- 音楽
- 公演
2025-12-10 更新
「クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル」のプログラムについて
今回のクリスチャン・ツィメルマン氏の日本公演のうち、11月8日の柏崎公演から12月8日の東京公演までのプログラムは、同氏が選び抜いた数々の「プレリュード(前奏曲)」と、同様の性格をもつ作品を独自の視点で組み合わせた「プレリュード & Co (その仲間たち) – アーティスト・セレクション」を後半に置き、前半に「シューベルト:4つの即興曲 Op. 90, D899」等を取り上げるものでした。
そして、この度の水戸公演では、この「プレリュード&Co」のコンセプトをさらに推し進め、「Der Wohltemperielte Flügel - Preludes & Co」というタイトルの下で、リサイタル全体のプログラムが構成されることになりました。なお、ツィメルマン氏の意向により、曲目の詳細は公演当日の発表とさせていただきます。ツィメルマン氏による「Der Wohltemperielte Flügel - Preludes & Co」のコンセプトを説明する文章をお届けします。

Der Wohltemperielte Flügel - Preludes & Co
ショパン、ドビュッシー、ラフマニノフ、スクリャービンなど、何人かの作曲家はプレリュード(前奏曲)の連作を書きました。私はそうした作品のいくつかを演奏してきましたが、不思議な感覚を覚えます。というのも、そのような連作には、優れた作品が含まれている一方で、間を埋めるためだけに書かれたような曲もあるからです。
「全曲演奏」へのこだわりは、実はレコード産業の登場から始まったものです。それ以前のピアニストたちは、まったく違うプログラムの組み方をしていました。たとえば19世紀のクララ・シューマンの演奏会プログラムを見ても、彼女が“全曲演奏”を行ったことはありません。
この「全曲演奏」というあり方に強く反発していた一人はスヴャトスラフ・リヒテルです。1980年代にパリで彼と夕食をともにした際、ショパンの《バラード》を4曲のうち3曲だけプログラムに入れていた理由を尋ねると、彼は不機嫌になりこう言いました。「なぜ市場は全曲演奏に取り憑かれているのだ?バラードはサイクル(連作)ではない。スケルツォもそうだ。これはショパンの生涯を通して書かれた4つの別々の作品で、連作として意図されたものではない。なぜ全曲でなければならないのだ?」
1981年にヴィルヘルム・ケンプとこの話題を議論したとき、彼も同じ意見を持っていました。「レコード産業というものが私たちのプログラム構成や解釈の習慣を変えてしまったのだ」と彼は言いました。「たとえばラヴェルの《夜のガスパール》やベートーヴェンのいくつかのソナタも、78回転レコードに収まるようにテンポを変えざるを得なかったこともある」と。
このシーズンは、私にとって重要な節目となります。70歳という新たな年代に向うことで、謙虚な気持ちになり、同時に実験的な挑戦に対して、前より少し勇気を持てるようになったかもしれません。また、より多くの好奇心を持つようになりました。
リサイタルのプログラム作りは、常に綿密に練り上げ、その語り口と共に成長させていくものです。これまで53におよぶシーズンの中でプログラムをどのように構築し、流れを生み出すかということを、非常に大切にしていました。そして、今年のプログラムは、私にとって新たな方向性を示すものです。これは、挑戦する勇気を得るまでに20年を要した試みであり、スヴャトスラフ・リヒテル、アルトゥール・ルービンシュタイン、ヴィルヘルム・ケンプ、クラウディオ・アラウ、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、エミール・ギレリスらとの対話や議論から大きく刺激を受けたものでもあります。
これまでに1000曲以上を研究し、そのうち500曲以上を公の場で演奏してきました。その中には、個々の作品としては優れていながらも、リサイタル・プログラムの中に組み込みにくい作品も100曲以上ありました。
私はこれらの作品群を 「プレリュード & Co(その仲間たち)」 と呼びたいと思います。
現在私は、バッハの《平均律クラヴィーア曲集(Das Wohltemperielte Klavier)》に着想を得た新しい試みを考えています。それは、バッハから今に至る約300年の音楽史の中で、作品を真珠のネックレスのようにつなぎ合わせるのです。必ずしもすべての調を網羅する必要も、順番に並べる必要もありません。今回のコンサートでは、63曲を用意しています。
この「プレリュード & Co」という企画を構想するうえで、もう一つ大きな影響を受けたのは、この夏に東京で訪れたある展覧会でした。その展覧会には、案内図も事前情報もなく、自分の足で歩き回りながら探索しなければなりませんでした。中には、2度目の訪問で初めて見つけられる部屋もあり、私はそれに大いに驚きました。この体験は、私が目指していたものに非常に近いものでした。
それをコンサートホールという場でどう実現できるかを考えたとき、「どうすれば聴衆の好奇心をもっと引き出せるだろうか」と思いました。私は聴衆の皆さんに、私と一緒に未知のプログラムの旅へ出るような感覚を味わってほしいのです。その旅の行き先は、私自身にも完全には分からないかもしれません。
私は日本の人々が持つ非常に高い美的感受性に深い敬意を抱いております。そして、演奏や解釈は聴衆なくして存在しえないものです。聴衆の皆さんとこの新たな一歩を最初に共有し、共に創り上げていけることを、心から願っています。
Krystian Zimerman
クリスチャン・ツィメルマン