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2020-10-02 更新

オルガン・レクチャーコンサート Vol.1 「オルガン潜入捜査」講師・室住素子さんインタビュー


今年10月に始動する新シリーズ「オルガン・レクチャーコンサート」のコーディネーター、そして第1回の講師・演奏を務めるオルガニストの室住素子さんにインタビューを行いました。

 オルガンとの出会い、そして水戸芸術館開設準備室時代から音楽部門主任学芸員を務めた日々のことなどを語っていただきました。室住さんからご提供いただいた貴重なお写真や、芸術館が保管している写真とともに、室住さんとオルガンが歩んできた歳月を振り返ります。
 


~東大から藝大へ~ オルガンとの出会い

―室住さんは東京大学を経て、東京藝術大学のオルガン科に入学されました。大きな方向転換だったように思われますが、オルガンとの最初の出会いはどのようなものだったのでしょう?

 私の父は学者で、勉強することが当たり前だというような環境で育ちました。いとこも姉も続けて東大に入ったので私も入らないといけないような気がして、本当に一生懸命勉強して東大に合格することができました。ただ、北海道の実家から東京に出てきたら、実家にあったピアノと離れなくてはならなくなりました。それまで自然に呼吸をするように音楽をしていたのですが、それができなくなったので合唱を始めたんです。

 まずは社会人や学生などで構成された町の合唱団に2つ入って、最後には大学で「東大女声コーラス」という合唱団を立ち上げました。学内でチラシを配って、メンバーを集めるところから始めました。資金面で苦しい中、初めての定期演奏会の会場を探しているときにオルガンと出会いました。会場の探し方はというと、電話帳の「教会」の欄に載っている教会に、仲間と手分けをして電話を掛けるのです。それで私がたまたま電話をした松沢教会という教会のかたに「パイプオルガンもありますよ」と言われ、定期演奏会の会場として貸していただくことになりました。

 その演奏会で私は、フォーレの《レクイエム》の第4曲〈ピエ・イエズ〉の女声ソロを受け持つことになり、高音がなかなか出ないのでとても苦労しました。教会でその曲を歌ったとき、私が必死で高音を「キィーッ」と歌っている耳元に、パイプオルガンの一番柔らかい音色であるフルートの音色が流れてきたわけです。それで「もう歌はやめよう」、「パイプオルガンを始めよう」と決心しました(笑)。そのとき演奏してくれたオルガニストがたまたま藝大の学生さんで、私の家の近くに住んでいる女性だったんですよ。たまに彼女の家に遊びに行くようになって、ちょっとオルガンの手ほどきもしていただいて、それ以降ズブズブズブズブとオルガンの魅力にはまっていきました。

 オルガンと出会ったのが21歳、習い始めることになったのが22歳の時でした。「藝大に入りたい!」と思った時には入試まで1年半しかなかったのですが、私にはちょっとおかしいぐらいの集中力があって、なんとか藝大に入学することができました。親が大学の先生だったので、ちゃんと卒業してから次の一歩を踏み出すように言われていたのですが、その時の私に残されていた時間はたった1年半、興味のない授業の単位を集めるような時間はなかったのです。それを知った親は仕送りをストップしてしまったので、「東大学力増進会」という学習塾で仕事をして生活費を稼ぎました。そこでは幹部になって教科書から作る仕事もしましたね。


東大在学中、東大学力増進会で仕事をする室住さん


藝大の入試

 藝大の入試はもちろん初めて弾くオルガンで試験を受けました。演奏台からだと近くのパイプの音は大きくきこえるし、奥にあるパイプの音は遠くにきこえる。初めて弾くオルガンは感覚をつかむのが難しいんです。それで私は入試の演奏の途中で止まってしまって・・・。その時は「あぁ、落ちた」と思いましたね。入試は午前中に終わったので、お昼にレストランでカレーライスを食べたんですよ。食べている途中でポトポトポトっと涙が落ちてきて・・・そのカレーライスの味は忘れないですね。

 入試に落ちたと思っていたのですが、当時藝大の教授で、入試の半年前まで師事していた秋元道雄先生が、「オルガン科の入試準備を始めてから短期間であるにもかかわらず、その実力の伸び方が驚異的である」と私のことを評価してくださいました。そのおかげで、首の皮一枚つながってなんとか合格することができました。その頃は、とある藝大の教授にまつわる事件があって、入試の半年前からは藝大の教授のレッスンを受けてはいけないという決まりがありました。なので、秋元先生は私の半年前の演奏しかご存じなかったのですね。入試の時に半年ぶりに聞いた私の演奏レベルが予想以上に伸びていたことに驚いてくださったようで、藝大に入れていただきました。


