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2021-06-22 更新
「3.11とアーティスト:10年目の想像」
お客様からのご感想を掲載しました!
「3.11とアーティスト:10年目の想像」2021年2月20日(土)~5月9日(日)
「3.11とアーティスト:10年目の想像」にご来場いただきありがとうございました。
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<お客様からのご感想>
◆コロナ禍や、不透明・不確実な時代に自分と向き合う貴重な時間となりました。「あかい線に分けられたクラス」が最も印象的でした。3.11の被災者や放射能圏内在住者への差別も。コロナ感染者や医療従事者への差別も、自分と他者とを分かりやすい基準で区分して、優越感にひたったり、自分だけは大丈夫という安心感を得たりしたいという人間の弱さをあぶり出していると、身につまされました。明日は我が身と思い、対象者によりそう心をもっていたいです。
(女性 30代)
◆地震の記憶をどのように記録し、後世に残すのか。とても難しく時には避けたくなる問題かもしれない。今回の展示会は自分が分かっていたつもりになっていた3.11の記憶と の向き合い方をメディアを使った作品を通して新たな方向を提示してくれたと思う。TV画像を通し、文字や通常のTV Newsとはまた違った形で改めて震災の大きさと人々の心のあり様をよく理解出来た。
(女性 50代)
◆アーティストだからこその感覚、「3.11」という日本の集合的記憶を「個」の記憶として融解させた作品たちをみて、マスメディアが報じ続けてきた「津波」「原発」「建物を建てる復興」だけが3.11ではないことを強く実感した。ひとつひとつが重く心が苦しくなるものが多かったが、自分の経験した3.11こそがある意味で、そして「人間の生き方」という命題を考えるうえで非常に考えさせられるひとときだった。10年前は何もできない子供だったからこそ、大人になって考える「記憶」はかけがえのないものだと思う。
(女性 20代)
◆絵で終わらない、その先に何かを感じさせるものがあったから。
(男性 20代)
◆10年経った…という改めて強い意識。放射能におびえ、学び、忘れて今がある。2011年、すべての野菜が怖かった。土からとれるから…水が怖かった汚水のイメージ。空気が怖かったどんな成分を吸うのだろうと考えた。雨がこわかった、黒くないけど、これが「井伏鱒二」の黒い雨かなと考えたりした。3.11、揺れの前、布団を取り込んだ時ベランダから見上げた空は怖い程濃紺だった。あい染めの色の様に。そしてそして3.11の停電の中で見上げた夜空は、プラネタリウムであった…
(女性 50代)
◆3.11の事について心にとどめておこうと改めて思った。津波は本当に怖いなと思った。まだ全部直っていないところがある。やれることがあれば手伝いたい。助けてあげたい。自分が助けてもらったように。「差別」はまだなくならないのか。差別をしてもいいことはない。はやくなくなって欲しいなと思った。
(女性 10代)
◆若い方たちが3.11をつないでいきたいという思いに触れ、自分自身のあり様を考えさせられました。陸前高田などを訪れてみたいと思いました。そして上のまちと下のまちを自分の目で確かめたいと思いました。
(女性 70代)
◆千葉県北部在住です。福島には、はるかに及びませんが、原発の爆発の後、ちょうど住む町が風向きの関係で、セシウム汚染地となり、特に茨城の地域性に基づいた劇の状況セリフひとつひとつに記憶がよみがえったり苦しくなったり加害者性を指摘されたり共感したりしました。また、この展示により訪れる人が感覚をすませ、また自分で聞き取り考えていくことになり、心を揺さぶられました。自分に何ができるか考えていきますが、聞くこと、人が語り合うこと、誰もが伝えていくことの大切さを教えられました。
(女性 60代)
◆大切な展示をありがとうございます。自宅から離れたこの場所に導かれるように来ました。空間そのものが3.11を改めて、それぞれの人が考え、想い、受け止め、動くためにあるように感じられました。今日、来ることが出来て、ほんとうに良かったです。
(女性 30代)
◆震災から10年が経ち、その間の風景や人々の変化を、アーティストの方がどのように感じて、考えたか、その想いが作品を通してよく伝わってくる内容だった。作品の中には、一見するととてもきれいな風景の中に、取り残されたように立ち入り禁止の看板があったりし、これまでの日常の光景ではないことを感じられた。これらの作品を見て、震災後の停電の最中に移動する車の中で見た、夕方の空が本当にきれいだったことを思い出した。空のグラデーションが美しく、でも、だんだん暗くなるに従い、不安が増してくる。こんなに空がきれいなのは外灯一つつかない非常事態だからなんだと、その時強く認識したのを思い出した。震災についてもう一度考えるきっかけとなった。
(男性 40代)
◆アートという方法を用いて、「歴史化」していく「事実」や「出来事」をどのように「記憶」したり、「想起」していくのかという点で優れた展示であったと思います。3.11を記憶するためのツールとして表象(行為)や表現されたものなどが、とても重要な役割をもっていると、数年前から感じはじめ、博物館や美術館などの関連する企画に足をはこぶようになった。そこで考えたことなどが良い刺激となって、さらに考察を深めようと思っている。(後略)
(男性 50代)
◆「二重のまち」の舞台となった陸前高田に2013年~2017年に学生ボランティアとして通っていました。その時はちょうど希望のかけ橋ができたころで、現地に行くたびに山がどんどん削られ、それに比例してかさ上げの土地が高く大きくなっていました。住民の方で「かさ上げはしょうがないことだ」と言いながらも、津波で何もかもを持っていかれた街が今度は土の下に沈むことを憂いている人が多くいたこと、会話の途中でぽつぽつと語る方がいたことを思い出しました。せっかく植えた花や畑、流されたお店の代わりに仮設で作ったお店のある場所がかさ上げの土地の対象となり、泣く泣く手放した方も多く見ました。でもその時、本当の意味で街が土の下に沈むことの何が悲しいのかわかっていなかったのだと思いました。今日、この場に来れて本当に良かったです。
(女性 20代)
◆3.11のこと今でもよくおぼえています。これからどうなっていくのか、だれにも分かりません。でも、明日も息をして生きるってそれだけがどれぐらいすごいのか想像したとき、なんだか少しだけ涙がでそうでした。
(女性 10代)
◆この企画自体がすばらしいです。茨城は被災地であるにもかかわらず、忘れられがち、県民もどこか遠慮して語られないところがあると思います。加えて、東海の原子力発電をかかえた、他人事ではない町。ぜひ、継続して欲しいプロジェクトです。
(女性 50代)
◆何か書こうと思ったけれど、今はうまく書けません。ただ、やっぱり今日ここへ来たのは良かったと思う。
(男性 50代)
ほか、たくさんのご感想をありがとうございました。
頂きましたご感想につきましては、今後の参考とさせていただきます。