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2026-03-01 更新
「クリストフ・プレガルディエン(テノール)&渡邊順生(フォルテピアノ)」出演者からのメッセージ

水戸のみなさまへ
長い年月を経て、再び水戸の皆さまの前で歌曲リサイタルを行う機会をいただけることを、心より嬉しく思っております。
今回は、優れた音楽的感性と深い詩情を併せ持つピアニスト、渡邊順生氏とともに、フランツ・シューベルトの遺作集《白鳥の歌》をお届けいたします。
ここで、1991年に始まった私自身にとってひとつの大切な交流の環が静かに結ばれます。
1991年、私にとって初めての来日となったその年、栃木[蔵の街]音楽祭でのバッハ《ロ短調ミサ曲》を歌い、静岡、東京等で渡邊順生氏とともに、シューベルト《美しき水車屋の娘》による歌曲リサイタルを開催いたしました。1994年4月には、水戸でバッハ・コレギウム・ジャパン、鈴木雅明氏とともに《マタイ受難曲》を演奏し、1996年にはアンドレアス・シュタイアー氏と《冬の旅》を携えて再び水戸を訪れるという、忘れがたい音楽の記憶が、この街と深く結びついています。
そして今回お届けするのが《白鳥の歌》です。シューベルトが人生の最晩年に書き遺したこれらの歌曲は、《冬の旅》や《美しき水車屋の娘》のような物語的な連作ではなく、ルートヴィヒ・レルシュタープとハインリヒ・ハイネの詩による13の歌曲から成る、約50分の珠玉の作品集です。その構成の自由さゆえに、私たち演奏家は楽曲の配列を再構成し、さらに数曲を加えることで、一夜のリサイタルとして完結したひとつの音楽世界を描くことができます。
本公演では、第1部にレルシュタープの詩による7曲を中心に、そこへ音楽的・ドラマ的に美しく呼応するシューベルトの3曲を加えてお聴きいただきます。第2部は、エルンスト・ヴィルヘルム・シュルツェの詩による4曲で幕を開け、やがてハイネの詩による6曲へと至ります。その内省的で陰影に富む響きは、心理的にも音楽的にもきわめて自然な流れを生み出し、小さな「内なるドラマ」を形づくります。とりわけハイネの歌曲については、私は長年にわたり、慣習的な配列とは異なる順序で演奏してまいりました。この構成こそが、この作品に秘められた感情の物語を、最も明晰に、そして深く浮かび上がらせると信じているからです。
水戸という、私の音楽人生において特別な場所で、皆さまとこの《白鳥の歌》を分かち合えることを、心より楽しみにしております。このリサイタルが、皆さまの心に静かな余韻として長く残るひとときとなりますように。
心よりの感謝とともに。
クリストフ・プレガルディエン

プレガルディエンとシュトライヒャーのピアノ
1990年の5月、水戸芸術館の開館記念シリーズでチェンバロを弾かせて頂いた時には、ホールの素晴らしい響きに強い感銘を受けました。それまでお目にかかる機会のほとんどなかった故吉田秀和館長(当時)と親しくお話しできたことも忘れ難い思い出となっています。あの時も午年でしたが、それからちょうど日本風に言うと三周り、再びあの素晴らしいホールで、しかも今度は敬愛するプレガルディエン氏との共演のために水戸へ行ける、というのは夢のような話です。
《白鳥の歌》の第 7 曲〈別れ〉という歌曲をご存じですか。馬のひづめの音も軽やかにこれから楽しい旅に出ようという曲で、その馬のひづめの音を模したピアノ伴奏のとても印象的な曲です。私の頭の中では、その軽快な響きがくるくると回っています。歌ももちろんですが、シューベルトは何と美しいピアノ伴奏のパートを書いたのでしょうか。それは彼が愛用していた当時のピアノでなければ出すことのできない音なのです。
今回の公演で私が特に嬉しく思っているのは、ナネッテ・シュトライヒャーの製作したフォルテピアノの音を水戸の皆さんに聴いて頂ける、ということです。ナネッテ・シュトライヒャーは、19世紀の最初の四半世紀のウィーンにおける最高のピアノ製作者で、彼女の作り出す、玉を転がすような軽快さと重厚なまでの渋みを兼ね備えたピアノの音はベートーヴェンを熱狂させました。ナネッテ・シュトライヒャーのピアノは現存数が少ないために録音でも聴ける機会はなかなかありません。プレガルディエン氏の美しい声とシュトライヒャー・ピアノの音色は、シューベルト自身が思い描いていた歌曲の響きの理想を皆様にお聴かせできるのではないか、と今からわくわくしています。
渡邊順生
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