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2023-05-09 更新

【茨城新聞・ATM便り】5月7日付の記事を掲載しました~オルガン・レクチャーコンサートVol.7~


茨城新聞で水戸芸術館音楽部門が月1本のペースで連載しているコーナー「ATM便り」。5月7日掲載の記事を転載します。今回は7月2日に開催する「オルガン・レクチャーコンサートVol.7」に関する記事です。


時代と音楽をひもとく

 ドイツ中部に生まれたヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)は、生涯祖国を離れたことがないにも関わらず、当時文化先進国であったフランスやイタリアの音楽を楽譜や演奏家を通じて吸収し、彼ならではのスタイルの音楽を作り上げました。そして、社会や音楽の在り方が大きく変わろうとしていた時代にあって、前の中世・ルネサンス時代の音楽と次の時代の音楽を橋渡しする作品を数多く残しています。パイプオルガンの世界では、コンサートでバッハ作品が演奏されないことの方が少ないほど、バッハは基本中の基本。

 今ではこれほど偉大なバッハですが、彼の死後約80年間は表立って作品が演奏されることはほとんどありませんでした。当時は存命作曲家の作品が演奏される機会が多かったこともその理由の1つですが、バッハ作品は教会での礼拝や宮廷のための曲が多く、生前は派手な音楽活動を繰り広げた人物ではなかったことも一因でしょう。同い年のヘンデルは同じくドイツ生まれですが、イギリスに帰化し華やかなオペラやオラトリオ(管弦楽、合唱、独唱から成る叙事的楽曲)など、市民も楽しめる作品で売れっ子作曲家になったのとは対照的です。

 一部の音楽家や愛好家の間で、知る人ぞ知る作曲家だったバッハの名が一躍音楽史に返り咲いたのは1829年、当時20歳だったメンデルスゾーンの指揮のもとベルリンで行われたバッハの《マタイ受難曲》の演奏会だったと言われています。約80年の時を経て、バッハの音楽は19世紀のドイツ人の心を揺さぶり、その後の作曲家の大半がバッハから何らかの影響を受けたと言っても過言ではない、という存在になりました。

 7月2日の「オルガン・レクチャーコンサートVol.7」では、そんな19世紀においてバッハから特に強い影響を受けたメンデルスゾーンやシューマン、ブラームスなどドイツの作曲家たちの作品を取り上げます。演奏とお話を担当するのはドイツ・オルガン音楽のスペシャリスト・椎名雄一郎さん。2021、22年にバッハを軸とした回で軽妙なトークと圧巻の演奏を披露し、大好評でした。ドイツの民族意識が高まった時代背景と音楽がどのようにリンクしていたのか、椎名さんが紐解きます。

水戸芸術館音楽部門学芸員・鴻巣俊博