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2026-03-07 更新
聲明公演「四箇法要 花びらは散っても花は散らない 附 宮内康乃作曲〈海霧讃歎〉〈海霧廻向〉」声明の会・千年の聲 新作聲明公開の足跡(作品リスト付き)
3月14日(土)の聲明(声明=しょうみょう)の公演「四箇法要 花びらは散っても花は散らない 附 宮内康乃作曲〈海霧讃歎〉〈海霧廻向〉」に向けて、このコンサートの演出・構成を担当されている田村博巳さんに、現代に作られた新しい聲明作品の歴史についてご寄稿いただきました。
『vivo』vol. 275(2026年3-4月号)掲載記事に、参考資料「新作聲明の初演の記録」を添えました。この記事を通して、コンサートをさらに深くお楽しみいただけましたら幸いです。
声明の会・千年の聲
新作聲明公開の足跡
日本の仏教寺院で、僧侶が儀式のときに唱える声楽を「聲明」(声明=しょうみょう)といいます。もとは古代インドの五種学問(五明(ごみょう))の一つで、言葉の学問(シャブダ・ヴィドヤー)を意味し、サンスクリット(梵語)の学習のため密教とともに日本に伝えられました。一方、インドから中国を経て日本に伝えられた仏教の声楽は、一般に「梵唄(ぼんばい)」と呼ばれていましたが、鎌倉時代以降は「聲明」の用語が「梵唄」の代りに用いられるようになりました。仏教が日本へ伝えられたのは6世紀頃ですが、当初の法会は転経(読経)と講経(講義)が主で、聲明の存在が明らかとなるのは、752年の東大寺大仏開眼供養で唱えられた四箇法要(しかほうよう)[唄(ばい)・散華(さんげ)・梵音(ぼんのん)・錫杖(しゃくじょう)]が最初です。その後、9世紀の初めに弘法大師空海により真言聲明が、中頃に慈覚大師円仁により天台聲明が中国から伝えられました。真言宗、天台宗いずれも、平安の新しい時代に遣唐使の留学僧(るがくそう)・請益僧(しょうやくそう)として、当時の唐における最新仏教であった密教を漸進的に取り込んだものです。以後のどの宗派の聲明も、この二大潮流のどちらかに源を発し、影響を受けることになります。そして12世紀平安後期より14世紀の鎌倉・南北朝期に隆盛し、記譜法・音律論・演唱法等が整備されました。1472年には、現存する年紀の明らかな印刷楽譜としては世界最古の「聲明集」が高野山(南山進流)で刊行され、聲明の普及がはかられました。
1966年に始まる国立劇場の聲明公演は、記録保存はもとより、劇場という空間で仏教儀礼を一般観客に公開するという画期的な取り組みでした。第1回は天台宗比叡山延暦寺の〈魚山秘曲三十二相(ぎょさんひきょくさんじゅうにそう)〉と真言宗豊山派長谷寺の〈二箇法用付大般若転読会(にかほうようつきだいはんにゃてんどくえ)〉が公開されました。導師は、天台宗は中山玄雄師(なかやま げんゆう・1902~1977)が、また豊山派は青木融光師(あおき ゆうこう・1891~1985)が務め、聲明の存在を広く人々に知らせることになりました。聲明は、その歴史と音楽性において、キリスト教のグレゴリオ聖歌とともに、すぐれた宗教(典礼)音楽として、今日高い評価を受けていますが、明治以降、西洋音楽が主流となってからは多くの僧侶にとって仏教儀礼で唱える聲明にとくに関心を寄せる機会はありませんでした。第二次世界大戦後、忘れ去られていた日本の伝統音楽の聲明が再発見されたのは、若い現代音楽家によるものでした。黛敏郎(まゆずみ としろう・1929~1997)は梵鐘(ぼんしょう)・咒(しゅ)・天台聲明の響きに魅せられ〈涅槃交響曲(ねはんこうきょうきょく・1958年)を、柴田南雄(しばた みなお・1916~1996)は東大寺お水取りの聲明に触発され〈修二會讃〉(しゅうにえさん・1978年)を作曲し発表しました。しかし、これらの声のパートはいずれも合唱団が担っていました。また、小泉文夫(こいずみ ふみお・1927~1983)ら民族音楽学の研究者による真言聲明への関心が高まる中、レコード録音がすすみ、その旋律を五線譜で記譜することが行われました。このときの経験は、僧侶の側も聲明の伝承そのものに認識を深めるとともに、改めて聲明に対する意識を促されることとなりました。
