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2021-08-13 更新

絶妙なコンビネーションも世界遺産[ワールドヘリテージ]級?
ワーヘリ 外囿祥一郎さん(ユーフォニアム)、次田心平さん(テューバ)インタビュー 第1弾


昨年6月の公演に向けておこなったインタビュー時の写真。左から、次田心平さん(テューバ)、外囿祥一郎さん(ユーフォニアム)
 
 日本を代表するユーフォニアム奏者・外囿祥一郎さんと読売日本交響楽団のテューバ奏者・次田心平さんによる金管低音楽器デュオ「ワーヘリ」。昨年6月に公演を予定しておりましたが、新型コロナウイルスの影響で残念ながら延期となってしまいました。

 この9月、いよいよ「ワーヘリ」の延期公演を開催します(詳細はこちら)。昨年6月の公演に向けて、新型コロナウイルスの全国的な感染拡大が起こる前におこなったインタビューの模様を2回に分けてお届けします。お二人の出会いやそれぞれの楽器の魅力など、楽しい雰囲気の中お話を伺いました。

※インタビュー第2弾はこちら
 


―まず外囿さんに伺います。ユーフォニアムを始めたきっかけは何だったのでしょう?
外囿(以下 外):僕は中学生の時、吹奏楽部でもともとトランペットを吹いていたのですが、高校の時にユーフォニアムに移りました。トランペットは人気だったのでね(笑)。高校の時はトロンボーンかユーフォニアムのどちらかを選べたのですが、トランペットと同じピストン楽器だったからか、ユーフォニアムを選びました。
 
―そこでユーフォニアムを選んでいなかったら、今の「日本を代表するユーフォニアム奏者」は生まれていなかったかもしれないのですね。
外:ハハハ!良かったのか悪かったのか・・。まぁ今があるからよしとしましょう。
 
―次田さんがテューバを始めたきっかけは?
次田(以下 次):僕も楽器を始めたのは中学生の時でしたね。吹奏楽部でトロンボーンを吹きたくて、仮入部の時はずっとトロンボーンをやっていました。いざ入部、という段階になったとき、トロンボーン希望の部員が定員より多かったんです。その中に僕を含め男子が二人いたのですが、その二人でじゃんけんをして負けた方がテューバをやりなさい、ということになり、僕はじゃんけんに負けてテューバをやることになりました。
 
―実は私も中学から大学までテューバを吹いていたのですが、最初は同じように「男子だから」とか「体が大きいから」という理由でテューバになってしまった記憶があります(笑)。今はプロのテューバ奏者として活躍されている方でも、やはり最初は積極的にテューバを選んだ、という方は少ないのでしょうか。
:そうですね、テューバの人はほとんどそうだと思います。

:でも、最近は自分からテューバを選ぶという人も聞きますよ。女子も多いし。

:2割以下だと思いますけど、低音が好きで最初からテューバ希望という人もいたりします。

:ユーフォニアムもテューバも吹奏楽から始める方が多いと思うんですけど、吹奏楽の楽器も人間の社会と同じでそれぞれに役割があるんですよね。なにもみんながみんな目立ちたい!という人ばかりではなく、陰で支える役割に魅力を感じる人もいるわけです。

:逆に、担当する楽器によって人の性格が変わっていくということもありますよね。例えばトランペットは普段から目立つパートだから、吹いている人も明るく目立つ性格になっていくということもある気がします。
 
―確かに楽器によってキャラクターの違いはあるように思います。金管楽器の人は「よく食べ、よく飲み」というイメージがありますが・・。
:それは間違いないです。ダイエットをやっても続かない(笑)。美味しいものには勝てない。

:その通りですね。
 
―外囿さんは自衛隊音楽隊での活動を経てプロのソロ・ユーフォニアム奏者になられたという珍しい経歴をお持ちです。自衛隊音楽隊時代、大変だったことはありますか?
:まず、演奏以外の面で規則が多いということですね。でも、組織に属することって大事なことだと思うんですよ。ユーフォニアム奏者として組織に属するということは自衛隊や警察の音楽隊やプロの吹奏楽団に入るぐらいしか選択肢がないので、その点では自衛隊音楽隊という選択は良かったと思っています。そこで25年間勤め、コンチェルトを吹かせてもらうなどいろいろな経験をさせてもらったことが今も生きていると感じています。国の組織なので、なんでも自由できるというわけではないのですが、その25年の間にコンクールに出させていただいて賞ももらったし、いろいろなチャレンジをさせていただきました。
 
