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2020-10-10 更新

【ちょっとお昼にクラシック】国際派のカウンターテナー 藤木大地さん インタビュー

いま第一線で活躍中のカウンターテナー、藤木大地さんが水戸芸術館に初登場します!
カウンターテナーとして活躍するに至るまでの出会いや挑戦、歌われる言葉へのこだわり、そして今あらためて抱く、音楽や劇場への想いについて、お話を伺いました。


 藤木大地さん ©hiromasa

初舞台の思い出

――宮崎県ご出身ですね。子供の頃の思い出について教えていただけますか?

幼稚園の年長のときに半年間、親の仕事の関係で兵庫県伊丹市に住みました。それで10月に宮崎に戻ったのですが、元々通っていたのがカトリックの幼稚園だったので、クリスマスにキリストの誕生を祝う劇をやるんですね。でもその時点で残っていたのが、台詞一つだけの羊飼いの役だけ。でもそれではかわいそうに思ったのか、先生が歌う機会をくださって、「星のルンラン」という曲を友達と二人で独唱しました。それが舞台で初めて歌った記憶です。

ちなみに転校した1985年って阪神タイガースが優勝した年。伊丹で大の阪神ファンになりました(笑)。あと当時、阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)にブーマー・ウェルズという名選手がいて、電車でばったり会ったようで、「電車にブーマーが乗ってた!」と騒いでいた記憶があります(笑)。


初舞台の写真(左が藤木さん)
 

――もともと歌うことはお好きだったんですか?

好きだったんでしょうね。英語や水泳、油絵は習わせてもらったけど、楽器は習ったことはないです。うちにLPはたくさんありました。


合唱との出会い

――宮崎大学教育学部附属中では合唱部に入られたそうですね。

実は合唱に興味が湧いたのは小学校時代です。合唱部があって部員はほぼ女子。たまに半ズボンをはいた男子もいて、仲良い子たちも参加していてうらやましかったんですが、自分も入りたいとは言えずに終わりました。中学では野球部へ。そんな中、音楽の授業で真面目に歌っていたら、先生から「声がいいね」と言われて合唱部にも入ることになりました。混声合唱で、レベルが高かったですね。昼は合唱部、夜は野球部という生活でした。野球部では補欠だけど合唱部では重宝されましたね。

茨城と言えば僕、つくばのJAXA(筑波宇宙センター)に勤めている友人がいて、時々遊びに行くのですが、彼は合唱部時代の親友です。
 
――その後、高校生の頃に「大学で声楽を学ぼう」と決心されたそうですが、本格的に歌手になりたいと思われたのはいつ頃でしょうか。

東京芸術大学を卒業して、でも大学院には落ちて。でも新国立劇場オペラ研修所には受かったんです。そこで奨学金をいただきながら勉強する生活を送っていた頃かな。音楽だけで生きていきたいと思いました。そこに至るための道は遠かったですけどね。
まわりの友達が一般企業に入社が決まった頃は焦っていました。自分も歌手をやるならそれで食えないといけないし、食えないなら違う道を考えないといけないと思って。でもその後、新国の研修生になれたので、やっと、きちんとしたことをやっていると言えるようになりました。まわりからは、僕が歌の道でプロになるとは思われていませんでしたけどね。あくまで「合唱部の歌が上手い藤木」というイメージで。
 
――テノール歌手だった頃にお好きだった作品は?

テノールがみな目指すように〈ラ・ボエーム〉が好きでした。ロドルフォなんて超かっこいいやと思って。青春の役ですよね、何回見ても泣いちゃいます。カラフ(〈トゥーランドット〉)よりロドルフォ派です。プッチーニ、好きだったなぁ。大学のときは先生に「お前にはプッチーニはまだ早い」と言われてやらせてもらえなかったけど。最初にスカラ座で観たのも〈トスカ〉でした。スカルピアがレオ・ヌッチで、カヴァラドッシがサルヴァトーレ・リチートラ、トスカがマリア・グレギーナ。当時からイタリア語のものが好きだったので、留学を目指して早くからイタリア語を勉強しました。あとはパヴァロッティが好きでした。
 

人生の転機

――ウィーンに留学中に、カウンターテナーへの転向を決断されたそうですね。

最初は、テノールとしてイタリアに留学しました。それでヨーロッパの劇場で歌いたいと思い、ドイツのあらゆる劇場に手紙と履歴書を送ってオーディションを申し込んだ。70通くらいかな。でも返事が来たのはたったの2,3通。うまくいきませんでした。でもあきらめきれず、30歳のときに、今度は声楽も文化経営学も学べるウィーンの大学へ。「夢を追うのは30歳までにしよう」という背水の陣のような気持ちでした。それであるとき試験の準備をしていたら、風邪で声が出なくなってしまって。でも暗譜だけはしようと裏声で音符を辿っていたら、「あれ、この声すごくいいんじゃない?」と思ったんです。地声でいい声を出そうとするより、裏声であればリラックスした気持ちで自由に歌えた。自分という楽器は、カウンターテナーだと気付いた瞬間でした。 

――人生のターニングポイントですね。ピンチをチャンスにする秘訣は?

