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2021-05-19 更新

【ちょっとお昼にクラシック 砂川涼子 麗しの歌声】曲目解説


5月21日(金)「ちょっとお昼にクラシック 砂川涼子 ~麗しの歌声~」の曲目解説を掲載いたします。ご鑑賞の手引きになりましたら幸いです。
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普久原恒勇:芭蕉布
 まずは砂川さんの故郷、沖縄の音楽を2曲お聴きいただきます。〈芭蕉布〉は、戦後の沖縄音楽史で最も重要な作曲家の一人、普久原恒勇(1932~)の代表作。"芭蕉布"はバナナ(実芭蕉)の仲間である糸芭蕉の繊維で織った沖縄伝統の布で、琉球王国時代には清王朝や幕府への最上の貢ぎ物でもありました。うちなー(琉球語で“沖縄”のこと)の文化を象徴する芭蕉布の名を冠したこの作品は、島の豊かな自然やいにしえの歴史が歌われています。
 〈芭蕉布〉が作曲された1965年、アメリカ統治下の沖縄では祖国復帰運動が高まりを見せ、アイデンティティを見つめなおす潮流がありました。そんな人々の心を捉えたこの曲について、普久原は後年「したしま沖縄うちなーに込められた思い出や、琉球の遠い先祖の魂を今によみがえらせた曲。琉球育ちの人々の心底を常に流れ続けていて、たんなる沖縄賛歌ではない」と語っています。

糸芭蕉*
てぃんさぐぬ花(沖縄民謡)
 “てぃんさぐぬ花”とはホウセンカのことで、花の汁をマニキュアのように塗って爪を染めたことから(つま)(べに)とも呼ばれています。この歌は「てぃんさぐの花は爪先に染めて、親の言うことは心に染めよう」と親の言葉の尊さを琉球語で歌った民謡で、昔から年長者の教えを大事にする沖縄の風土をよく表しています。心に染みるような素朴なメロディーは、今も子どもから大人まで広く親しまれています。

沖縄で”てぃんさぐぬ花”と呼ばれているホウセンカ*
中田喜直:霧と話した
 中田喜直(1923~2000)は〈めだかの学校〉〈ちいさい秋みつけた〉などの童謡、〈夏の思い出〉〈雪の降るまちを〉といった放送歌謡や合唱曲、歌曲等を3000曲近く残し、「日本のシューベルト」とも称される作曲家です。彼の作品から、珠玉の歌曲を2曲続けてお聴きいただきましょう。〈霧と話した〉はソプラノ歌手・関種子のリサイタルのため、1960年に作曲されました。作詩はノンフィクション作家の鎌田忠良(1939~)。言葉と旋律がぴったりと寄り添い、破れた恋の記憶をしっとりと抒情的に歌った日本歌曲の傑作です。


1955~60年頃の中田喜直(音楽出版ハピーエコー提供)
中田喜直:サルビア
 〈霧と話した〉と同じく1960年に作曲された〈サルビア〉の詩は、堀内幸枝(1920~)の作。中田は、新たな歌曲の創造を目指す作曲家と詩人で構成された「蜂の会」で堀内と出会い、この曲以外にも堀内の詩による作品を残しています。〈サルビア〉は2分足らずの短い作品ですが、赤い花を血の色と重ね合わせた刺激的な詩と、語りかけるような3連符や5連符、そして鮮やかなピアノパートが見事に調和し、狂おしいほどの情念がヴィヴィッドに描き出されています。

サルビア*
髙田三郎 : くちなし
 髙田三郎(1913~2000)は前述の「蜂の会」結成メンバーの1人で、合唱曲を中心とした作品を数多く作曲しました。1961年に数学者でもあった詩人の高野喜久雄(1927~2006)と出会い、我が国の合唱のレパートリーで欠かせない合唱組曲《水のいのち》をはじめ、今も演奏機会が多い作品を共に世に送り出しました。この2人が残した歌曲集《ひとりの対話》の最後の曲が〈くちなし〉です。亡き父が庭に植えたくちなしの木に花が咲き、そして実をつける――そこから想い出される朴訥とした父の言葉とこころのふるえを歌った、静かな感慨を呼ぶ1曲です。