恩師・秋元道雄先生と、武蔵野市民会館で開催した東京藝大卒業記念演奏会にて


 東京の住まいでオルガンの練習をするのはなかなか大変でした。当時は姉と一緒にとあるアパートの2階に住んでいたのですが、電子オルガンの足鍵盤を練習する音に関して下の階の方から苦情が来て、引っ越さざるを得なくなりました。そして、高田馬場の広々とした木造アパートの1階に引っ越したんです。そしたら今度は鍵盤の音がうるさい、と上の階から苦情が来ました。夜はヘッドホンをして練習していたのですが、打鍵の音が結構響いたんですね。ある夜、上の階のお兄さんが下りてきて「夜中に太鼓を叩かないでください!」なんて言われちゃって。「ウチに太鼓はありませんけど?」と返したらそのお兄さんは「えっ」となって、つかの間私の勝利だったんですが、可哀想だから「それはきっと鍵盤の音ですね。ごめんなさいね」という話をしたこともありましたね(笑)。


東京藝大 大学院生時代、武蔵野市民会館にて

 

水戸芸術館開設準備室時代


建設中の水戸芸術館(1989年6月)

―室住さんは東京藝術大学の大学院卒業後、水戸芸術館開設準備室の時代から音楽部門の学芸員として勤務をされ、1997年まで音楽部門主任学芸員を務められました。芸術館の開館前のことや、オルガンが設置されたときのことをきかせていただけますか?
 
 私が大学院生だった時、NHK-FMで放送するオルガン独奏の収録があり、そこで当時NHKに勤務されていた小口達夫さんとお知り合いになりました。小口さんはその後水戸芸術館開設準備室でお仕事をされることとなるわけですが、水戸芸術館にはオルガンも設置されるということで、ちょうど大学院を卒業する私に声をかけていただき、1989年3月に芸術館に着任しました。当時、芸術館は建設中でしたから、開設準備室は芸術館東側にある文化福祉会館(現・みと文化交流プラザ)の中にありました。当時は略して「ぶんぷく」と呼んでいましたね。


製作途中の水戸芸術館のオルガン。東京・町田市のマナ・オルゲルバウの工房にて(1989年3月)


 オルガンの設置は、芸術館の他の部分がまだ建設途中の段階で始まっていました。ドリルの音が響き渡り、削られた石やコンクリートの粉が舞っている中で、今回のレクチャーコンサートにもご出演いただく松崎譲二さんをはじめ、マナ・オルゲルバウの皆さんが働いていました。私は「1秒たりともここにはいられない!」と感じるような空間でしたが、そんな過酷な環境の中でオルガンの設置をされるのは大変なご苦労があっただろうと思います。


水戸芸術館開館前、設置後にビニールカバーがかけられているオルガン(1989年12月)

 開設準備室でオープニング公演のチケット発売があったときのことは今でもよく覚えています。当時は今のようにコンピューターでチケットや座席が管理されているわけではなく、公演ごとに紙の座席表をつくり、売れた席から色を塗っていました。オープニング公演は2か月半の間に20公演以上、しかも当時音楽部門の学芸員は私を含め2人でしたから、公演の制作も大忙しでしたね。


「中学生のための芸術鑑賞会」で司会を務める、水戸芸術館音楽部門主任学芸員時代の室住さん(1996年)



芸術館のオルガンを最大限生かすために

 オルガンに関する話といえば、芸術館が開館して間もない頃、オルガン設置に対する批判の新聞記事が出たことがありました。「オルガンを設置したところでどうせ使われる機会はないのだろうから無駄だ」と。でもそれがとてもいいきっかけとなって、このオルガンを生かすにはどうしたらいいか私たちみんなで知恵を絞って、様々な企画を考えました。最初のうちは、芝生の広場に遊びに来ている幼稚園の子どもたちや先生に「ちょっとパイプオルガンを触ってみませんか?」と声をかけてオルガンを弾いてもらったり、一緒に歌を歌って楽しんだりしていました。子どもたちも先生もとても喜んでいましたし、私も仕事をしながら一緒に遊んでいるような感覚があって楽しかったですねぇ。それがやがて水戸市内の幼稚園や保育園などの施設の子どもたちに広くオルガンを楽しんでもらう「幼児のためのオルガン見学会」という企画に発展して、それを今も続けてくれていますよね。小さい時にオルガンを触った子たちが大きくなって、「あ、昔触ったことがあるオルガンだ!」とこの楽器に親しみを持ってくれるのは嬉しいことです。


「市民のためのオルガン講座」レッスンの様子(2018年)

 今も続いている「市民のためのオルガン講座」は1993年に開始しました。吉田秀和初代館長がこの企画の開催を喜んでくださって、私は館長賞をいただきました。賞品としてなにが欲しいか、吉田館長に聞かれたので、私は「広辞苑が欲しい」と言って分厚い広辞苑をいただきました。ちょっと話がそれますが、当時私は物を書く仕事がしたいと思っていて、文学賞へ応募もしていたんです。吉田館長はそのことをご存じで、残念ながら落選してしまったことを報告すると、「一回ぐらい落ちても諦めるな、続けなさい」と仰っていただきました。今思うととても貴重で、忘れられない思い出ですね。

