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2022-11-10 更新

【茨城新聞・ATM便り】11月6日付の記事を掲載しました~内田光子&マーク・パドモア~

茨城新聞で水戸芸術館音楽部門が月1本のペースで連載しているコーナー「ATM便り」。11月6日掲載の記事を転載します。今回は11月17日に開催する内田光子(ピアノ)&マーク・パドモア(テノール)に関する記事です。


一片の「歌」を届ける


内田光子  Decca © Justin Pumfrey

2021年10月、新型コロナウイルスによるパンデミックで誰もが困難に直面している最中に、ロンドンを拠点に活動するピアニストの内田光子さんは、少しでも早く日本の皆さんの前で、そしてこれまでに何度も訪れいてる水戸芸術館で演奏をしたいと言ってくださり、圧倒的な希望の光が射し込む、感動のステージを届けてくれました。プログラムはモーツァルトの〈ピアノ・ソナタ 第15番〉とベートーヴェンの〈ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲〉という内田さんがとても大事にしている2つのピアノ作品でした。

そして、現在、世界は未だ暗い影に覆われていますが、そのなかで内田さんは、次なるメッセージとして、私たちに「歌」を届けてくれようとしています。内田さんは、理想とする演奏の実現のためには一切の妥協を許さないのですが、それは共演者に対しても同様です。その内田氏が全幅の信頼を置き、欧米各地で共演を重ねているのが、テノール歌手のマーク・パドモアさんです。


マーク・パドモア  © Marco Borggreve

今回のプログラムは、ドイツ・リートの頂きに位置するシューベルトの歌曲集《冬の旅》です。恋に破れて失意の若者が、重い足どりで町に別れを告げ、放浪の旅に出ます。孤独な心の傷は広がり続けて癒されることはなく、遂には生きる希望さえ失われようとしていきます。

シューベルトは、31歳の若さでこの世を去っていますが、その原因は当時不治の病とされた梅毒によるものでした。わが身がこの病魔に侵されているのを、シューベルトが最初に知ったのは1822年末のことでした。以来、彼は、大きな苦悩と深い絶望の日々を過ごすことになります。シューベルトが《冬の旅》の作曲に着手したのは1827年、最後の推敲に取り組んだのは、亡くなるおよそ2か月前の1828年10月のことでした。

シューベルトにとって、音楽こそが、終末を迎えつつある自らの生命を慰め、正当化してくれる唯一のものでした。《冬の旅》に登場する絶望の淵を彷徨する孤独な若者は、シューベルト自身の姿と重なります。旅の最後に到達する境地を、シューベルトはどのように描いたのでしょうか。涙の先に生まれた一片の「歌」に耳を傾けてみてください。

水戸芸術館音楽部門 芸術監督 中村 晃