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そのような状況の中、第1回聲明公演に出演した天台・真言両聲明家とその弟子たちが、聲明の伝統的音楽理論に根ざした新たな取り組みを牽引しました。1983年、第34回雅楽公演で、国立劇場委嘱によるジャン=クロード・エロア(1938~2025)の〈観想の焔の方へ(かんそうのほのおのかたへ)〉の声のパートに天台宗の海老原廣伸(えびはら こうしん)・京戸慈孝(きょうど じこう)、真言宗豊山派の孤嶋由昌(こじま ゆうしょう)・新井弘順(あらい こうじゅん)の四師が加わるという画期的な試みがその始まりです。国立劇場が目指したのは古典への深い洞察力と創作への鋭い探究心の両方を備えた僧侶自身の声による作品でした。翌1984年には第19回聲明公演で石井眞木(いしいまき・1936~2003)の〈蛙の聲明〉の初演に天台・真言の僧侶が参加し、以後、国立劇場で僧侶の声を用いた新作が次々と初演されていきます。様々な現代作品の「声」の音楽に積極的に参加した僧侶たちは、舞台芸術をとおし聲明の普及に大きく貢献することになりました。
言葉を運ぶ線的な不思議な抑揚や厳しいまでに荒々しいヴァイタリティは西洋の音楽史の網の目からこぼれ落ちていた異質の音楽の霊力です。国内外の作曲家たちは聲明の持つ精神性や音楽的表現性に注目していましたが、僧侶自身の声による新作は僧侶の聲明に対する意識の変容をもたらし、さらにその表現の領域をも拡げました。

海老原廣伸(天台)、孤嶋由昌(真言)、京戸慈孝(天台)、新井弘順(真言)、背景は「シャブダ」 1999年3月30・31日 スパイラル聲明コンサートシリーズ「千年の聲」vol.2 〈阿吽の音〉より
新作の現場が国立劇場から青山スパイラルへと大きく舵を切る要因となった二つの作品が吉川和夫(きっかわ かずお・1954~ )の〈論義ビヂテリアン大祭(ろんぎビヂテリアンたいさい)〉(1991年。水戸芸術館では1997年5月11日に上演(企画:間宮芳生、構成・演出:田村博巳))と鳥養潮(とりかい・うしお・1952~ )の〈阿吽の音(あうんのこえ)〉(1995年)です。1997年、天台宗の海老原廣伸・京戸慈孝、真言宗豊山派の孤嶋由昌・新井弘順の四師は、宗派を超えた取り組みを目指して「聲明四人の会」を結成しました。また、若手聲明家グループ「シャブダ」を加え、海老原廣伸師が主宰した「七聲會(しちせいかい)」と、孤嶋由昌師が主宰する「迦陵頻伽聲明研究会(かりょうびんがしょうみょうけんきゅうかい・以下「迦聲研」という)」が活躍することになります。1998年から「聲明四人の会+シャブダ」(2003年より「声明の会・千年の聲」に改称)は、青山スパイラルを拠点に〈スパイラル聲明コンサートシリーズ「千年の聲」〉を開催し、神奈川県立音楽堂をはじめ各地の劇場、音楽堂等での公演も継続的に行い、国立劇場での新作を再演し、また新たな委嘱作品の初演も手掛けました。国立劇場や青山スパイラルの公演活動が評価され、現代の作曲家のみならず、大衆からも聲明が見直され、新しく探究されています。

1997年5月11日 水戸芸術館 吉川和夫〈論義ビヂテリアン大祭〉
1973年、真言宗豊山派の僧侶は国際交流基金による海外長期派遣の助成を受け、テヘランほか、欧州・北米の11都市で、1978年には天台宗がパリを中心に聲明公演を行いました。この海外公演を皮切りに、海外の音楽祭からの招聘公演も相次ぎ、キリスト教の教会内で新作聲明作品(1986年 石井眞木の〈蛙の聲明〉ベルリン、2014年 鳥養潮の〈存亡の秋(そんぼうのとき)〉ニューヨーク)が公開されることも珍しくなくなりました。寺院内で伝承されるのみであった聲明はいま日本のみならず世界の音楽家から注目を集めています。
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2012年1月24日 スパイラル聲明コンサートシリーズ「千年の聲」vol. 20 鳥養潮〈存亡の秋〉より ©Tsukasa Aoki
「声明の会・千年の聲」は、京戸慈孝師(1942~2008年12月没)の離脱はありましたが、伝統の研鑽と現代の創造に積極的に取り組み、宗派を超えた活動を展開してきました。その後、天台聲明の可能性を追求しつづけた海老原廣伸師(1941~2021年12月没)と真言聲明の普及・発信に情熱を傾けた新井弘順師(1944~2022年3月没)が相次いで逝去されました。七聲會は海老原廣伸師の志を継ぐ僧侶たちが継承し、迦聲研は故青木融光大僧正を相承し、「声明の会・千年の聲」の精神的支柱となった孤嶋由昌師(1941~ )の指導のもと約50年の歴史を刻んでいます。2025年、孤嶋由昌師は「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択されている「真言聲明」の関係技芸者に青木融光大僧正以来47年ぶりに指名されました。文化庁は「音楽、舞踊、演劇その他の芸能及びこれらの芸能の成立、構成上重要な要素をなす技法のうち我が国の芸能の変遷の過程を知る上に貴重なもの」として、「真言聲明」及び「天台聲明」に対しその選択基準を定めています。