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【重要なお知らせ】

2020-11-10 更新

「第30回吉田秀和賞」受賞者決定のおしらせ

平成2年に創設いたしました吉田秀和賞は、優れた芸術評論を発表した人に対して賞を贈呈し、芸術文化を振興することを目的として当財団が運営しております。

第30回目となりました今回は、昨年に引き続き審査委員に磯崎新氏と片山杜秀氏を迎え、厳正に審査を行ないました結果、候補書籍の総数135点(音楽31点/演劇17点/美術50点/ /映像23点/建築9点/その他5点)の中から、荒川徹氏の『ドナルド・ジャッド―風景とミニマリズム』(水声社 2019年7月刊)および柿沼敏江氏の『<無調>の誕生 ドミナントなき時代の音楽のゆくえ』(音楽之友社 2020年1月刊)のお二人に決定致しました。

例年、賞の贈呈式を行ってまいりましたが、今年度は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、贈呈式は開催せず、正賞の表彰状および副賞(各100万円)の贈呈を今月中に行う予定です。

[著者略歴]
荒川徹(あらかわ・とおる) 
1984年、福島県に生まれ、栃木県に育つ。多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、日本学術振興会特別研究員。専門は、近現代美術、映像、表象文化論。共著に、『映像と文化―知覚の問いに向かって』(藝術学舎、2016年)、『カメラのみぞ知る』(ユミコチバアソシエイツほか、2015年)。

 
柿沼敏江(かきぬま・としえ)
静岡県出身。国立音楽大学楽理科卒業後、御茶の水女子大学大学院修士課程修了。カリフォルニア大学サンディエゴ校博士課程を修了し、PhDを取得。2001年より2019年まで京都市立芸術大学で教鞭をとる。
著書に『アメリカ実験音楽は民族音楽だった』(フィルムアート社、2005年)。主要訳書にジョン・ケージ『サイレンス』(水声社、1996年)、アレックス・ロス『20世紀を語る音楽』(みすず書房、2010年、ミュージック・ペン・クラブ音楽賞)、スチュアート・ホール編『カルチュラル・アイデンティティの諸問題』(大村書店、2001年、共訳)などがある。
 


第30回吉田秀和賞 受賞作品


 

荒川 徹『ドナルド・ジャッド風景とミニマリズム』
水声社 20197月刊)
 
 
【審査委員選評】 
 
 
磯崎 新
 
 荒川徹の『ドナルド・ジャッド―風景とミニマリズム』には、芸術論、評論として、論説に確実なシステムがあります。ミニマリズムに関する著作が多数あるなか、本書はミニマリズムに徹し、論点が展開していく上での標的(アーティスト、年代、場所)が具体的に絞られている点が非常に良いと思いました。かつミニマリズムを都市、建築、工業製品、人工的なランドスケープなど「美術外」の思考と接続させて論じており、展開のヴァリエーションが豊かで、文脈が開かれています。
 若手の論客として、近年の新しいメディアを含む現代的な視点によって書かれており、何より読ませるということが印象に残っています。
 
 
【受賞者からのコメント】
 
荒川徹
 
 ある日の留守電、その番号からスマートフォンが自動で推測するロケーションは、「水戸」を示していました。ノミネートしていることを知らなかった私には、それが受賞連絡であることは知りようもありませんでした。
この歴史ある貴重な賞をいただけることは、かつて現代音楽への関心から芸術研究を志すようになった私にとって、信じられないほどであり、たいへん嬉しく思っております。
作品の構成要素を極端に減らすミニマリズムは、美術の究極の抽象化というより、そもそも既存の人工化された風景や建築(本書では「先行抽象」と呼んでいます)に大きく影響されたのではないか?ということを、長らく考えていました。そして私の本は、ドナルド・ジャッドが空間や風景、そして生活を統合する自らの芸術を構築していったプロセスを、ミニマリズムの作品形態の急速な変貌とともに描き出しています。
 ジャッドの作品は、新しい作品形態を次々と提示し、家具制作にまで至りました。私は作品に潜む数学的秩序や、中空の構造を分析しましたが、それは美術作品でありながら、建築と音楽に直結するような、ある種の「共鳴体」であると考えています。
私はこれからも、どうやって作品ができていくのかという、芸術作品の制作原理をより深く追求していきたいと思っております。まことにありがとうございました。
 
