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    2026-02-10 更新

    連載「シューベルトの歌曲の楽しみ方」第1回
    「さすらうシューベルト、さすらうあなた」

    さすらうシューベルト、さすらうあなた

     
    堀 朋平(美学・音楽学)

     
    さすらい、さまざま

     NHKの朝ドラ「ばけばけ」(2025-26)を楽しみに観ています。西洋音楽とつきあってきた者にとってはなおさらでしょうか、近代ヨーロッパの300年をわずか40年で駆け抜けた――と漱石の『三四郎』も描くとおりの――明治の人びとの泣き笑いに、ひどく揺さぶられるのです。
     にわかに没落した武士階級の憂き目にあって、新たな人間関係の波へと投げ出された武家の娘。はるばる海を越え松江にやってきて、寒さにふるえ、カタコトの日本語で暮らす物書き。2人は、先の見えない道を手探りで歩く思いだったでしょう。
     そんな男女の心のなかを照らし出すような主題歌が、またいい。
     
    「帰る場所など とうに忘れた 君とふたり 歩くだけ」(ハンバートハンバート《笑ったり転んだり》)
     
     映像とともに聴いていると、思わず「ほろり」としてしまう。故郷を失ってさすらう感覚は、明治の100年後でも共有できるからでしょう。いえ、むしろ世界情勢も台所事情もどんどん暗くなる、そんな今を生きなくてはならない私たちこそ、皆さすらい人なのかもしれません。
     もちろん「旅」はずっと昔から愛すべき芸術のテーマでした。古代ギリシアの『オデュッセイア』は、英雄オデュッセウスによる10年におよぶ帰郷の航海をつづった叙事詩です。なので、そこから生まれた「オデッセイ=旅」という言葉は、帰るべき場所があることを前提にしています。どれだけ時間がかかっても、どれだけの苦難に遭っても、主人公はきっと故郷に帰れるのです。
     ところが「自分たちには帰る場所がないのではないだろうか?」という感覚に捉われる時代がやってきます。哲学者ヘルダーは「人は求めるが、けっして見いだせない」と言いました。似たような新しい「旅」観がロマン派の世代をみるみる染め上げていきます。終わらない旅程をひとは生きるのだ……そんな思想が。
     まさにドイツ歌曲が生まれた時代、ちょうど18世紀から19世紀に移るころのことです。
     

     さすらいのテーマを好んだロマン派の詩人ノヴァーリス(1772-1801)。その透明な文章と思想をシューベルトも好んだ。


    自分だけの痛み

     音楽の話に移りましょう。ちょうどこの時代を生きた大作曲家が、モーツァルトとベートーヴェン。二人の生涯で大きく共通する点は何でしょうか? 20代で故郷の地方の小(中)都市から音楽の都ウィーンに出て、自分の腕を頼りに生きる決意をしたことです。理由は、それまで芸術家の人生をすっぽり包んでくれていた貴族や教会が、みるみる力を失っていったこと。ヨーゼフ2世という当時の皇帝は修道院を700も閉鎖したといいますから、教会音楽の作曲家もお役御免になっていったわけです。つまりは就職の困難と、先の見えぬ人生航路。これこそ「さすらい」流行の動因にほかなりません。
     それでもこの二人の作曲家はまだ貴族のパトロンに頼ることができていたのですが、ベートーヴェンの一世代下になると、だいぶ話は変わります。
     フランツ・シューベルト。この青年は20歳で、教師になれという父に背をむけ、親友とルームシェアをすることで音楽家としての自立の道を歩み始めました。そして定住や私有財産をあまり好みません。吉田秀和がかつて書いたように、シューベルトは世界に自分の居場所がないことに気づいた最初の作曲家だったのでしょう。
     「日に日に世界が悪くなる 気のせいか? そうじゃない」。ハンバートハンバートの歌詞ではありませんが、若者にとって先が見えない灰色の時代にこそ、別世界に連れて行ってくれる特別な「わざ」がいちだんと光輝をおびはじめます。「美しいわざ」(ドイツ語でシェーネ・クンスト)を意味する芸術です。そんな新しい芸術哲学を、さすらいの人生観のなかで語りだしたのが《音楽に寄せて》(D550)。20歳のシューベルトが、同居人である親友の詩につけた一曲です。
     この歌曲は、今でこそ教科書に載るくらい有名になりました。しかし、この歌曲が生まれるほんの数十年前まで、芸術家は貴族や教会のもとに生活していたわけですから、これは若者に“刺さる”新しい声だったに違いありません。ギターを片手に、「西向きの部屋 壊さぬよう」そっと歌うフォークソングみたいに。
     

    孤独を聴く

     さすらいの気分は、タイトルや歌詞にさすらいが出てこなくても、シューベルトの芸術をつらぬく哲学だといえます。《音楽に寄せて》がまさにそうだったように。
     孤独な心を発露するシューベルト歌曲は、尊敬するベートーヴェンでさえ成しえなかった革命でした。そこに友と静かに歩く喜びが加わるか、独りぼっちで狂気すれすれの世界をゆくか――それはケースバイケースです。
     誰しも感じているにちがいない“寂しさ”を、まだ誰もやっていない仕方で、音にできたこと。マーケティング的にみると、シューベルトは「売れる」商品ジャンルをいちはやく独占的に開発したことになります。市場に通じた友人のおかげで、売り方も思いきったものでした。それまでは短い歌曲をいくつかセットにして売り出すのが常識だったのですが、初出版となる「作品1」は、18歳で書いたとんでもなく難しい1曲だけを一冊にしています。誰もが知る《魔王》(D328)です。
     このデビュー作も、お父さんにはわからない自分だけの世界に殉じる内容。なので、さすらいの思想はこんなところにも浸透していると言えるのではないでしょうか。
     

    モーリッツ・シュヴィント《魔王》(1830ころ)。親友シューベルトの音楽は、画家や詩人にも多大な霊感を与えた。
     
     来たる4月5日のリサイタルは後期作品ばかりを集めたものですが、じつはクリストフ・プレガルディエンは過去の録音で、驚くべき声のコントロールで、《魔王》に衝撃的な表現を与えています。この歌手はドイツ歌曲のスタンダートであり、かつチャレンジャー。ぜひ聴いてみてください。 
     そして皆さまも、今を生きるひとりの「さすらい人」として、孤独な芸術家の発した問いかけに答えてみてほしいのです。シューベルトの碑文(初期バージョン)に詩人グリルパルツァーが刻んだように――
     
    さすらい人よ! 君はシューベルトの歌曲を聴いただろうか?
    この石の下に、彼は眠る(それを歌いし者、ここに眠る)
     

    シューベルトが葬られた墓地(ヴェーリング通り)。碑文には詩人グリルパルツァーによる以下の最終バージョンが刻まれている。「音楽はここに豊かな財産を葬った/もっとうるわしい希望さえも」
     
      
    堀 朋平(ほり・ともへい)
    1979年生まれ。国立音楽大学大学院修士課程修了。東京大学大学院博士課程修了(文学博士)。主著に『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッシング、令和5年度芸術選奨文部科学大臣新人賞・評論部門)。住友生命いずみホール音楽アドバイザー。九州大学ほか非常勤講師。