―自衛隊音楽隊に所属されている間もソロ活動を許可されていたのですか?
:ええ、でも特例だったようです。なにをするにしても自衛隊音楽隊側が初めてのことばかりだったので、前例のない中で突破口を開くというのは大変でした。組織の中でもいろいろな意見を持つ人がいて、過去の例に縛られずに打破していこうという人や、優秀な人材に残ってほしいので良い環境を作ろうとする人、はたまた前例がないのだから何が何でもダメなんだという人もいましたね。


外囿祥一郎さん
 
―次田さんは京都市立芸術大学時代、トロンボーンの呉信一さんにも教わっていらっしゃったと伺いました。呉さんは水戸室内管弦楽団にもしばしばご出演いただいているんですよ。
:そうでしたね。あとホルンは猶井正幸先生ですよね。僕の大学時代、猶井先生も京都市立芸術大学で教鞭をとられていました。
 
―そうだったのですね! 次田さんは現在読売日本交響楽団のテューバ奏者として活躍されていますが、関西から東京に拠点を移した時に何か違いを感じたことはありましたか?
:最近は関西のプレイヤーが大勢東京に出てきているので状況が違うと思いますが、僕が東京に出てきたての頃、周りは知らない人だらけでした。名前は知ってるけど顔は知らない、という人ばかりで行く先々で「はじめまして」状態でしたね。関西だと、どこで仕事をしてもだいたい同じメンバーが集まるんですが、東京では公演の度に違うメンバー。東京は演奏家の数が多いということを感じました。

:大学を卒業してすぐに東京に来たんだっけ?

:そうです、卒業してそのまま東京にきました。

:彼が日本フィルの奏者だった時代、バッティングセンターに連れていかれたことがあったな。

:そうそう、荻窪駅の上にあるんです。

:ホルストの〈惑星〉をやった時だったと思うんだけど、「外囿さん、この後時間ありますか?バッティングセンター行きませんか?」って言われて行ったんです。そしたら次の日腕がパンパンになっちゃって、ひどい目にあわされたなぁ(笑)

:あれ、たしか僕がまだ24、5歳の時でしたね。

:彼、すごく運動神経がいいんですよ。バスケとかもやるし。あと、卓球は一回も彼に勝ったことがない。

:卓球は高校生の時毎日やってました。

:ハッハッハ!

:高校の廊下に卓球台が置いてあって、自由にやってよかったんです。テューバの練習より卓球をやってたかもしれないですね。

:どう見ても僕の方が運動能力高そうなのに、実は心平の方が強い(笑)

:卓球も性格が出るんです。外囿さんはとにかくまっすぐまっすぐ打つんです。僕が曲がった玉を打つとすぐに負けてくれる。

:単細胞なんですよ(笑) 「なんでそっちに曲がるの?」なんて思っちゃう。


次田心平さん
 
―そんなお二人が「ワーヘリ」を結成する前、初めての出会いというのはどのようなものだったのでしょう。
:シンガーの吉田美奈子さんが小規模な吹奏楽団と共演するというので、トロンボーン奏者の村田陽一さんの呼びかけで集まったバンドで会ったのが最初でしたかね。

:DVDにもなっています。2005年頃、ちょうど僕が東京に出てきたばかりでした。

:少人数の吹奏楽団だからずっと吹きっぱなしですっごく大変だったんですよ。その後いろいろなところで彼と共演するようになって、デュオコンサートも増えてきて「ワーヘリ」結成に繋がりました。

:音大だとユーフォニアム科とテューバ科が合同でコンサートをやることもありますが、ユーフォニアムとテューバのレパートリーって少ないんですよね。

:特にユーフォニアム、テューバ、ピアノというトリオの編成の曲はほとんどなくて、最初の頃は演奏会をするにしても、それぞれのソロを入れていかないと2時間のプログラムが成立しないほどでした。それが今では私たちが作曲や編曲依頼をしたものも含め、だいぶレパートリーが広がりました。今回共演するピアノの松本望さんも作曲やアレンジをしてくれますし、出版社もとても協力的でこの編成の楽譜も増えました。今では学生が室内楽の授業でこの編成の楽譜を持ってくることもあるほどです。これからも広がっていくといいなぁと思っています。
 
それぞれの楽器の魅力や今回のプログラムの聴きどころ、そしてちょっとマニアックな楽器改造のお話まで盛りだくさんの内容のインタビュー第2弾はこちらからご覧いただけます。

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文・聞き手:鴻巣俊博