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2023-01-12 更新

ちょっとお昼にクラシックLEOさん(箏)インタビュー箏で弾くクラシック――箏の始原から生まれる新たな表現


――LEOさんは、小学生のころにインターナショナルスクールで箏に出会ったとお聞きしましたが、どんな授業だったのでしょうか?

僕が通っていた学校は幼稚園から高校までの一貫校で、その小学校4年生の音楽の授業からずっと、中学でも高校でも、授業選択で音楽を選んで、そのなかで箏を選び続ければ、ずっと箏に触れながら音楽の授業を受けられたんです。カーティス・パターソン先生というアメリカ人の先生が、その箏を使った音楽の授業をされていました。

4、5年生のときは、年に1回ある発表会で1曲、みんなで弾くことに焦点を当てていて、みんな英語を使っているから、漢数字が縦書きで並んだ楽譜を読むのに苦労するんですけど、1年かけて練習して覚えるという感じでした。中学生(6~8年生)になると、箏の調絃をドレミに並べて、それで音階を理解したり、たとえば調絃をブルース・スケールに並べて、先生がブルースのコード進行を弾いている上で、みんなで即興したりして、音楽理論の初歩も箏を使って学べたんです。本当に面白いカリキュラムで、素晴らしい先生でした。あの授業があったことで、箏に対する固定観念みたいなものがなくなったし、音楽に対して自由な視点を持てたきっかけは、そこにあったのかもしれないですね。

――カーティス・パターソン先生は水戸芸術館にもいらしたことがあったんです。「箏衛門」(沢井箏曲院門下の箏奏者による合奏団)のメンバーとして、2002年にコンサートとワークショップでいらしてくださいました。

そうなんですね! なんだか親近感がわきますね。僕はまだ水戸に行ったことはないんですけど、じつは最近、父方の祖父母が水戸に引っ越したんです。そんなこともありまして、水戸に行くのがさらに楽しみになりました!

――今回の曲目について教えていただけますか?

1曲目は、僕が所属している沢井箏曲院をつくった沢井忠夫先生(1937~1997)の〈鳥のように〉。1985年の曲ですけど、僕の印象では、箏のスタンダードというか、もう古典の域だと思っています。それでその次に正真正銘の古典、江戸時代に作られた〈千鳥の曲〉をつなげました。まずはこういう曲で、「お箏ならでは」「お箏らしい」という音を聴いていただければと思っています。

3曲目のドビュッシーの〈ヴェール(帆)〉からは、同じ箏でも、ここ数年での革新や僕が模索している新しい箏の音楽みたいなところにつながれれば、という意図でプログラムを考えました。クラシックを箏で弾くという試み自体は新しくはないんですが、僕は普段からクラシックの奏者とコラボレーションすることが多くて、自分でも10代の頃からクラシックが好きで勉強もしてきたので、ドビュッシーの世界観を尊重しつつ、ドビュッシーと箏がなぜ合うのか、ドビュッシーの世界のなかで箏の良さをどうしたら引き出せるのか、みたいなことを考えて演奏しています。箏でこんな表現もできるんだ、というところを、ドビュッシーで感じていただけたらなと思っています。

――この曲は、ロー磨秀さんのピアノとの共演ですね。

磨秀さんはフランスに留学していたので、ドビュッシーに関してもとても理解が深いですし、その次の吉松隆さんの作品のように、複雑なハーモニーが出てくる作品でもきちんとした和声感を表現できる、素敵な感覚をお持ちの方ですね。磨秀さんのピアノにうまく箏を重ねて、ハーモニーの美しさや箏の倍音の美しさをお聴かせしたいと思います。

磨秀さんとはよく一緒に演奏しているんですけど、ピアノと箏って、それほどメジャーな編成ではないんですよね。レパートリーも少ないですし。そのなかで最後の伊福部昭の《日本組曲》は、ピアノと箏の迫力が前面に出るし、お互いの良さが引き立つので、気に入っているレパートリーです。ドビュッシーまではスタンダードな十三絃の箏を使いますが、この《日本組曲》は二十五絃の箏で演奏します。

――二十五絃もお持ちくださるんですね!

