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2019-04-10 更新

再発見・雅楽
あるいは再発見・日本

 昨年ご好評いただいた七夕の日の雅楽公演「今昔雅楽集」の第2弾を、7月6日(土)に開催いたします。今回は「舞の絵巻」と銘打って、前回十分にご紹介できなかった舞の音楽を中心にお贈りします。プログラムのメインは舞楽の古典3曲。まず、左方(さほう=唐楽=中国系の渡来音楽)の平舞(ひらまい=穏やかな舞)で、『源氏物語』に登場することでも名高い《青海波(せいがいは)》。これに対して《蘭陵王(らんりょうおう)》は左方の走舞(はしりまい=活発な舞)の代表曲で、学校の音楽の教科書にもよく採り上げられる舞楽で最も有名な演目です。この《蘭陵王》と番舞(つがいまい=対の舞)で演じられるのが右方(うほう=高麗楽(こまがく)=朝鮮系の渡来音楽)の走舞の《落蹲(らくそん)》で、《納曽利(なそり)》の別名でも知られています(舞人の数によって曲名が変わります)。この3曲で、平舞と走舞、左方の舞と右方の舞という舞楽の全体像が分かるプログラムになっています。

 雅楽を聴く楽しみとは何だろう?と自分なりに考えるなかで出会った言葉があります。作曲家で日本の伝統音楽に造詣の深い増本伎共子氏の著書『雅楽入門』(音楽之友社、新版2010年)の一節です。増本氏はこの本のなかで雅楽の理論を説明する際、西洋音楽の知識や常識を一旦忘れて、柔軟な感性で接するようにと勧めます。

「そうすれば、〔中略〕より広い視野と聴覚とで音たちを考えるヒントが生まれ、未知の世界(実は自分の国の音楽なのだが……)を体験することができると思う。それはちょうど、エスニック料理を初めて食べるときと同じような体験なのではなかろうか?」(pp. 195-196)

 雅楽がエスニック料理? 意外なようで、もしかするとこれは絶妙のたとえかもしれません。今回の演奏会で採り上げる現代雅楽作品《紫御殿物語・鳥瞰絵巻》の作曲者である伊左治直さんも次頁でお書きのように、雅楽とはもともと、アジア大陸各地の“エスニックな”音楽の集合体なのですから。増本氏の文章は、雅楽の理論を学ぶための助言として書かれた言葉ですが、同時に音楽の聴くコツを示唆しているようでもあります。

 舞楽で奏される「追吹(おいぶき)」や「退吹(おめりぶき)」は、私の好きな雅楽の響きです。今回の演奏会では《蘭陵王》で舞人が登退場するときの音楽〈陵王乱序(りょうおうらんじょ)〉と〈安摩乱声(あまらんじょう)〉において龍笛が吹く演奏法です。西洋音楽の用語で説明すれば、追吹は拍節的なカノン、退吹は無拍節のカノンということになります。しかし雅楽は西洋音楽とは異なる原理でできているので、ずれた旋律同士がぶつかり合い、混沌として刺激的な音響が生まれます。西洋音楽の感覚からすれば、耳障りな不協和音に思われるかもしれません。聴き方によっては前衛音楽のようでもあります。料理にたとえれば、まさに香辛料のきいたエスニック料理といったところでしょう。

 雅楽は日本の伝統音楽です。雅楽を耳にすると、絵巻物のなかの平安貴族の姿や、荘厳な宮廷、神社仏閣の風景、そんな日本ならではのイメージが自然と想像されます。その雅びやかさ、美しさを味わう一方で、試みに“日本”という先入観を取り去って雅楽を聴いてみると、また別の面白さ――私たちの知らない“日本”――が(再)発見できるかもしれません。現代の私たちが親しむ西洋音楽の感覚から自由になることも、増本氏の言葉のとおり、雅楽をより楽しむコツでしょう。何しろ雅楽が成立した日本とは、現代の日本と地続きでありながら千年以上隔たった、現代とは異なる文化の風が吹き、異なる音楽観の土壌が広がる“日本”なのです。

篠田大基(水戸芸術館音楽紙『vivo』5-7月号より)