特に近年、音楽は、既にそれ自体として明らかな内包から遊離し、それに固有のエレメント(=音自体)へと帰還している。しかし、その代りに、その音楽はますます全ての内面に関する力を失ってしまっている。その場合、この音楽の提供しうる享受は、ただ単に芸術の一つの面に向けられる。即ち、作曲とその熟練といった純粋に音楽的なものに関する単なる関心に向けられる。この面は単に精通者のこととするところであって、一般人間的な芸術の関心とは殆んど関係がないものである。(ヘーゲル前掲書)」三浦信一郎氏は、「このヘーゲルの器楽に対する危機意識が、・・・器楽を称揚するロマン主義的な理論に向けられたものであり、その限りにおいては、まさしく当時のベートーヴェンの作曲活動に向けられたものと考えられるということである。・・・ヘーゲルは前述の如く危機意識をもって反ベートーヴェンの立場に立つのである。しかも、自らの『美学講義』において沈黙を通すというかたちで。」と論じている(三浦信一郎『西洋音楽思想の近代』三元社 2005)。
 
 かくして、ヘーゲルの哲学体系の中では、ベートーヴェンの音楽は傍流と見なさざるを得なかった。しかし、ワーグナー以来受け継がれてきた「絶対音楽」の思索において、音楽外的な要素を排した自律的な音楽という概念を超えて、そこに「絶対性」「絶対者」という意味合いが付加され、ベートーヴェンを「絶対者」と見なす「ベートーヴェン神話」が生み出された。ここで私たちは、再びヘーゲルの「芸術の本質は絶対者の表現なのである」という指摘に立ち返ることになる。西洋近代芸術音楽における「美の頂点」を手に入れるために、ヘーゲル以降の音楽思想家たちは、ベートーヴェンの神格化を企てたのである。
 
 
 
 
参考文献
小田部胤久「ヘーゲル美学における芸術の新生と終焉」(『ヘーゲルを学ぶ人のために』所収 世界思想社 2001)
小田部胤久『芸術の逆説 近代美学の成立』(東京大学出版会 2001)
三浦信一郎『西洋音楽思想の近代』(三元社 2005)
竹内敏雄訳『美学』(『ヘーゲル全集』所収 岩波書店 1995-96)
テオドール・W・アドルノ(大久保健治訳)『ベートーヴェン 音楽の哲学』(作品社1997)
 

 
中村 晃(水戸芸術館音楽部門 芸術監督)

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