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2019-04-02 更新

ちょっとお昼にクラシック 西山まりえさん(チェンバロ&バロック・ハープ)インタビュー トッカータ ~バロック音楽の100年に“触れる”~

西山まりえ 6月16日(日)の「ちょっとお昼にクラシック」には、チェンバロとヒストリカル・ハープという2種類の古楽器を操るユニークな音楽家、西山まりえさんが登場。音楽作品の背景にある歴史に目を配らせ、工夫をこらしたコンサート・プログラミングで定評のある西山さんから、今回の公演用に提案されたプログラムは、「トッカータ特集」。
 16世紀イタリアで活躍した作曲家、C. メールロ(1533~1604)に始まり、G. フレスコバルディ(1583~1643)、J. J. フローベルガー(1616~1667)、D. ブクステフーデ(ca. 1637~1707)を経て、J. S. バッハ(1685~1750)に至るトッカータの歴史をチェンバロとバロック・ハープで年代順にたどるというコンセプトです。

 プログラム案をいただいた2月半ば、西山さんにお話をうかがいました。場所は高円寺の西山さんのスタジオ「Mサロン」。今回の公演にも使われる二段鍵盤チェンバロやバロック・ハープなど数々の美しい楽器に囲まれた空間でインタビューをさせていただきました。

――なぜトッカータなのでしょう?

西山:実はこれ、ずっと温めていたアイデアだったんです。チェンバロの音楽で一番有名な作曲家といえば、間違いなくバッハですよね。そのバッハのなかで、誰でも聞き覚えがある曲といえば、やっぱりあの〈トッカータとフーガ ニ短調〉でしょう? 「フーガ」については学校の音楽の授業でも習いますけれど、では「トッカータ」って何のことか知られているのかなって思ったんですね。17世紀はトッカータが爆発的に作られた時代なんです。だから、バロック時代が始まる頃、1598年にイタリアで出版されたメールロのトッカータから始めて、バッハまでのトッカータの流れをチェンバロとバロック・ハープでたどるコンサートができたら面白いなあと思ったんです。

――トッカータは、フーガの前などに演奏される技巧的な曲ですよね。事典で調べると、
「触れる」という意味のイタリア語の “toccare”(トッカーレ)
が語源で、楽器に触れる手の器用さを見せる音楽とあります。

西山:“toccare” を英語で言えば “touch”(タッチ)ですよね。もちろん楽器に「触れる」という意味もありますが、でもトッカータはそれだけの意味ではなかったかもしれない。たとえば外国の人と話をするとき、“touch” という言葉はよく使いませんか? 「物に触れる」というときだけでなくて、「心にピッときた」というときに “touch my mind” とか、「連絡を取り合いましょう」というときに “keep in touch” とか。心が通じ合うというとき、“touch”はいつも使う言葉なんです。そこで私なりの持論ですけど、楽器と自分が触れ合う、それを通じて音楽と自分の心がつながるような感覚が、トッカータにはあると思うんです。さらに言うと、トッカータは17世紀には教会のミサや典礼の最初に弾かれましたから、もしかしたら、神様とか天界とか、自分を超える偉大なものとつながるような意味合いもあったのではないでしょうか。
 ミサで最初に弾かれるトッカータは、ほとんど即興演奏で、それを後から楽譜に書き起こして出版されたんです。私自身、即興演奏をするときというのは、自分のなかにインスピレーションが降りてくるかどうか……ものすごい恐怖なんです。それでも弾き始めると、不思議とどこからか音楽が生まれてきて、その尊い時間の流れのなかに足をぐっと踏み込んでいける。トッカータを演奏するときも、自分の心と音楽が触れ合って、最後にはつながり合うように感じられると、その曲もその後の曲も、その流れの上に乗れる気がするんです。だから私にとってトッカータは、これから演奏するというときの大事な「始まりの儀式」、「音楽の礼拝の時間」なんです。そんなわけで、「トッカータ」という曲名の「触れる」という意味合いは大切だと思っていました。

――トッカータには、演奏技巧を見せるだけにとどまらない、もっと深い意味が込められていたんですね。

西山:トッカータには、たしかに技巧的な激しく動くパッセージもあります。それは、17世紀のとくにイタリアの音楽の場合、カトリックの礼拝と密接な関係にあるんです。当時の教会は優秀な音楽家を雇って彼らに演奏をさせることで、教会に人を集めようとしました。今回演奏するフレスコバルディは、ローマのサン・ピエトロ大聖堂でオルガンを弾いて3万人の群衆を集めたといいますから、誇張もあると思いますが、すごいですよね。「あそこの教会に行くと、すごい音楽が聴けるらしい」と沢山の人に知ってもらうには、音楽が派手になっていくのも仕方ないことですよね。
 でも私には、17世紀初めのメールロなどのトッカータは、もっと内省的な音楽に感じられるんです。この感じをお伝えしたく、コンサート前半のトッカータには、神秘的な雰囲気が漂う曲を選びました(笑)。人々が教会に集まるのは、音楽を聴くためではなくて、死後に天国に行けるように罪の赦しを得るためでしたから、音楽を聴くという行為も、音楽を通して自分が天界とつながりたいという気持ちからではないでしょうか。
 そんな初期のトッカータからバッハのトッカータまでをたどっていくと、だんだんと技巧的になって、使われるモティーフも耳に残りやすくなるし、曲の規模も大きくなります。ブクステフーデのトッカータはバッハに本当にそっくりで、バッハはブクステフーデに相当影響されたと思いますね。でもバッハのトッカータは、ブクステフーデよりもっと規模が大きくなっています。

――バッハの〈トッカータ ハ短調〉BWV911は10分を超える大曲ですね。ブクステフーデまでのトッカータが長くて5分程度だったのに比べると、圧倒的な長さです。どうしてバッハはこんな曲を作ったのでしょう?

西山:バッハにしてみれば「どうだ!」って言わんばかりだったかもしれませんね。神を讃えて、同時に神に仕える自分のすごさも見せるかのような、そういう音楽になっています。このトッカータは、バッハの死後、19世紀初頭に1曲ずつバラバラに出版、販売された現存する7曲のうちの1曲ですが、書かれたのは20歳前後の時期で、若さがみなぎる、弾く人に対して容赦のない力作ですね。このトッカータ集のCDを作ろうと、昨年末に録音したんですが、どの曲も長いうえに、3声、4声が一遍に右手にからまってきたり、しかもそれがものすごく速かったりして、「私の右手、どうなっちゃうんだろう」と思ったくらい。そのなかで今回演奏するハ短調の曲は、同じテーマが何回も何回も繰り返し出てきて、弾く者としては体力的にも精神的にも大変です。でも素晴らしいんです!

――教会や神、あるいは王侯貴族に仕える音楽家から、一人の人間としての音楽家へ、音楽家の姿も変わっていくわけですね。トッカータの流れをたどると、そんな歴史も見えてきそうです。

西山:音楽を聴くとき、作品の歴史的な背景が分かると、音楽自体も面白くなるということがあると思うんです。バッハが先人たちのアイデアや様式に自分なりに手を加えて、あれだけの大曲が生まれたわけですが、そこまでのトッカータの流れを伝えられたら、バッハのすごさ、素晴らしさも、もっと深く理解していただけると思います。


文・聞き手:篠田大基
協力:ムジカキアラ
(水戸芸術館音楽紙『vivo』2019年5-7月号より)