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【重要なお知らせ】

2023-10-19 更新

「第33回吉田秀和賞」受賞者決定のおしらせ

 平成2年に創設いたしました吉田秀和賞は、優れた芸術評論を発表した人に対して賞を贈呈し、芸術文化を振興することを目的として当財団が運営しております。
第33回目となりました今回は、審査委員に片山杜秀氏と堀江敏幸氏を迎え、厳正に審査を行ないました結果、候補書籍の総数149点(音楽36点/演劇20点/美術49点/映像30点/建築9点/その他5点)の中から、藤原貞朗氏の『共和国の美術―フランス美術史編纂と保守/学芸員の時代―』(名古屋大学出版会 令和52月刊)に決定いたしました。
賞の贈呈式は、本年1111日(土)14時から水戸芸術館会議場にて開催する予定です。


   

[著者略歴]
藤原貞朗(ふじはら・さだお)
1967年、大阪府生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士課程退学。大阪大学大学院文学研究科助手を経て、現在、茨城大学人文社会科学部教授。
著書に『オリエンタリストの憂鬱』(めこん,2008年,渋沢・クローデル賞本賞,サントリー学芸賞受賞)、『山下清と昭和の美術』(服部正との共著,名古屋大学出版会,2014年)、ダリオ・ガンボーニ『潜在的イメージ』(訳,三元社,2007年)、タルディ『塹壕の戦争1914-1918』(訳,共和国,2016年)、タルディ/ヴェルネ『汚れた戦争1914-1918』(訳,共和国,2016年)等。

 

第33回吉田秀和賞 受賞作品

 

藤原 貞朗 『共和国の美術―フランス美術史編纂と保守/学芸員の時代―』
(名古屋大学出版会 令和5年2月刊

 

【審査委員選評】 
 
片山杜秀
 
   美術は画家や彫刻家が、音楽は作曲家や演奏家が、演劇は劇作家や演出家や俳優が作る。舞踊も映画も同様。当たり前でしょう。では、それぞれの歴史は誰が作るのか。確かにミケランジェロやシェイクスピアやベートーヴェンや小津安二郎は放っておいても偉大で、みんなが勝手に観たり聴いたりするかもしれません。でも彼らがどんなに偉大でも彼ら本人は歴史を作れないのです。なぜなら歴史は物語ですから。英語でヒストリーからヒを抜くとストーリーになるのは偶々ではありません。フランス語で歴史も物語もイストワールなのはもともと両者に区別がないからでしょう。当事者ではなくて第三者が、さも全体を見渡しているかのように物語ってみせてこそ、歴史は誕生するのです。
  そう、神の眼とまでは行かずとも、全体を見渡している感じがとても大切。したがって単体の偉人伝だけでは充分な歴史になりません。歴史には必ず前と後が要る。ハイドンやモーツァルトは古典派だったが、ベートーヴェンが現れて古典派を乗り越え、ロマン派を切り開き、シューベルトやウェーバーが連なる。クラシック音楽史の定石です。とはいえ、よく考えてみれば、シューベルトもウェーバーもかなりベートーヴェンと時代が被っているのだし、そんなに単純に割り切れるのかとも思いたくもなるでしょう。さらに言えば、ドイツ・オーストリアの話しかしていないではないか、フランスやイタリアを入れたら整合性が取れないぞと、ますます首を傾けたくもなるでしょう。しかし、ベートーヴェンという大物を転換点にして歴史を物語りたいならば、やはりそういうストーリーが大勢を納得させやすいし、座りもよいのです。そうやって物語が作られるというか、極端に言えばしばしば強引に騙られて、公定の音楽史も美術史も、いやいや、今日、広く通用している哲学史も政治史も社会史も経済史も、あらゆる歴史の物語がかたち作られ、人々を納得させてきたのです。
   すると具体的にはどうやって納得させるのか。ひとつの大きなやり方は通史や歴史教科書の執筆・編纂でしょう。音楽史なら体系的楽譜出版、歴史を俯瞰した具合の演奏会や録音物の曲目編成、それらをサポートする名曲入門的書物の積み重ねが重要です。文学史ならかつては文学全集の編集だったでしょう。そこに入っている作品の組み合わせが歴史の本流だ。よく考えてみると本当か嘘か分かりませんが、とにかく我々はそのように誘導され育ってしまっているのです。
  では美術史は?   音楽史や文学史や映画史と同じく、作品の選び方と並べ方に尽きるでしょう。美術館の常設展示の仕方、展覧会のコンセプト、そこに見合った美術史の書物の累積が美術史の物語を作り出すのです。さらに根基となる装置にまで遡って言えば、パリやロンドンやニューヨークや東京に、あるいはモスクワや北京に、どんな歴史物語をキイ・コンセプトにした美術館がどのくらいの規模で幾つ建っているかがとてつもなく重要なのです。
   にもかかわらず、その辺りの研究や評論はどうも薄い。おそらく研究者や評論家は美術でも音楽でも、すでに目立っているか、それともまだ隠れて評価されていないか、そういう偉人や流派の価値を新しい仕方で語り、歴史物語作りに参画することの方に相変わらず熱心なのです。今日ではあまりに当たり前と思われていることを誰がいつ騙り通して当然としてしまったのかについて、根掘り葉掘りして常識を転倒させてくれる研究は、まだまだ稀ではないでしょうか。
   ここまでで受賞作の意義の大方には実はもう触れさせて頂いたつもりです。まだまだ稀なことを周到に徹底的に成し遂げているのが本書に他なりません。今日、みなが当たり前と思っている、コローが、ミレーが、印象派が、というフランス美術史を誰がいつどこで作って、騙りまくって、いつの間にか当然になり常識になり教養になったかということです。その事の経過は意表を突かれてのけぞるほどに新しい!   なんと1930年代だという。1929年に世界大恐慌が始まり、危機の時代が延々と続く。ドイツではヒトラーが、ソ連ではスターリンが、アメリカでもローズヴェルト率いる民主党勢力が、危機に対応し、国民の結束を図るのに都合のよい歴史物語や道徳的価値を構築してゆく。それはフランス共和国でも全く同じ。ただフランスの1930年代にナチスやソ連の共産党やアメリカの民主党ほどに強力に歴史物語を構築し浸透させる政治勢力は存在しなかった。そこでフランスでは美術館の学芸員たちが国民に文化的自信を与え、危機を克服するための、美しいフランス美術史を語るというか、騙りだしてしまった。何かしら都合の悪いもの、文脈に乗らぬもの、外国との関連を強調し影響されたことを大きく論じなくては物語れないもの、フランスらしさを語りにくいもの。そうしたものを排除して歴史を組み直し、美術史を書き直し、展覧会を開き、対外的にもフランス的なものはかくかくしかじかと宣伝した。その騙りの主体がヒトラーやスターリンでなく共和国の草の根的な学芸員たちであったがゆえに、語りは騙り性をあまり見抜かれぬまま、定着し、今も我々はその物語を当たり前のように語っている。そうだったのか!  目から鱗が落ちました。