くちなしの花と実*
ロッシーニ : フィレンツェの花売り娘
 イタリア生まれのジョアキーノ・ロッシーニ(1792~1868)は、〈セヴィリアの理髪師〉や〈チェネレントラ〉などのオペラを40作残した作曲家。文豪スタンダールが「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」と書くほどロッシーニのオペラはヨーロッパ中を席巻しましたが、〈ウィリアム・テル〉を最後にロッシーニは37歳でオペラの作曲を辞め、76歳でこの世を去るまで宗教曲や小品の作曲に勤しみました。晩年、彼はパリ社交界の中心人物の1人となり、ロッシーニのサロンに招待されることが一流の証であるとさえ言われました。〈フィレンツェの花売り娘〉はそのサロンで演奏する小品を集めた作品集《老いの過ち》の中の1曲。「家には貧しい母がパンを待っています」と同情を乞いながらバラを売る娘の売り声が、装飾音符をふんだんに使用して表現されています。

1856年頃、パリの自宅でサロンを開いていたころのロッシーニ
グノー:オペラ〈ファウスト〉より “宝石の歌”
 パリ生まれの作曲家シャルル・グノー(1818~1893)の代表作として知られるオペラ〈ファウスト〉は、悪魔メフィストフェレスと契約を交わして若さを手に入れたファウスト博士の恋模様と、その顛末を描いた作品。“宝石の歌”は、ファウストが恋焦がれる乙女マルグリートが第3幕で歌います。メフィストフェレスはファウストの恋の成就のため、マルグリートの家の前に宝石がぎっしり詰まった小箱を置いて身を隠します。小箱を見つけたマルグリートが宝石を身に着け、鏡を見ながら夢見心地で歌うこの曲は、声を細かく転がすコロラトゥーラの技術が必要とされる華やかなアリアです。

パリ・オペラ座上演時のオペラ〈ファウスト〉公演ポスター
團伊玖磨:オペラ〈夕鶴〉より “あたしの大事な与ひょう”
 木下順二(1914~2006)の戯曲〈夕鶴〉の劇音楽を担当していた作曲家・團伊玖磨(1924~2001)の強い希望により、1952年に〈夕鶴〉のオペラ化が実現しました。このオペラはこれまでに国内外で800回以上上演され、海外での上演回数が最も多い日本オペラと言われています。民話の「鶴の恩返し」を下敷きにしていますが単に民話をオペラ化しただけではなく、純朴な男・与ひょうと、彼の妻となった鶴の化身・つうの心のすれ違いを重点的に描いています。つうが歌う“あたしの大事な与ひょう”は、つうが織る布を売って得られるお金に目がくらみ、与ひょうが変わっていってしまうことを嘆く歌。強いメッセージ性を持つこの曲は、精神的に大事なことを忘れ、お金を最優先に考えてしまうすべての人々に警鐘を鳴らしているようにも感じられます。

1952年、〈夕鶴〉作曲の頃の團伊玖磨
プッチーニ:オペラ〈蝶々夫人〉より “かわいい坊や”
 イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)のオペラ〈蝶々夫人〉は、明治時代の長崎が舞台。アメリカ海軍士官・ピンカートンは軍艦の寄港地・長崎に滞在する間、蝶々さんとかりそめの結婚をして本国に帰りますが、蝶々さんはこれを本当の結婚と信じて幼い息子と共に彼を待ち続けます。その結婚から3年後、ピンカートンが再び長崎にやってきたときにはアメリカ人の妻を連れていました。全てを悟った蝶々さんは、武士だった父の形見の短刀で自ら命を絶つことを決意。「誇りを持って生きられない者は、誇りを持って死ぬ」と刻まれた短刀を手に取ったその時、幼い息子が部屋に入ってきます。そこで母親・蝶々さんが息子に向かって歌う別れの歌がこのアリアです。このオペラで最もドラマティックな場面で歌われ、プッチーニ作品の中でも屈指の高い表現力が要求されます。

1904年、ミラノ・スカラ座での初演時のポスター
 
文:水戸芸術館音楽部門 鴻巣俊博

※キャプションに「*」がついている植物の写真は、かぎけん花図鑑より転載。
 表記のない画像はパブリックドメイン画像。


◆公演情報◆
ちょっとお昼にクラシック 砂川涼子 ~麗しの歌声~

ピアノ:仲田淳也
2021年5月21日(金) 12:45開場  13:30開演(終演予定14:30頃)


【曲目】
普久原恒男:芭蕉布
てぃんさぐぬ花(沖縄民謡)
中田喜直:霧と話した
     サルビア
髙田三郎 : くちなし
ロッシーニ : フィレンツェの花売り娘
グノー :オペラ〈ファウスト〉より “宝石の歌”
團伊玖磨:オペラ〈夕鶴〉より “あたしの大事な与ひょう”
プッチーニ:オペラ〈蝶々夫人〉より “かわいい坊や”

全席指定 1,500円(カップオン サザスペシャルブレンド1枚付き)

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