ピンチはピンチです。そう簡単にはチャンスになりません。ただ起きたことは変えられないけど、それが気にならないようにする方法は考えられる。岡部さん(藤木さんのマネージャー)が僕に、「過去には戻れません」とよく言うんです。過去には戻れないから、先に行くしかない。彼とは7年くらい仕事をしていますが、その中でも一番印象深い言葉です。

――カウンターテナーとして活動を始めてから6年後の2017年には、ウィーン国立歌劇場にデビューされました。カウンターテナーは、オペラでは幅広い役がありますが、どんなことを大事にしながら準備していらっしゃいますか?

確かにオペラの中のカウンターテナーには、少年、英雄、神の使者など様々な役がありますが、他の登場人物との関係が作品を作るので、その役が少年か英雄か神の使者か…ということはそれほど重要ではないと思っています。例えば現在〔註:2020年9月15日時点〕、新国立劇場で稽古しているオペラ〈夏の夜の夢〉では、まずシェイクスピアの原作を読んでオペラの台本と比較します。原作には、オペラでも使われている台詞とそうではない台詞があり、後者の方が実は大事だったりするんですよね。作曲家のベンジャミン・ブリテンとテノール歌手のピーター・ピアーズは、これをオペラ化するうえで原作の台詞を一部カットしています。そこで登場人物が何を言っていたかを知る作業は当然やっています。

ちなみにその舞台のオリジナルの演出家、デイヴィッド・マクヴィカーさんとは2年半前にウィーンで仕事したことがあります。そのときに〈夏の夜の夢〉のアリアを聴いていただける機会があったのですが、「テキストをもう少し見通した方がいい」と言われて。その言葉の意味をずっと考えていたときに新国の話が決まった。今度は英語できちんと原作を読もうと思って、イギリスで原作を買い、英語が古いから辞書も引きながら、自分が持っていた福田恒存訳を比べる勉強はしています。そうすると、自分が歌う歌の意味も変わってくると思っています。


2010年にウィーン国立歌劇場で世界初演されたライマン作曲のオペラ〈メデア〉に2017年に出演
©Wiener Staatsoper/Michael Pöhn



ひとつの道を究める

――歌手としてのご活躍のほか、プロデューサー、執筆、インタビュアー、教育のお仕事にも携わっていらっしゃいますが、これから実現してみたいことはありますか?

マルチに活動することについては、僕、20代後半の時もそういう感じだったんです。その時は「歌だけじゃない」と言える自分が誇りで、でもテノール歌手としての活動が順調かといえばそうでもなく。そんな中、あるとき南仏のニースでミシュランの星を獲得している日本人のシェフと出会ったんです。その後南仏に旅行したときに、そのお店で食事したんです。当時の僕は、5つくらい年上のすごい方にアピールしたかったのか、自分ができることをたくさん羅列したんです。そうしたら「でも、それは一つの道を究めてからだよね」と言われて。その言葉はよく覚えています。

幸いそれからは、自分が勝負できる声を見つけて、30歳からもう一度やり直すわけです。さらに10年がたち、今は自分のやりたいことが歌で実現できている。それ以外のお仕事は、歌という道の傍らにあるものなんです。

もちろん、渡航が自由にできるようになったら、また海外でやりたいという希望はあります。そして常に、昨日より明日の方が上達していたい。スポーツ選手と一緒です。自分の目指すパフォーマンスが実現できる限りは、丁寧に歌い続けたいです。
 
――良い声を出すために気をつけていらっしゃることは? 

よく聞かれるんです。煙草とか辛い食べ物、お酒のこと。煙草は興味がないので一度も吸ったことはないです。辛いものは好きですが、年齢とともにお腹が痛くなることが増えました(苦笑)。お酒は、「今日は頑張った」という日は飲みます。だから生活で気にしていることはほとんどない。

でもひとつ言えるのは、ハッピーに生きていた方がいいですよね。声の芸術なので、精神状態が直に出る。僕はこの4、5月は全然歌わないで過ごしました。やりたくないときはやらない方がいいと思うので。逆に言えば、心から歌いたいと思えるような生活というか人生を送ることが大切だと思います。
 
――ストレス解消にはどんなことをされていますか?