 
堀江敏幸
 
 経済危機と政治の右傾化によって次の大戦に向けて不穏な空気が漂っていた一九三〇年代のヨーロッパにおいて、フランスの美術界が揺らぐどころか奇妙なまでの活気と安定感を呈していたのはなぜか。本書はその答えを美術家たちの活躍や批評による導きではなく、美術館を支える学芸員たちがつくりあげようとしていた「フランス共和国の美術史」という領野に探る試みである。
 公の美術界で認められてこなかったマネや印象派の絵画に正当性をあたえる転倒の図式を立体化する行文は淡々としている。しかしそれゆえに、派閥による方向性の相違や個々の力量の差を越えて、学芸員の仕事の積み重ねが申し合わせたようにひとつの「全体」として機能していくまがまがしさを浮かびあがらせる。
 読者の目に映し出されるのは、一国を代弁する理路ではなく、それを危うくしかねない一種の狼煙でもあるだろう。そこに書物としての魅力を感じた。

 【受賞者からのコメント】
 
水戸市にある大学に勤務して20年、ずっと欲しかった賞をようやくいただくことができ、念願が叶いました。嬉しいです。とはいえ、この本は苦労しました。留学時代から30年近く取り組みながら形にできず諦めかけていたところ、編集者や研究仲間の励ましでどうにか完成し、出版時には多額の援助金を得て世に出すことができました。私利私欲のない無欲の本です。だからこそご褒美もいただけたのだと思います。みなさま有難うございました。
また、本賞の受賞は地元からは初めてとのことで、誇りに感じます。本書の内容は勤務先の大学での講義で1年をかけて受講学生とともに考え、練り上げてきたものでもあります。グローカルな時代ですから、あらためて大学のみなさんや芸術館とともに、地方都市からの全国レベルの、さらには世界レベルの文化発信を目標にして、微力ではありますが、今後の仕事に取り組んでいきたいと思います。
 


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