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2023-05-15 更新

水戸芸術館現代美術センターよみものアーカイブ#1-3 「ふぇいす・らぼ」座談会 後編拡張し続ける、「拡張するファッション」展

「ふぇいす・らぼ」が誕生するきっかけとなった展覧会「拡張するファッション」(2014年)。この展覧会のもとになった同名著書の著者・林央子(はやしなかこ)さんと「ふぇいす・らぼ」メンバー、そして当時をよく知る学芸スタッフの小泉英理を交えた座談会の様子を前編・後編に分け、ご紹介します。

パスカルさんとのワークショップを終え、そのメッセージはどのように伝わっていくのか。そして、今へのつながりを追う中で立ち現われてくる、「ふぇいす・らぼ」の根幹にあるもの、とは…

  
「拡張するファッション」展の期間中、自ら制作した制服を着用して日々の業務にあたるフェイスたち、2014年

小泉:展覧会が開いたら、パスカルとのワークショップに参加したフェイスさん(以下、第一世代)7人に、まだ制服をつくっていないフェイスさんへ教えていく役を務めるようパスカルがお願いをして、彼女は一旦帰国しました。
 
──その7人以外のフェイス(以下、第二世代)は、パスカルさんからではなく第一世代のフェイスメンバーから教わることになったんですね。


関根貴美子(中央)、座談会の様子、2022年
 
関根貴美子(ATMフェイスメンバー・以下、関根F):初めて臨むから出てくる疑問と、こうすると楽しかったんだっていう、ゴールを知っている人たちとのちょっとした差を感じたことはありました。ただ、それはあまり大きな問題ではなくて…私の場合は、小澤さんの制服のこのペイントの部分がものすごく好きで、自由に水が弾けるような表現を目にしたとき、「あぁ、彼女は本当に自由にやっている、私も好きにやろう!」と感じたことをよく覚えています。第一世代の人たちがすごく熱心に教えてくれて、経験したことを伝えてくれて、それを受け止めつつ、第二世代としてみんなが自由を望むなら、私も自由に進もうと思いました。


関根Fが影響をうけたという小澤F制作の制服(部分)、座談会にて撮影、2022年
 
──小泉さんは、第一世代から第二世代への移行を見守る立場でした。
 
小泉:私は、パスカルから、彼女たちの様子をブログにアップするための記録係を任されていて、些細な変化も見逃さずに次々とアップしていくことに努めました。毎日カメラを持ってギャラリーに行き、「誰か制服がこれまでと変わった人、いない?」と尋ねると、「〇〇さんのこういうところが変わりましたよ」とか「私こういう部分を交換したんです」といった情報を得られて。互いの制服を見て、自発的に交換が始まっていっていることに驚きを覚えましたね。

福井F:シェアするということは、パスカルがいつも言っていたことですよね。アイデアも、テクニックも、材料も全部シェアするんだって。

 
お互いのアイデアを「シェア」するフェイスたち、2014年

小泉:「完成することがゴールじゃないじゃない」「過程こそが何より大事だから、みんなでシェアして少しずつ進めていこう」って、パスカルはいつも伝えていましたよね。それが、第一世代の7人にしっかり伝わり、第二世代に確実に継承されていきました。
第二世代の制服や様子についてもブログで逐一報告していたので、パスカルが再来日する前に、まだ会っていない第二世代の一人ひとりに宛てて手紙が送られてきました。「今度行きますよ」って、手書きで。

 
福井F:そう、いつも手書きで、繊細な青いペンでね。これはもう本当に、宝物です。


フェイスによって保管されていたパスカルさんからの手紙、座談会にて撮影、2022年
 
小泉:それで、フェイスのみんなで、パスカルのために「パスカルの制服」を一着つくりました。みんなが得意な要素を一着に集結したものをパスカルにプレゼントしたんです。それはもう喜んでくれました。
 
──洋服という個人が身につけるものが、ここまでシェアされたり流動的に変化していったりしたことに驚きます。
 
林:本当ですね。私は1993年から2001年ぐらいまでパリコレなどを取材して、ファッションはデザイナーがつくり、広げていくものだと実感していたのですが、このワークショップではまったく異なる現象が起きていて、私自身にとっても強烈な体験となりました。「ファッションって何だろう?」と、その後もずっと考えるきっかけをこのワークショップで得ることができました。
 
