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2015-06-18 更新

【Interview】水戸芸術館のオルガンを誕生の時から見守ってきた才人 室住素子さん 「ちょっとお昼にクラシック」に出演

――東京大学文学部在学中に、「東大女声コーラス」の演奏会を行った教会で聴いたパイプオルガンとの出会いがきっかけで、オルガンを始められたそうですね。そして、室住さんは、東京芸術大学の器楽科(オルガン専攻)に入り、以来オルガニストの道を進んでいらっしゃいます。東大時代の最初のオルガンとの衝撃の出会いについて、お話しください。

室住素子:メンバーが十数人の合唱団でお金も無かったので、教会なら貸して下さるかも、とお電話した中に松沢教会がありました。牧師様が「パイプオルガンもあるんですよ」とおっしゃり、貸して下さることになりました。その時の曲目はフォーレの〈レクイエム〉で、4曲目のソプラノ独唱を私が歌う事になっていました。私が息も苦しく、まるで首を絞められたニワトリのように歌う耳元で、オルガンのやわらかいフルートのような音色が、いつまでも鳴っていました。美しかった。その時、「もう歌はあきらめよう。オルガンをやろう」と思いました。初めてオルガンシューズを買った時には、よし、これに賭けるぞ!と思えて嬉しかったです。

――室住さんは、1989年に水戸芸術館開設準備室に入室され、音楽部門主任学芸員として97年まで在職されました。水戸芸術館ご在職時の思い出の中で、特に印象に残っていることをお教えください。

室住:新人学芸員の頃は驚きの連続で…ある時、無人のコンサートホールにスタインウェイのピアノが出ていたので弾いてみたら、音がきらきら輝いて、空中を飛んでいくのが見えました、まるで翼があるみたいに。音って、飛ぶんだ!というのが衝撃でした。その後、大ホールでオケが出した音に、離れたオルガンから音を発して合わせる仕事をする事を思うと、最初の大切な気づきだったと思います。
また、学生時代は、「バッハを練習しなきゃ」と同じのりで「池辺を弾かなきゃ」と言っていましたが、就職して企画運営委員の池辺晋一郎先生にお目にかかり、ああ、本当に生きておられる!と目からウロコが落ちました。突然敬語になったのは勿論ですが、その後、様々な作品の曲目解説を書いたり演奏をしたりする度に、作曲家への温かい眼差しを持てるようになりました。
他にも、マリア・ジョアオ・ピリスやトン・コープマンの譜めくりをしたり、園児さん達とオルガンで遊んだり、文章を書く上で吉田秀和館長や畑中良輔先生にご指導いただいたり、宝物の思い出がいっぱいですが…辞める直前でしたか、私がお腹を空かせてオルガン講座の練習に立ち会っていた時、友の会の方が差し入れて下さったおにぎりの美味しさは、20年たっても忘れられないです。

――1990年の設置にも立ち会われている水戸芸術館のオルガンについて、どのようなご感想をお持ちですか。

室住:オルガンが造られたのは建物の建築と同時でしたので、ドリルの音が鳴り響き、石塵が舞う中でした。マナオルゲルバウの人たち、大変だったと思います。また、大震災で壊れても、再建の過程を公開してお客様に興味を持っていただき、回転する星や水笛を加えて再生しました。25年たっても生かされている、幸せな楽器ですね。
演奏者の立場からみると水戸のオルガンは、パイプが壁の中に埋め込まれたりせず、演奏者の頭上に突き出た屋根も無く、パイプの音が演奏者に明瞭に聞こえます。夜中に無人の時は残響も4秒ちかくあり、素晴らしい響きです。どの鍵盤にも美しい8フィートがあるので、鍵盤が多彩に使えます。ただ、どのオルガンにもある事ですが、聴く人とオルガンとの距離により、音量は随分変わりますし、お客様がいっぱいいらっしゃると残響は無くなるので、それを知って弾く必要があります。
幼稚園児はじめ市民に広く開かれているだけでなく、プロムナード・コンサートを通じて芸大(東京芸術大学)の学生たちなどもここで研鑽を積んだ後、世界に羽ばたいていきます。オルガン文化の成熟に、水戸は大いに貢献してきたと思います。

――水戸芸術館の職を離れてからは、オルガニストとして、ソロはもとよりわが国の多くの主要オーケストラ等と共演を重ねられています。2010年には、小澤征爾指揮によるサイトウ・キネン・オーケストラのカーネギー・ホール公演に参加されていますね。そのツアーで特にご記憶に残っていることはありますか。

室住:曲目は、ブリテンの〈戦争レクイエム〉でしたので、舞台上はオケと合唱で立錐の余地もないくらいでした。カーネギー・ホールにはパイプオルガンはなく、ロジャースの電子オルガンがありました。それを舞台袖に置き、客席4階で歌う児童合唱のためには、小さなキーボードを置きました。6楽章では両方使うので、舞台袖から4階へ数分で移動しなくてはならないのですが、迷路のような道には鍵の掛かった扉が幾つもあり、階段もあり…先導するスタッフが途中で息を切らし murder!と叫んだので、私は一人で走り続けて間に合いました。小澤征爾さんのとてつもない力で大勢の熱意がまとまり、素晴らしいコンサートでした。終演後、12月のニューヨークの夜道で、潮田益子さんとばったりお会いし、「オルガン、綺麗だったわ」と微笑んでいただけたのが、無上のご褒美となりました。

――今回のリサイタルについて、プログラムのご意図や聴きどころなどをお教えください。

室住:プログラムを組む時、オルガンの魅力って何だろう?と改めて考えました。バロックだけではない多彩さはアピールしたく、バッハを忘却の闇から救い出し、その作曲技法にロマン派の音楽を注ぎ込んだメンデルスゾーンのソナタを入れました。オルガンに色々な音色がある楽しさは、変奏曲なら表現しやすいので、<庭の千草の変奏曲>を選びました。また、小さな音から大音響まで出せる魅力は、レーガーならでは。最後に、私の人生を決めた柔らかい風の音を、お客様にも聴いていただきたく、<タイスの瞑想曲>も入れました。

――最後に、水戸の聴衆の皆様に、メッセージをお願いします。

室住:7月20日のコンサートは、「室住素子のオルガンファンタジー」というタイトルをいただきました。オルガンは機械で作られた風がバイプを通る時に音が出るわけですが、なんとか人が笛を吹くようにパイプを歌わせ、オルガンから色とりどりの風を吹かせたい、というのが私の願うファンタジーです。ご一緒に楽しんでいただけたら幸せです。

 

(聞き手:中村晃)(『vivo』2015年7+8月号より)