できる限り毎日ヨガをしています。自分で定期的にストレッチするのって歌にいいなと思いますし、ホットヨガだから汗をかける。ウィーンで始めて6年くらいやっています。昔はジムに入ったこともありましたが、自由に過ごせるので、僕プールのデッキチェアでずっと本読んでいたんです(笑)。でもヨガはとにかく動いて1時間で終わるから、自分には向いています。
 
――藤木さんは、マエストロ小澤征爾が総監督を務めるサイトウ・キネン・フェスティバル松本(現・セイジオザワ松本フェスティバル)で制作スタッフをされていたこともあるそうですね。

2007年の小澤征爾音楽塾から翌年のサイトウ・キネン・フェスティバルまでスタッフをしていました。劇場経営にも興味があったので。2007年の音楽塾は〈カルメン〉。次の夏は、サイトウキネンでの〈スペードの女王〉で、コーラスで出演する方。2008年は「東京のオペラの森」で〈エフゲニー・オネーギン〉、音楽塾で〈こうもり〉、夏のサイトウキネンで〈利口な女狐の物語〉の制作をやりました。

小澤さん、オーラがすごいですよね。2008年夏に松本でスタッフをしていた時、「青少年のためのオペラ」で〈セヴィリアの理髪師〉が上演されたんです。そのとき僕はコーラスだったんですが、アルマヴィーヴァ伯爵役の人が稽古に出席できなくなり、代わりに歌わせてもらったんです。その稽古に小澤さんがいらして、「あの人だれ?」と興味を持って聴いてくださったのが嬉しかったですね。ウィーン留学中も、小澤さんがウィーン国立歌劇場の音楽監督をされていたので、お会いしたら気さくに接してくださいました。

 
今回のプログラムについて

――今回の「ちょっとお昼にクラシック」の曲目はどのように決めてくださいましたか?

企画のタイトルを聞いて、これはパーセルの〈ひとときの音楽〉で始めるしかないと思いました。パーセルから日本の歌へと組めば、幅広い時代をカバーできますし。自分のレパートリーからの曲と、新しい曲をいくつか組みあわせて構成しました。ピアノは佐藤卓史さんにお願いしました。彼とやるならドイツリート、特にシューベルトを入れたい。一曲選ぶなら〈魔王〉だなと。〈魔王〉はピアニストが嫌がる場合もあって、マーティン・カッツさんには断られたけど、佐藤さんはOKしてくれました。あと〈くちなし〉とか〈レ・ミゼラブル〉、加藤昌則さんに委嘱した〈てがみ〉など久しぶりの曲も歌います。

――佐藤卓史さんについてはどんな印象をお持ちですか?

佐藤さんは僕が大学3年か4年のときに東京芸大の附属高の3年生でした。日本音楽コンクールで優勝して、奏楽堂でコンチェルトを弾いているのを聴いて、とてもうまい人がいるなと思ったんです。今年1月に東京で、シューベルトの〈美しき水車小屋の娘〉を歌うコンサートがあり、共演をお願いしたのが最初。そのときの演奏がとにかく素晴らしかったんです。すごく信頼しているし面白いです。期待した以上のことを自発的に考えてやってくれる人です。


佐藤卓史さん ©Takaaki Hirata 


音楽、そして劇場への想い

――いま改めて、私たちにとって音楽はどんな存在だと思いますか?

僕らは2020年前半に、生の音楽を失って飢えていた期間を経験しましたよね。それでこの夏、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールでリサイタルをやらせていただいたのですが、地元の人たちが、自分の町の劇場に音楽が戻ってきたことをすごく喜んでくださったんです。僕らも日常を一度失ったうえで舞台に戻れることがとにかく嬉しくて。だからこれから劇場は、音楽へのより深い愛情が満ちた空間になるはず。音楽への愛情を確認した人たちがその魅力を他の人にも伝えて、より多くの人を劇場に連れてきてくださるといいなと。そうすれば、劇場が活気を取り戻すきっかけになると思うんです。

そしてそれは、幸せな日常にもつながる。音楽は衣食住には直結しないけど、並列で話せるようにはなると思います。心とからだの健康はつながっているから。劇場が町にある意味はそういうところにあるんじゃないかな。ドイツではどの中規模な町にも劇場があり、みんなそこに出かけるのを楽しみにしているんです。イタリアではオペラが21時に始まるから、みんなご飯のあとに行く。出演者は終演後に食事する場所がないんですけどね(苦笑)。でもそのくらい劇場が日常に溶け込んでいて、通うのが町の人の楽しみになっている。きっと水戸の皆さんにとって水戸芸術館もそういう存在でしょうし、僕も初めて伺うのが楽しみです。これから永いお付き合いができたらなと思っています。
 
――11月の藤木さんのコンサートも、ぜひ皆様に楽しみにお越しいただきたいですね。来水を心よりお待ちしております!




2020年9月15日
聞き手:高巣真樹
 
協力:株式会社AMATI


ちょっとお昼にクラシック 藤木大地(カウンターテナー)
ーBeyond the Borderー

2020年11月7日(土)13:30開演
水戸芸術館コンサートホールATM
出演:藤木大地、佐藤卓史
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