──その後、フェイスのみなさんは「ふぇいす・らぼ」と名付けたプロジェクトで、作品を発表、販売するまでになります。
 
山口F:「拡張するファッション」展が終わりに近づいてきたころ、何人かの第2世代のメンバーから、「このまま終わりにするのはもったいない、何か活動を続けられるような形にしよう」という声があがって、ワークショップの活動がそのままスライドしていったという感じです。
 
福井F:まず水戸芸術館の広場を会場に開催される「あおぞらクラフトいち」に出店しました。そのあと、現代美術センターの夏のワークショップ「こども・こらぼ・らぼ」に誘ってもらって。市内の福祉施設などから出張ワークショップの依頼をいただいたりもしました。

山口F:ACM劇場で子どもたち向けの演劇公演があったときに、記念のグッズとして舞台に出演しているキャラクターをブローチにして販売したこともありました。そういった活動が途切れずにつながって、今の青山悟さんとのプロジェクトやショップでの作品販売につながっています。 



「ふぇいす・らぼ」となった後、演劇公演のグッズとして制作したブローチの試作、座談会にて撮影、2022年

小澤貴子(ATMフェイスメンバー・以下小澤F):青山悟さんとのプロジェクト「Everyday Art Market by Satoru Aoyama + ATMフェイス」は、ちょうどコロナの時期に水戸芸術館の休館が続いて、私たちの仕事がなくなってしまうことへの救済策として始まったプロジェクトでした。なので、当初はマスクとか計測メジャーとかコロナに関係するグッズにちょっとユニークな刺繍をすることから始めて、オリジナルのブローチづくりは、2020年の12月から販売を開始しました。


小澤貴子(中央)、座談会の様子、2022年
 
関根F:今、私は水戸芸術館のシンボルであるタワーを象ったブローチをつくっていまして、もちろんタワーが好きだからなのですが、特にコロナ禍で、公演や展示の企画がすべて立ち上げては中止ということが続く中、水戸芸術館に来てくださっていたお客さまたちが、コロナ前には、美術でも演劇でも音楽でも、もしかしたらその方の人生を変えるような感動の瞬間がここで起きていたかもしれない、その帰りにどんなタワーを見たのだろう、と想いを馳せながらつくっています。コロナ禍ではもちろんいろいろと不都合なことが多くありましたけれど、自分がここで長年働いてきた時間を見つめ直したり、お客様が水戸芸術館でどういう体験をして帰られるのかに想いを巡らせたりするよい機会になりました。
 
舟生F:私もずっと同じモチーフでつくっているのですが、それでも展覧会によってちょっと考え方が変わったり、話し合いの場で刺激を受けたりするので、変化もしたいし、進化もさせたい。フェイスのみんなから刺激を受けつつ続けています。
 
福井F:私の場合は、つくることがコミュニケーション手段になるということが自分にとって今とても重要で。つくったものがきっかけで、普段話さない人とも仲良くなるきっかけになることがありがたくて、今後もどんどんアウトプットして、表に出していきたいと思っています。
 
山口F:私たちは販売にすごく力を入れてるわけではないんです。だから価格も最低限に抑えていて。自分たちがつくったものを身に着けて歩いてらっしゃる方をお見かけしたりしたら、それはもう嬉しいじゃないですか。みんなシンプルにその想いから活動を続けています。
 
福井F:どなたかが買ってくださったというだけで自信になります。まさに、エンパワーメントされるんです。

 
──林さんの著書「拡張するファッション」をきっかけに実現した展覧会──そこで開催されたワークショップが、10年の月日を経てさらに広がりを見せ、コロナ禍でのフェイスのメンバーを支える活動にまで発展しました。
 