 


第30回吉田秀和賞 受賞作品


 

柿沼敏江『<無調>の誕生 ドミナントなき時代の音楽のゆくえ』
(音楽之友社 20201月刊)
 

【審査委員選評】 
 
片山杜秀
 
 調性音楽から無調音楽へ。その扉を開いたのはシェーンベルク。さらにウェーベルン。その続きとして第二次世界大戦後の西欧前衛音楽があり、そういう流れが西洋音楽史の進歩史観的記述において幹を成す。長年の常識と言ってよい。音楽史の教科書にもたいていそう書いてあるだろう。だが、この種の歴史記述はいつまでも通用するものだろうか。そもそもシェーンベルクは自らの音楽が無調音楽と呼ばれることに否定的だった。無調音楽をシステム化したと一般に認識される、シェーンベルクの〝発明〟した12音音楽についても、〝発明者〟本人は調性的に聴かれる可能性を認めていた。また、ヒンデミットは、音程が2つあれば、そこには必ず調的関係が予感されるので、無調音楽とは実際にはありえないのではないかと主張した。もうひとつ加えれば、日本に12音音楽を導入したと音楽史では一般に語られる戸田邦雄も、世間は無調音楽を当然存在するかのように思っているけれど、厳密に言えばそれはとても短いスパンでの転調音楽ではないかと述べた。こうした言説を音楽史の主流は無視してきたわけだ。だが、柿沼さんは違う。従来の音楽史を覆しに掛かる。無調を自明に存在し、西洋音楽が進歩の果てに到達したところにある確固たる領域とは見ない。認識の問題として相対的にしか語り得ないものとして位置付け直す。書名の表記にあるように、文字通り無調という言葉を括弧に入れる。そうすると、あらまあなんてことかしら、「正史」と思われてきたものが見事に崩れ去って行く。われわれはこんな曖昧模糊とした基盤の上にもっともらしい音楽の進歩史を語ってきたのか。心ある者は懺悔せずにはいられなくなるだろう。柿沼さんは常に権威を揺り動かす方向で音楽を語ってきた方だが、その核心部分が堂々と姿をあらわした。そういう書物である。新しい20世紀音楽史がこの本を出発点として書かれねばなるまい。
 
 
【受賞者からのコメント】
 
柿沼敏江
 
 このたび拙著『無調の誕生』が吉田秀和賞を賜りまして、大変嬉しく思います。このような栄誉ある賞をいただけることは身に余る光栄です。
 この本のタイトルにある「無調」とは調性がないことを意味する音楽用語です。これまで現代音楽の代名詞であるかのように使われてきましたが、この言葉を誰がいつ、どのような音楽に対して使い始めたのか、実は分かっていません。また、「無調」とはどういうことなのか、その意味も明確ではありません。そのことに気づいたのは、アメリカに留学していた時でした。シェーンベルクやウェーベルンなど、通常は「無調」とされている音楽の調性を分析する授業を受けて、こうした音楽にも調性があることを知って衝撃を受けました。それ以来、「無調」とは何なのか、調性は本当に崩壊したのかと疑問を抱き続けてきたのですが、数十年を経て、この度この問題を改めて考え直し、本としてまとめることができて、胸の支えがおりたように感じています。本書が調性と無調の問題について、皆さんに考えていただくきっかけになればと願っております。貴重な執筆の機会を与えてくださった音楽之友社、丁寧で緻密なお仕事をしてくださった編集の藤川高志さん、また選考にあたられた吉田秀和賞審査委員の先生方、水戸市芸術振興財団の皆さんに感謝を申し上げたいと思います。
 

公益財団法人水戸市芸術振興財団

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吉田秀和賞について