チケット

【重要なお知らせ】

2021-11-02 更新

「第31回吉田秀和賞」受賞者決定のおしらせ

平成2年に創設いたしました吉田秀和賞は、優れた芸術評論を発表した人に対して賞を贈呈し、芸術文化を振興することを目的として当財団が運営しております。
第31回目となりました今回は、昨年に引き続き審査委員に磯崎新氏と片山杜秀氏を迎え、厳正に審査を行ないました結果、候補書籍の総数106点(音楽27点/演劇13点/美術35点/ /映像14点/建築12点/その他5点)の中から、前田良三氏の『ナチス絵画の謎―逆襲するアカデミズムと「大ドイツ美術展」』(みすず書房 令和33月刊)に決定いたしました。
賞の贈呈式は、本年1119日(金)17時から水戸芸術館会議場にて開催する予定です。

[著者略歴]
前田良三(まえだ りょうぞう)
1955年鹿児島市に生まれる。東京大学大学院修了。ドイツ・ボン大学Dr. phil. 埼玉大学助教授、一橋大学助教授、立教大学文学部教授(ドイツ文学)を経て、現在は同大学名誉教授。ボン、ケルン、フンボルト(ベルリン)、テュービンゲン、ワシントン(セントルイス)各大学で招聘研究員・客員教授。主な著作に、『可視性をめぐる闘争─戦間期ドイツの美的文化批判とメディア』(三元社2013年)、Mythen, Medien, Mediokritäten. Zur Formation der Wissenschaftskultur der Germanistik in Japan(Fink 2010年)など、また訳書として、『トーマス・マン 日記 1918-1921』(紀伊國屋書店 2016年)、テオドール・アドルノ『文学ノート 1・2』(共訳 みすず書房2009年)などがある。

 


第31回吉田秀和賞 受賞作品


 

前田 良三 『ナチス絵画の謎逆襲するアカデミズムと「大ドイツ美術展」』
みすず書房 令和33月刊)

 
 