 松崎さんのお力を借りて「パイプオルガンのパイプを作ろう」というワークショップをやったこともありました。参加者の方は本物のパイプと同じ素材(錫と鉛の合金)をクルクルと巻いて、はんだ付けをしてパイプを作るんです。それを、松崎さんがあらかじめ作ってくださった笛の部分とくっつけて、本当に音が鳴るパイプを作るというもの。それを下から息を吹き込めば、オルガンについているパイプと同じように空気が入って音が出るわけです。松崎さんはそのために事前に素材を用意してくださったり、笛の部分を作ったり、準備がいろいろ大変だったと思います。



 「パイプオルガンのパイプを作ろう」ワークショップ(1996年)
(上)参加者にパイプの作り方を教えるオルガンビルダーの松崎譲二さん
(下)松崎さんと室住さん

 

―松崎さんとタッグを組んでワークショップやレクチャーを行ったことは過去にもあったのですね。

 ええ、それ以外にも水戸芸術館友の会主催の「オルガン・レクチャーコンサート」という企画も10回ほどありまして、その中で今回のように松崎さんにご登場いただいた回もありましたね。

 
オルガンの内部を覗く「オルガン潜入捜査」

―今回はまた新たな「オルガン・レクチャーコンサート」シリーズが始まります。室住さんにはシリーズ全体のコーディネートをしていただき、第1回目は講師もお願いいたしました。講師として室住さんがご提案くださったのが「オルガン潜入捜査」というワクワクする内容のレクチャーコンサートですが、そのアイディアの根源はどこにあるのでしょうか。
 
 それは芸術館にオルガンが設置された時にさかのぼります。私は東京藝術大学のオルガン科で学部生として4年、大学院生として3年、計7年間オルガンを演奏してきたわけですが、その間オルガンの内部を見たことがなかったのです。当時は藝大でも内部を見る授業はありませんでした。大学院を卒業して芸術館に勤務することが決まり、初めてここのオルガンの中に入れていただいた時、「あぁ、パイプオルガンとはこういうものなのか!」と、とても衝撃を受けました。7年も演奏していたのに内部を知らなかったというのはお恥ずかしい話なのですが、オルガンの中がどうなっているのか、どのような仕組みで音が出るのかを知ることは、この楽器を理解する上でとても大事なことだと思い知りました。


水戸芸術館のオルガンの内部に並ぶパイプ

 他のホールや教会に外部のオルガニストとして演奏をしに行くときは、オルガンの内部を見せていただくということはなかなかありません。オルガンは一つとして同じ楽器は存在せず、パイプの並べ方やモーターの形など、あらゆる部分がみな違います。なので一種の機密事項というわけではないですが、内部を公開することをためらうオルガンビルダーさんや管理者の方もいるのではないかと思います。その点、芸術館のオルガンを作ったマナ・オルゲルバウの松崎さんや中里威さんたちは寛容にも中を多くの方に見ていただくことを受け容れてくださっています。

 オルガンの演奏を楽しめる機会は他でもありますが、コンサートを何度聴いてもカバーすることができない盲点はどうしても出てきます。例えばオルガンの中を見てみること、どのように鍵盤の動きが伝わって音が出るのかといった楽器自体に関することは、通常のコンサートでは知りえないことなので、第1回目には「オルガン」という楽器について知っていただきたいと思いました。その後のレクチャーコンサートのテーマはいろいろな広げ方があると思います。歴史に沿って進めてもいいし、国ごとにオルガンの発展をたどっていってもいいですよね。それは現在構想を練っているところです。

オルガン曲が持つ本当の意味にも「潜入」

 長年オルガンを弾いておりますが、音をきいているだけでは作品の本当の意味を理解できないこともたくさんあるのです。曲の中に讃美歌の旋律が隠れていて、その意味を知ると「あぁ、こんなことを言っていたのか」と思うこともあります。さらに、その讃美歌が大元ではなくて、起源をさかのぼると聖書にまで行きつく。オルガン音楽は実に奥が深い。楽譜に書かれている音が何を言わんとしているのか、一般的なバックグラウンドを持った日本人にはきいただけでは分からないことも多いのです。

 例えば「♪からす~なぜなくの~」という歌のメロディをきいたとき、日本では多くの人が夕焼けの情景を思い浮かべるのではないでしょうか。それと同じように、ヨーロッパの方やキリスト教徒の方たちは讃美歌のメロディをきいたら、それが何を意味しているのかをある程度理解できるわけですよね。今回のレクチャーコンサートの後半では、そのようなオルガン曲の中に隠された意味をひもといてみようと思います。

 初めて今回の企画の相談をした時から、「潜入」という言葉がずっと私の頭の中で渦巻いていて、改めて聖書を読んだり、楽譜を読み込んだり、私自身が日々オルガンの深い世界に潜入しているような気持ちになっています。レクチャーコンサート当日は、私たちと一緒に皆さんもオルガンの世界に「潜入」してもらえると思いますよ。

2020年9月7日
聞き手:鴻巣俊博(水戸芸術館音楽部門学芸員)