林:本当にすごいですね。パスカルも、世界のさまざまな場所で話をする際に、よく水戸芸術館のワークショップのことに触れているようです。あのワークショップがここまで影響力を持つことになったのは、水戸芸術館という音楽・演劇・美術の独立した部門を持つ特別な場があって、そこで各部門の観客の皆さんに接するフェイスさんという方たちがいた──その仲間、コミュニティのような存在に、ワークショップがうまくはまったからだと思います。ほかにも、展示室や会議場、芝生の広場などのスペースがあって、クラフトとアートが出会う機会などもあって。水戸芸術館の中にいろいろな可能性があってそれが機能していく様子を、つぶさに見せていただいたという感じです。
 
──フェイスという水戸芸術館独特の存在があったからこそ、成立した部分も大きいということですね。
 
小澤F:参加した私たちとしても、おそらく自分ひとりだったら、こんなふうにはできなかったですね。悩みながらも「それ、やろうよ」って言い合える仲間がいることが、自分が続けられているいちばんの理由だと思います。


制作についてディスカッションするパスカルさんとフェイスたち、2014年
 
林:そういう、悩んだりとか、迷ったりとか、今ちょっとできない、ということを人に見せられるということが、非常に大切だと思うんですね。何か一緒にしようって言われて、一生懸命やってみても、何も生まれないということは、実は結構多い。それは、互いの弱い部分を見せ合うことに、今の資本主義の世界、競争原理の世の中では、時間を費やさないからだと思うんです。とりわけ西洋というのは、個人主義で、「強い自分」を表現してきた社会です。「いや、弱さも重要だよね」ということをあえていうようになったのは、本当にこの10年ぐらいのことだと思います。
パスカルが蒔いた種というのは、その弱い部分にもきちんと目を向けて、「弱いもなにもない。それが、クリエーションの中で全部必要なこと」、そのコミュニティの中で「そこは見せてOK」としたことだと思うんですよね。みんながちょっとずつ、いい面も見せ合うし、弱みも見せ合う。だからすべてが育っていったと感じます。
その後の「ふぇいす・らぼ」のプロジェクトがみんな、自分から売り込んだというよりは、受け身で、でも受け身ながらしっかりと育っていて、終わらずに現在進行形で続いている。そこには、次世代の方法論を考える一つのモデルとしての学びがたくさんあると感じます。
 
福井F:今回、久しぶりにワークショップの資料を見直したのですが、パスカルからお手紙をたくさんもらっていて、その中に「傷つきやすさ」という言葉がたくさん出てくるんです。当時はよくわからなかったけれど、(林)央子さんが言われたとおり、自分の弱いところを見せて、自分で認めることとか、相手の傷つきやすさを思いやることというのは、フェイスのみんなが常にやっていることなんです。そういう場面を見るといつも美しいなと感じますし、「ふえぃす・らぼ」をやっていてよかったと実感します。
 
山口F:傷つきやすさ、弱さって一見、ネガティブに受け取られる言葉ですよね。だけど、傷つきやすい自分を認めることで、相手のことも思いやれる、そういう気持ちをパスカルは伝えたかったのかもしれないですね。

 
小泉:スタッフとして彼女たちのそういう想い──嬉しい想いも悲しい想いも、全部を聞けるようないい関係をワークショップをきっかけにして築けたことに、私はとても感謝していますし、日に日に自信をつけていく彼女たちの姿を追って、記録・発信することで、私自身も自信を得ることができました。水戸芸術館で仕事をする意味に深みが加わったように思います。
 
林:この水戸芸術館で起こっている彼女たちの活動について、これからも私は自分の言葉で伝えていきたいし、パスカルのワークショップで起きたことについて、私の中でもまだ咀嚼しきれていないと思っているので、これからも丁寧に考察を続けて、いつか論文として発表したいと思っています。今日は、あらためてワークショップについて振り返る貴重な時間になり、感謝しています。
 
──みなさん、今日はありがとうございました。


座談会終了後、林央子さん(前列中央右)を囲んで、2022年

座談会
日時:2022年12月19日(月)
於:水戸芸術館エントランス応接室

文=中川佳洋(水戸芸術館現代美術センター教育プログラムコーディネーター)
構成協力=笠井峰子(笠井編集室)
写真=2014年撮影分・臼井智子、2022年撮影分・仲田絵美

#1-2 「ふぇいす・らぼ」座談会 前編 ページは こちら
#1-1 「ふぇいす・らぼ」とは? ページは こちら
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