【審査委員選評】 
 
 
片山 杜秀

 ヒトラーのお気に入りの画家、ツィーグラー。本書は、彼の代表作『四大元素』を徹底分析します。『四大元素』は、1937年、つまりナチスが政権を取って5年目で、ベルリン・オリンピックの翌年に、ナチスの評価する美術作品を一堂に会さしめた「大ドイツ美術展」をシンボライズする新作として、特に委嘱されて描かれました。この展覧会と同時期に、それと表裏一体の催事として開幕したのが、かの「頽廃美術展」。クレーやシャガールやカンディンスキーが侮蔑の対象にされました。そんな〝頽廃美術〟に肩入れする書物は山のようにありましょう。しかし〝大ドイツ美術〟を本気で扱う本となるとそうはないでしょう。といっても、本書は『四大元素』を肯定的に再評価しようとしているわけでは、もちろん決してないのです。その絵が1937年のナチスにとってどうして都合が良かったかが、文化史家の客観と芸術鑑賞者の主観とを折り重ねながら、絵の内側にかなり踏み込んで、批判的に論じられてゆきます。
 たとえば『四大元素』は教会の三連祭壇画の形式に則って描かれている。なぜでしょうか。三連祭壇画は、教会に集う不特定多数の信者がみんなで観るものですから、形式自体に公共性がある。みんなをある感情に誘導する形式なのです。それを〝退廃芸術家〟たちは利用していた。音楽なら、ナチスに天敵扱いされたヒンデミットの交響曲『画家マティス』(1934年)が思い出されるかもしれません。それは〝大ドイツ美術の燦然たる系譜〟の上に位置するだろう16世紀の画家、マティアス・グリューネヴァルトの『イーゼンハイムの三連祭壇画』に立脚した作品なのです。ヒンデミットのような頽廃的モダニストから三連祭壇画を取り戻す! なるほど、分かりやすい。
 けれどもそこから先は一筋縄ではゆきません。三連画は当然、3つの画面に割られている。その連続性を保障する手立てとしては、画面の下に描かれる床の向きを同じに合わせる技法が用いられたりするものです。でも『四大元素』は、よく見るとそうなっていない。3つの画面に描かれた、地水火風を象徴する女性たちの足元の床は、絵をまたいで繋がってはいない。不連続である。断絶がある。著者はそれをナチスが一枚岩でないことを表しているのだと解します。これまたなるほど! 科学技術を礼賛する近代性と土着的反近代性が相矛盾しながら無理やり併存しているのが、ナチスの世界観というものなのですから。
 さらに、『四大元素』に描かれた女性は揃って裸婦なのですけれど、その描かれ方は、たとえばドラクロワの『民衆を率いる自由の女神』のように逞しく偶像化されてはいません。むしろ貧相でさえある。どこにでもいる普通のドイツ女性をまったくの自然主義的リアリズムで、飾らずに描いている。それはつまり、三連画という公的な形式に、様式化されない私的で生々しい女性像を組み合わせることで、公私の区別の不能な世界を描いていることになる。私的なものを秘めることはもうできない。全部が公に見通されるようになる。こうして裸婦画は全体主義絵画としての機能を帯びるのか。慄かずに読んでいられましょうか。
 そしてもっと決定的なのは、ツィーグラーの絵の描き方に人を新鮮に驚かせるものが何もないということです。描く対象は見慣れたものばかり。描き方もいつもの手練手管で。要するにキッチュということです。芸術のモダニズムやアヴァンギャルドの立場からすれば凡庸でしかない。しかし『四大元素』というキッチュな作品は、精緻かつ巧妙な職人性に支えられていると著者は言います。
 改めて確認すれば、本書はナチス絵画論です。現代の話をしては居ません。けれども、示唆するところはとても今日的ではないかとも思えるのです。かつては教養人の尊崇や畏敬の対象であった、前衛的表現を追求しようとする現代美術や現代音楽は、多くの人々からしばしば単に気味悪がられ、不気味なものとして公然と退けられるようになってきてしまったのではないでしょうか。市民権が剥奪されているとまでは思いませんが、ヒトラーやスターリンが居るわけでもないのに、なぜかだんだん逼塞させられてきている。資本の論理と大衆の思想の結合体に制圧されつつある。その一方で、キッチュと職人技は、たとえばアニメやゲームの領域を中心に、文化の中核を占めているようにも観察されます。ナチス絵画を巡る物語は歴史の中の昔話ではない。ツィーグラーを蔑んで退けているうちに、いつの間にかこの世界は百人千人のツィーグラーに取り囲まれているのではないか。今だから読まれるべき、芸術史への優れた批評的考察です。

 
【受賞者からのコメント】
 
前田良三
 
 拙著『ナチス絵画の謎』が吉田秀和賞をいただくことになりました。身に過ぎる光栄です。また、文学・思想を専門としながらも芸術と触れ合う領域で仕事をしてきた者として、大きな喜びを感じています。
 これまでナチス芸術は、芸術上の価値に乏しい「プロパガンダ芸術」や「キッチュ」として片づけられてきました。しかしそれが現代のヴィジュアル文化にとってどのような意味をもつかという問題は、ほとんど手つかずのまま残されている。この問題を、メディア文化・大衆文化、美術アカデミー制度、民族主義思想運動、美術作品に対する人々の受容モード、ナチスの文化政策などが重なり合う現場で問い直すこと──これが本書の基本的な姿勢です。こうした複合的な観点に立って、本書ではナチス美術の典型とされるアドルフ・ツィーグラーの『四大元素』を可能な限り具体的に分析しています。さらに、ナチスの「大ドイツ美術展」の開催地ミュンヘンが「ドイツ美術の首都」から「ナチス美術の首都」へと変容してゆく過程を、19世紀末から辿り直して検証しました。その意味で、この本は「もうひとつの近代ドイツ絵画文化史」でもあると思っています。
 ヨーロッパを中心に35年以上ドイツ絵画を見てきました。その間常に私の念頭を去らなかったのが、近代絵画における観念性と具象性の関係という古くて新しい問題です。今回この本を上梓することで、自分の感じていた「謎」にひとつの明確な形を与えることができたように思います。それを可能にしてくださったみすず書房の守田省吾さん、本書を評価してくださった選考委員の方々、そして水戸市芸術振興財団の皆様に心より感謝申し上げます。


 

公益財団法人水戸市芸術振興財団

吉田秀和賞について