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2025-01-10 更新
【茨城新聞・ATM便り】1月9日付の記事を掲載しました~第14回 佐川文庫 茨城の名手・名歌手たち 藝文コンサート~
茨城新聞で水戸芸術館音楽部門が月1本のペースで連載しているコーナー「ATM便り」。1月9日掲載の記事を転載します。今回は1月26日に開催する「第14回 佐川文庫 茨城の名手・名歌手たち 藝文コンサート」に関する記事です。
会場移し新たな出発
1990年3月22日。水戸市制100周年を記念して水戸芸術館が産声を上げました。
水戸室内管弦楽団を提唱した評論家・吉田秀和初代館長、その指揮や総監督を務めたマエストロ・小澤征爾前館長、ATMフェイス(お客様をお迎えする職員)の制服もデザインしたファッションデザイナー・森英恵前理事長や、正三角形を組み合わせたユニークな造形のタワーや建物を設計した建築家・磯崎新氏。
こうした文化人の集う水戸芸術館の「生みの親」ともいえるのが、当時の水戸市長の佐川一信氏です。水戸を日本一の文化都市にしたいと考えた佐川市長は、施設の構想からその運営に至るまで綿密に計画を練り、それらを実行に移しました。
1984年に市長に当選するまで、大学で労働法の講義などを受け持つ法学者だった佐川氏は、学生の頃から日がな一日図書館に入り浸る読書家で勉強家でした。芸術館の構想にも自然とその知見が生かされています。「まず、文化の基礎をなす『言語』の美学としての演劇を、シェイクスピア中心に上演してはどうかという考え方があった。また、県立近代美術館と緊張・調和しながら、相乗効果をねらうという発想から現代美術ギャラリーが検討された。さらに、水戸には良質で適正規模のコンサートホールがなく、市民の文化施設への期待は、コンサートホールに相当程度集まっていた。」といった記述からも、芸術や文化に対して常にアンテナを張っていたことがうかがえます。
佐川氏はその後、95年に55歳の若さで亡くなり、完成した芸術館の姿を見たのはわずか5年でした。
ところで、水戸市河和田に佐川氏の個人蔵書をもとに設立された「佐川文庫」があります。図書館とコンサートホールが併設され、文化と芸術が共鳴する都市を目指した佐川氏の信条をたどるかのような施設です。
そして、「茨城の名手・名歌手たち 藝文コンサート」が26日、新たに佐川文庫へと会場を移してスタートします。お迎えするのは、水戸芸術館の公演「茨城の名手・名歌手たち」の歴代出演者から川又明日香さん(ヴァイオリン)と瀧本真己さん(ソプラノ)の本県ゆかりの2人。ラヴェル作曲〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉やマスカーニ作曲〈アヴェ・マリア〉などが演奏されます。
新春のひととき、フレッシュな演奏家によるコンサートを、光あふれるホールでぜひお楽しみください。
水戸芸術館音楽部門学芸員・角増 柊