楽器の違いも楽しんでいただけたらと思っています! 箏は何種類もあって、別の楽器を弾いているくらい、それぞれで弾き方が違うんです。同じ弾き方をしても良い音にならなかったりする。だから大変で、どうしてこんなにいろいろ弾かなきゃいけないの?なんて思ったりもしますね(笑)。

十三絃の箏は基本的に五音音階をもとに調絃するので、倍音や楽器の共鳴が際立ちますけど、二十五絃はもっとリッチな響きや余韻が楽しめる楽器ですね。じつは10代のころは、二十五絃の音が十三絃とは違うので、二十五絃に抵抗感があったんですけれど、弾いていくうちにどんどんこの楽器の魅力が分かるようになりました。二十五絃は、野坂操壽先生(1938~2019)が考案されて、まだ誕生から30年ちょっとの若い楽器ではあるんですけど、これからの箏の発展には絶対欠かせない存在になると思います。

――箏は種類によってそれぞれ別の楽器というくらい違うというお話がありましたが、いろいろな箏をお弾きになって感じていらっしゃる「箏らしさ」「日本らしさ」とは、どんなところにあるとお考えでしょうか。

う~ん、それはずっと考えていることですけれども、まだ全然答えは出ていないです。永遠の疑問なのかもしれないですね。

思い出すのは、僕の師匠の沢井一恵先生がコンサートで「北京原人は木に張られた絃を爪弾いたとき、何を考えたのだろう」というような文章を朗読されたことがあったんです。小学生のころの僕は、急に北京原人とか言われても…(笑)、全然理解できなかったんですけど、でもそんなふうに、箏の祖先にまでさかのぼって、「箏って何?」と考えたら、そういうところにつながってくる。たとえば何かを叩くところから打楽器が生まれたのと同じように、絃を爪弾くというすごく原始的な動作に、どんな思いが込められていたんだろうと想像してみることが、箏の本質を見つけるためには必要なことなんでしょうね。

それから全然新しい話になりますけれど、二十絃や二十五絃の箏を作った野坂操壽先生が、最初に絃の数を増やした箏を作ろうとしたとき、十三絃という何百年も変わってこなかった楽器の形を大幅にいじるのは邪道ではないか、絃を増やしたら、それは箏ではなくてハープになってしまうのではないか、という恐れがあったそうなんですね。でも活動を続けていくなかで、「爪弾く」、つまり爪を付けて絃をはじくものはすべて「箏」なんだと、ご自分のなかで結論がついたそうなんです。たぶんそれは、沢井一恵先生が語っていらっしゃった、歴史をさかのぼって想像する話ともつながっていると思うんですよ。

――大昔の人が木に絃を張って爪弾いて楽しんだのが箏の始まりで、爪弾いて音が鳴ったときの楽しさや美しさを、箏の先人たちはさらに追求してきたのでしょうし、日本でのその成果が日本の箏の伝統になっているのでしょうね。

そうですよね。どんどん新しいことに挑戦していけるのも、そういう尊敬する方々の言葉があるからだと思っています。箏は爪弾く楽器。爪弾いている楽器は箏なんだと考えて、この楽器で何ができるだろう、今まで全くされてこなかったことをしてみよう、というのが、自分が今、新しい音楽をやる原動力なのかなっていうふうに思います。一番昔を見てしまえば、逆にすごく新しいことをやるのも怖くなくなる。そんなふうに自分に言い聞かせてやっていますね。

3月14日のコンサートでは、伝統的な十三絃と新しい二十五絃との響きの違いや、箏のさまざまな表現を楽しんでいただけたらと思っています。


2022年11月25日 zoomにて
協力:日本コロムビア
水戸芸術館音楽紙『vivo』2022年2-3月号より)